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父の死から4ヶ月。その間と今。

この4ヶ月であったこと

 父の財産などの名義変更は姉経由で司法書士にお願いし、それ以外の企業年金の申請、各種引き落と口座の変更など細々としたものは姉弟たちと対応してようやく落ち着いてきた。(それでも他県に本籍があるので、戸籍謄本などの申請はかなり時間がかかったが・・・)

 母の寝室は 今までの二階から仏間に移したが、その際ご近所の方々が二階からベッドを移設してくださった。

 葬儀後から母は背中の痛みを訴え、いくつかの病院にかかるも特に異常はなく、それはそれで心配な時が流れていた。

冬休みに帰省して やってみたこと(快楽・嬉しい編)

 冬休み早々、私は東京から帰省し、まずは実家の母の生活を快適にするために「快・不快」をポイントに、何をしたらいいか様子を見てみた。

1)お手洗い
 毎年冬は父が簡易ストーブを設置していたが、母は面倒でこの冬は出していなかった。私が「出そうよ」と言ったところすぐ出てきたものの、母は配線が分からず私が代わってみたところ、既にコンセントには簡易ストーブに接続するための延長コードがつけられており、そこに繋げば良いだけになっていた。
 繋げてみて驚いたのが、コードが長くて浮かないように巾木にコードの留め金が付けられていた。さすが父、芸が細かい。というかよく考えてくれていたことに感謝。

巾木にコードを固定する黒い留め金が 適度な間隔で取り付けられていた

2)美味しく食事
 母は野菜好きのタンパク質不足気味。一人だと昼ごはんを抜いたり少食になると言っていた。薄くて噛みやすく美味しいお肉なら食べられるかもと思い、高級すき焼き肉を事前に送り、二人ですき焼き。庭から春菊を採ってきて一緒に食す。とりあえず美味しく食べてくれたようで良かった。
 それ以降も卵、豆腐、鮭、鰹節などタンパク質を一緒に食べるようにした。誰かと一緒だと食も進む様子。

3)父からのメッセージを発見
 父の携帯電話を解約する前日、住所録や写真をチェック。写真は入院していたホスピスで誤ってシャッターを押したのか天井や床のものもあったが、カッパドキアの気球のスクリーンショットが多数あった。
 元気になったら行きたかったのか、それを見て元気づけられたのか、どう感じていたのだろうか。
 父と母とのLineのやり取りで、父からの「ありがとう」というメッセージが未送信で残っていた。
 また、メールの未送信フォルダには、私宛に下書き(ブランク)が残っていた。
 亡くなる1週間前は、ほぼ1分おきに母や私に電話が来て困ったが、その時は父なりに世を去る不安、寂しさ、心残り、感謝などをわかって欲しかったのだろう。父は未送信のまま逝ってしまったが、今、それに気づけて良かった。

父から母への未送信メッセージ


その他 やったこと(整理・市役所へ行く)

1)大量のものたち

文房具
 いつでも思いついた時にメモ を取りたい父だったので、至る所にメモ帳、筆記用具、ハサミ、電卓、ルーペがあり、母に厳選してもらい十分の一程度に絞ってもらった。

歯ブラシ
 洗面所からは未使用の歯ブラシが30本近く出てきて、1箇所に取り出しやすくまとめた。おそらく数年は余裕で保つだろう。

母のアクセサリー
 母のアクセサリーもこの際セレクトしてもらい、空いた父作の引き出しに綺麗に収めることに成功! 引き出しの左上には父の手書きでどの段の引き出しかがわかるように記されており、ここでも父の細かい芸を発見し「お父さんらしいね」と 母と思い出に浸ることができた。

メラミンスポンジを使ってピアスを整理した。私にも父の魂が入っている様だ。

 以上、父母のものの断捨離をメインに進めていたが、母から「次はあなたのアルバムや着物を整理してちょうだい」と言われ、いざ自分のアルバムとなると急に選べなくなる私がいた。着物は一旦引き取り、アルバムは携帯の写真に残す方針を伝え、来夏まで実家に残してもらうようお願いした。(今は携帯の空き容量もなく、夏までになんとかする予定・・・)

2)タクシーで市役所に
 母も私も車の免許を持っておらず、地方での行動範囲は制限が多い。手続き関連では市役所に行くことが多く、今回はタクシーで往復してみた。
 帰りは途中でスーパーに寄ってもらった。誰かに車を出してもらうお願いをしないと動けないもどかしさがあるなら、必要な時にタクシーを使うのも一案だと理解してくれた様子。

 余談だが 地元の市役所はわかりやすいレイアウトで、インフォメーションも各課の方もとても丁寧だった。ただ、来訪者が使えるコピー機が置いていないのは痛かった・・・

3)カードの解約
 父は複数クレジットカードを持っており、その解約手続を電話で行った。本人からの申請でないためオペレータとの直接連絡がほとんどだったが、どのクレジットカード会社も最初にお悔やみの言葉があり、それだけでも気持ちが和んだ。
 ほとんど電話で解約手続が出来たが、家電の保証があるカードは解約すると保証もなくなるので、母名義のカードを作り引き継ぐ必要のあるものもあった。

そしてこれから

 この4ヶ月で母はストレスで背中が痛くなり、私たち姉弟はそれぞれ仕事をしながら手続をし、四人で連絡し合いながらなんとか進めてきた。
 遠方に住む親戚から頻繁に連絡をもらったり、お互いの状況の聞く機会も増えた。
 母も自分自身の痛みと付き合う必要性や、今後どう暮らしていきたいかを考えるよう変化してきた感じがする。
 認知が危うくなる前にやることはたくさんありそうだが、母本人と子供とで話をして決め、周りの方にも助けてもらいながらやっていくことになりそうだ。

 私自身、仕事への取組み姿勢をあらため、大学の勉強も休んでなんとかやってきた4ヶ月だった。きっと近くで父は見守っていると思うので、実家のことも仕事もライフワークも気責いすぎず、今はやれることを一つ一つやっていくかな、と思っている。

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