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50歳の母がガンで亡くなった話①

ある本を読んでいて、ふと過去のことを思い出し、これから歳を重ねていくうちにその記憶が薄れていくのが怖いので、覚えている限りを書きます。
特におもしろくないし、楽しい話でもないのであしからず|ω・)

簡単にまとめると、母50歳、私が22歳のころ、母は大腸がんで亡くなりました。私が知った時点で末期のステージ4、たった2ヶ月半で息を引き取りました。その頃の母の気持ちは今後一生知り得ないので、私視点で起こったことを書きます。

2013年1月14日、母の50歳の誕生日でした。
大学3年で県外で一人暮らしをしていた私は、「誕生日おめでとう!ついに半世紀だね~」とあっさりとしたお祝いメッセージを送り、母からは「ありがとう~」とあっさりとした返信が来ました。

2013年4月頭、私は大学4回生直前の春休みに、大学の友達とディズニーシーに行きました。
母にその報告をしたら「春休みで人多かったろ~!お母さんも行きたいな~」と言うので、その年の秋ごろ一緒に行こうという話をしました。

2013年5月27日、私の22歳の誕生日でしたが、母が毎年送ってくれるプレゼントが来ませんでした。ただ、まだ何も知らない私は「今年はないのか~まぁいっか」くらいであまり気にしていませんでした。

2013年6月中旬ごろ、母から「誕生日お祝いできなくてごめんね。話したいことがあるので福岡に帰ってきてくれないかな。」とメールが来ました。
なにか悪い予感というか、あまり良くない雰囲気を感じましたが、まだ何も知らない私は、”再婚でもするのかなぁ” なんて呑気に考え、すぐにその週末に新幹線を取り兵庫県から福岡に帰りました。

新幹線でもうすぐ博多駅に着くよとメッセージを送ると、「実は体調がよくなくて病院におるよ。家にはおばあちゃんがいると思う。お母さんはお昼過ぎに家に戻るけん。」と返ってきました。
それまでずっと母は健康で、風邪もめったにひかないし、病院に通うことも私の記憶ではありませんでした。そんな母が病院に行っている。それだけで少し不安でしたが、まだ重病だとは微塵も思っていませんでした。

家に帰るとおばあちゃんが鍵を開けてくれ、母の部屋で待っていました。
お昼過ぎに母が帰ってくると「ごめんごめん、唯ちゃんが帰ってくるまでに戻ろうと思ったっちゃけど間に合わんかった~」とあまり体調は悪くなさそうでした。
私は母がいつも座っている座椅子に、母はその前にあるローテーブルに腰掛け、私に背を向けながら「お母さん、実はガンにかかっとうらしくて…」と切り出されました。私はあまりにも突然の衝撃を受けて、そのあと母がどのような様子で何を語ったかをあまり覚えていません。
ただ涙が出てきて、それを背中で感じたであろう母の声が少し震えながら、私を励ますように笑っていたことだけ覚えています。

帰り際、博多駅の地下でパスタを一緒に食べ、新幹線のホームまで母が見送りに来てくれて、いまだガンの詳しい状況を知らない私は、「秋ごろには元気になって、約束してたディズニー行けるかなぁ」と、今思えばあまりにも残酷な質問を、なんの悪気もなく聞いてしまいました。
母は「どうかなぁ」と、YESともNOともとれない言葉をぽつりとつぶやきました。今思えば母は自分があと2,3ヶ月しか生きられないと知っていたかもしれないし、あの時の私にそのことを伝えませんでした(言えなかったのかもしれない)。母にとって苦しい瞬間を作ってしまったなといまだに反省しています。

その時覚えている話としては、「今年の1月くらいから立ってるのがつらくて、ちょっと動いたらとても疲れるようになった。5月くらいにあまりにも体が痛くて病院に行ったら『こんなに痛いのによく今まで我慢してましたね』と言われるほどガンが進行していた。」ということでした。

長くなりそうなのでいったん切ります。



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