息子のPCR検査について考える

川崎病と診断された劇的にかわゆい愛息子が、入院先の病院でPCR検査を受けた。

コロナウイルスに怯え、うがい手洗い動線の消毒など、かなり徹底して暮らしていた。

志村けんが亡くなり、(呼び捨てなのは愛です。)人ごとではない、志村が死んだ!息子を守るために自分も守らなきゃ!夫、もっとちゃんと手洗いうがいせぇや!!と身を引き締めていたのに、まさか息子がPCR検査を受けるなんて。

コロナの疑いがあるからではないと言われたが、川崎病の症状とコロナの症状の類似性から検査を受けているのだ。
思いっきり疑いあるじゃんか。

他人ごとに考えるな、当事者ごとに考えろ。
なんとなくいつも頭の片隅に置いてある行動規範なのだが、流産した時もそうだけど、まさか自分の身に起きるなんてと言うのを我慢できない。

あの時も辛かったなぁ。

流産とはいえ胎嚢が出来ただけで、胎芽も出来なかった。
ただ中身を抱えることのなかった胎嚢は8周目まで成長し、私は手術をして短い妊婦生活を終えたのだ。
その時も、流産するとは思ってなかった。
流産する確率が思っている以上に低くはないことを知っていながら、自分は妊娠したら出産するものだと思っていた。
辛い悪阻があったのに夫の誕生日に処置手術することになるなんて、今回の件同様に想像もつかなかった。

起きている。
自分の身に、起きると思っていなかったことは起きている。

そもそも、自分の脳内なんて大したキャパじゃない。機能もそうだが容量だってない脳ミソだ。
そんな頭で考えてる範疇なんて、たかが知れてるじゃないか。
何を今まで買いかぶっていたのか。
気づいた途端恥ずかしい。
超恥ずかしいんですけどーーと言わんばかりに恥ずかしい。

それならば息子が検査で陽性であってもおかしくない。悲しいけど事実。
ただ熱が下がっている息子の現状を見ると、コロナ陽性で、完治することの方が川崎病より望ましいのではないか。
コロナは治るが川崎病は数年付き合わなければいけない。
でもコロナもいつ悪化するか、そして悪化する時のスピードと悪化の最悪の結末を知っている。

ぐるぐるグルグル考えるが、答えは出ない。
検査の結果を待つしかなかった。

検査結果よりもやはり現段階の息子が気になっていた。
家では日中は私がほぼ抱っこしているか、床置きタイプのメリーの下で、頭上を回る動物たちを見上げて過ごしていた。
相部屋だが息子しかいない、音のない病室。
コロナ騒動でより一層忙しいであろう看護師さん達。
寂しい思いをしていない訳がない。
泣いても構ってもらえない。
そう認識して欲しくない。
病気になる前、4ヶ月になると愛情を感じると何かで知り、今までよりもなおハグやコミュニケーションを多く取ろうと考えていた矢先だった。

息子は入院生活の3ヶ月を経て自宅に戻った頃、大人しくなってしまわないだろうか。
コロナの結果よりも、一番気掛かりなのはそれだった。

そんなことを考えて1日が経ち、病院から息子の検査結果が陰性だったと連絡が来た。
一安心した。二安心も三安心もした。

翌日から会えることにり、コロナの検査結果の心配に変わり、私を見た時どんな反応をするのかという心配が新たに出来た。
出産以前、身篭ってから1日も離れたことのなかった息子と初めて一晩離れた。
想像はつきもしない。
それもそうだ、たかが知れてる私の脳で考えても見当もつくはずないということに落ち着いたじゃないか。
そう分かってはいても考えてしまう脳を抱え、答え合わせの出来る明日に心を馳せる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?