無職荘

もう口が酸味を感じなくなるほどに口酸っぱく書きまくっているのだが、現在俺は貧乏に苦しんでいる。恋は「全部夏のせい」かもしれないが、俺の貧乏は「全部ギャンブルのせい」だ。
もちろん貧乏な俺を哀れんで飯を奢ってくれてもいいし、この様を見て今一度自分を律してもいい。

貧乏についてずっと考えていた。高校生が高校で起こる恋や部活に悩むように、貧乏な俺もまた貧乏について考えていた。
考える間、ずっとNETFLIXでアニメを見ていたし、バイト情報サイトで単発のバイトを探したりしていたのだが、そんなに苦痛ではない。かつて金がまだあった頃は毎夜毎晩誰かに誘われては酒を飲みに行ったり、気軽にパチンコに行ったりしていたのが家の中で動画を見たり、いつもより多く寝ることに変わったくらいだ。

貧乏暇なしとは言ったものだが、現代の貧乏はそんなに暇に苦しめられることはない。youtubeで死ぬほどくだらない動画を見て気づけば10時間経っていました、なんてこともある。
ふと、スマホがない時代の貧乏はどうだったのだろうと思う。
ネットが発達していない頃の彼らはきっと何かを眺めているだけで仕事が見つかるわけでもなかっただろう。家族に貧乏であることを隠すためにわざわざお金を送ったりしただろう。さぞかし辛そうだ。

貧乏は辛い。だがこの平成、もはや令和となってしまった現代、貧乏は本当に辛いわけではない。

俺は貧乏のスペシャリストなので平成の時代に一度貧乏を経験している。ホームレスだった。

諸事情でホームレスになった俺はすぐに友達の家とネットカフェを往復する生活に切り替えた。インターネットで工事現場のアルバイトを見つけ、働いた金でスロットをバカみたいに打ち、その時はバカみたいに勝ったので賃貸住宅生活に復活した。若い時の苦労は買ってでもしろとは言うが、この国で若くして貧乏になったところで昔ほど辛くはないのだ。ネットを通じて様々な友人ができ、連絡も取れ、昼間はパチンコ屋さんの休憩ルームで漫画を読むことができる。イージーです。
どうしても1000円も金を持っていなくて友達の家にも泊まれなかった時は秋葉原や上野の路上で寝ていたが、世界で一番治安がいい都市なので不安は何も無かった。
ホームレスには縄張りみたいなものがあって、歩道の側や駅の周りは大体誰かの寝床になっていたので駐車場で寝ることが多かった。4台くらいしか停まれない駐車場の中で一番大きなトラックの下で寝ると、排気の残り熱があるので暖かった。アイドリングは全然してくれていい。タバコも吸うし酒も飲むので排気ガスくらい気にならない。

ホームレスになるにあたって、捨てるものと捨てるべきではないものの選別をする必要があるのだが、ここで絶対に捨ててはいけないものに「携帯電話」がある。老いてしまえばわからないが、ぶっちゃけどれだけ貧乏でも五体満足なら月に10万は働くことができる。駐車場で寝ていようが、服を着替えてなかろうが逆転の目は残るのだ。進んでなる人というのは社会世俗から見放されたりしたのではなく、世俗を自ら捨てた人だ。社会の方が見限られたのだ。

東京でホームレスをした後、京都で貧乏生活を送った。6畳の部屋で、家賃は2万円だった。そこは京都市内だったが元部落地域ということで土地がとにかく安いそうだった。
ここで豆知識だが、賃貸物件を安く探す時はインターネットよりも歩いて探した方がいい。インターネットは便利だが、便利代がどこかで必ず発生している。100円か200円かはわからないが、その金額規模で苦しむようなら1000円でも安いほうがいいだろう。歩いて探したボロボロの物件はとにかく安い。

「無職荘」と自分で勝手に名付けたそのアパートは、空き缶を拾って生活している人が3割を占め、おそらく孤独老人の最後のエデンになっていた。2万円の家というのは普通の審査も通らないので(俺はスロットで作った残高20万円の通帳とパスポートのみで審査が降りた)、隣人もパンチが効いていた。

俺の隣人は動物を煮るババアだった。

何を言っているのか、はたまた高等な比喩表現なのか考えたろうが、本当に動物を煮るババアがいた。殺したのか拾ったのか、その人の玄関には何かしらの動物の死骸があり、ババアはそれを鍋で煮ていた。
気づいたのは異臭がしたからだった。志村では到底敵わないようなガチの「変なおじさん」だらけだったので誰も通報はしないし、そもそも各々が変を極めていて、俺以外全員老人だった。
隣のババアは無口で、顔も中々合わせなかったので、異臭に気づいた時はババアが孤独死したものだと思っていた。

ババアに片思いをしていたわけでは無いが、死臭が気になりすぎてベランダの部分から何度も身を乗り出して確認しようとした。だが変な老人たちはカーテンを閉め切って生活している場合が多く、ババアのプライバシーもまた厚めの布に覆われていた。

ある時NHKの集金人が無職荘に現れた。もちろんテレビを所有している人間などほとんどいないし、携帯もワンセグ付きなんてハイテクなものも持っていないので、集金人は変な扉を開いて変な目に遭って、変だなと思いながら戸を閉じる作業を三階分することになっていたが、俺の隣のババアを訪ねた時に小さな悲鳴を上げる事になる。

実はこのタイミングを待っていた俺はババアの部屋を見るべく集金人の側に寄ったが、集金人は強すぎる異臭に悲鳴を上げたようだった。玄関を開けるとそこには猫の死骸があった。鍋の隣には別の猫の死骸があった。どちらも轢かれたような死に様だった。

「ヒッ・・・え、NHKの集金です。テレビはございますか?」

NHKには兵役があるのではないか?と考えたのもこの時だった。猫の死骸を挟んでNHKの集金人と、どう考えてもやばいババアが猫を無視してNHKの話をしているのは異様な光景だったが、ホッとした。隣のババアは孤独死なんかしていない。動物の死骸を集めていただけだった。ババアの顔はとても穏やかだった。猫ちゃんかわいそうでねえ、なんて話もなかったが背筋はピンと伸びていた。

ババアは、テレビを持っていたのでNHKの新規契約をしていた。

ここから先は

0字

¥ 100

集まったお金は全額僕の生活のために使います。たくさん集まったらカジノで一勝負しに行くのでよろしくお願いします。