月光条例の感想(ネタバレ)
月光条例を読んだ。
面白かった、というか、独特の読後感(良い方)だったので、そう思った理由などを描いて行こうと思う。
最終回の話がメインになるので、ネタバレ全開です。
気を付けてね!!
この作品全体を通して、
①物語の登場人物は、人間に影響を与える友人として、
バーチャルに実在している。それなのに、
彼・彼女を都合よく悲劇の犠牲にして良いのか、という義憤。
②物語と言う都合の良い嘘に意味はあるのか。
あるとしたら、それはどのような意味なのか。
意味がないという人間VS意味はあるという人間は対立している。
みたいな思想を感じていて……私は……。
その思想が、ストーリーラインにしっかり食い込んでいるのがすごいな……と思うわけで……
①については、なんていうか、マンションなんかに住んでいると、隣の部屋の住人が何歳なのか? どんな人物なのか? 身長は? 人生は? 名前は? みたいなのが往々にして起こりえる。好きな漫画・アニメ・小説の登場人物のことのほうがよっぽどよく知っている。「すぐそばにいる、実在の人物」よりも、「物語の住人」の方が私たちの実質的な意味での隣人であるし、友人である、という事実が先ずある。
その上で、「実際の人物よりも確からしい存在であるところの物語の登場人物を、勝手に悲劇にしていいのか?」みたいな話をチルチル編?でお出しされて、それまでの単発(ここまでは作者の物語解釈を聞くターンだった)の話から趣が変わり、は~そういう話にしていく!? と感心したことを書き残しておく……。
それで、「物語は実際に起きたことではなくても、物語自体は実際に存在しているし、登場人物は実質的な友人で足り得る」ということを肯定したうえで、「それでも、作者の意図をないがしろにしてはいけないし、悲劇はこころの毛布で足り得るから、それを否定してもいけない」っていうような結論も、物語の愛好者に優しいと思う。
基本的にこの話は、フィクションを肯定していて、それは作者さんが物語をたくさん読むことによって救われてきたんだろうなあ…と言う気がするし、基本ポジティブな人なんだろうな…と思う。陽の作者。
マッチ売りの少女に「不幸でもいい」と言わせるのは、焼肉屋さんのキャラクターが笑顔の豚さんが「美味しく食べてね」と言っているのを見る時のような独特の「それでいいの?!」というドキドキがあるというのは同意するんだけれども、物語が好きで、物語の登場人物に感情移入してしまう人間がたどり着く、現実的な解だな、という感じがした。
②については、主人公である月光が、「物語を一切読んだことのないクリアな存在」から、物語の登場人物たちとの交流によって変化していく様を表現することや、物語によって救われている読者たち(モブ)の存在を表現することによって、「物語によって、人間は寒い心の毛布を得たりしているんだ」ということで「虚構の物語が実在することによって、人間はポジティブな変化をもたらす」ということが先ず描かれている。
一方、「物語によるポジティブな影響を受けた月光」の対比として、「物語を読みまくって歪んでしまったオオイミ」も描かれている。
オオイミは嘘を嫌うし、物語は嘘だとして禁止されている世界観の長なのに、物語にバリバリ影響を受けていて、そこには矛盾がある。これはなんていうか、「子供のころにアニメとか漫画に影響をバリバリ受けて育ったくせに、あんなの絵空事、子供だましだよね、とシニカルな視点でとらえる、自称合理的で理性的な大人こそ、物語が自分の友人だったという現実から目を背けている」っていう思想を私は勝手に感じてました。
「嘘を禁止されている世界観の住人」であるところの月の戦士のデザインで目が物理的に存在しないのは、「物語を読めない、読まない立場」というのを示している気がするし……。
最終決戦は、「愛しい御伽噺のキャラクターたちを消した」(エンゲキブ談)=「自分にとって大切である架空の人間たちの存在を否定し、なかったことにしようとしている存在」に対して抵抗している、ので、別作品の主題歌になってしまうのだが「大人になれない僕らの我儘を一つ聞いてくれ」(カサブタ)がずっと頭の中で流れてましたね……乱暴に言ってしまうと、「大人VS子ども」みたいな感じの趣がある。
物語を否定しているそ側の立場(オオイミ)でさえ、元々は物語に強い影響を受けているのである、ということを書いているのが特に……。
「人を従えて威張り散らかしている」「かつて楽しんでいた物語を虚構だと否定している(ただしバリバリ影響は残っている)」「他人を利用することに躊躇がない」「しかし、妻や子どもを大切にしている」とかいうのが、オオイミ、いわゆる権威のある大人の誇張された表現であるような気がしていて……
こういう(大人VS子どもの)ストーリーが、①のストーリーを語られた後に持ってこられるのが上手いというか、とことん「物語の登場人物は実在している人間と等しく、時にはそれ以上に友人足り得る」ということをこれでもか!!!! とお出しされた後だから出来る話だな、と思うと、いやストーリーの組み立て上手すぎか???? となる。
月光条例の話において、物語の住人はマジ物の友人だものな……。この辺り、「物語の登場人物と友人になれたら」みたいな空想のかけらを感じて、正直序盤は作者の夢小説読んでるみたいだなって思っててすみませんでした。それだけで終わるはずがなかった。
最終回で「月光条例」の世界での「月光条例」を書くことになるのも、ラーメン屋さんの常連に自分を序盤で描いていることからも本当に上手くて笑っちゃった 伏線回収が上手すぎんか????
最終回、というか物語の構造の話
文章能力がないので雑な図にしましたけど、この話の構造が上手くて最終回手を打ってしまったっていう話
さっきもちょろっとかいたが、序盤は作者の夢小説を読んでいるような気分だったので、フヂタカズヒロ、みたいな名前の常連客がラーメン屋に来ていてもそういう文脈かと思っていたんですね……。
もしくは手塚漫画とかにある楽屋表現、メタ表現というか……。
でも、最終回を読んで、「あっ、これがやりたかったから?!??!!??!?!?!」ってなってま~じですごいなってなり……一話の段階から、最終回で一話を描こうって思えるのすごない? すごい。
最終回で、「月光条例の世界でラーメンをすすっていた藤田和日郎先生はからくりサーカスの連載中だったので、月光条例の世界で次の作品として月光条例を描くし、それは現実世界における月光条例とは違う結末になるだろうし、その結末については現実世界における月光条例を読んでムーンストラックされているはずのきみたち読者が考えてくれ!!」っていうの、最終的に我々読者を作者の立場にしようとしてくる~!!!!!!!! って思って泣いちゃった。物語構造のスゴさに。
普通の話で「続きは読者が想像してね」みたいなオチをやられると「きっちり答え出しなよ!あなたが始めた物語だろ!」というイラつきが心をよぎるタイプの性根の悪さがあるのですが、月光条例に関してはもうそういう構造の話だったんだな。という説得力がすごくて白旗ですよ白旗
入れ子構造もものすごい
「現実世界で生きている私たちも神という読者がいる物語の登場人物」みたいな示唆までされて(エンゲキブに)、バークリーを思い出したが……。知覚されないものは存在しないが、全ては常に神によって知覚されているから存在している。みたいな話をちょっと変えると、我々が知覚していることによって物語は存在しているんだな……みたいな話をしています
物語の住人は読者の記憶や認識の中でしか存在していないけれども、逆に言えば記憶や認識の中で存在しているのならそれは実際に存在しているのと同じ……寄り添ってくれるんだぜ……みたいな、物語に対する賛歌を感じる……。
主人公の月光が持っている役割の多さもすごい
図にはかかなかったけどここに普通に「成長するヒーロー」とか「闇落ちした少年」みたいなのまで乗ってくる それを各章で焦点をズラしてお出しされてくるのにキャラクターとしては一貫性があるのがすごいね……
最終巻の盛り上がりがすごい漫画だった……というので書きました。
私は宮沢賢治の話が刺さらないというか、普通に嫌だなこういう人…というタイプの人間なので、中盤とデクノボーを連発されてそこはちょっと辛かったが……あれは本歌取りみたいなものであの文脈で「デクノボー」といわれたら理想像がわかりやすいし、かぐや姫の時代と現代を繋ぐ中間地点にいる日本の物語の作者ときたら確かに適任だな、ネームバリュー的にも…と思います。
あと、私は左側のページの右下の子だと思います。
(目の形と唇の影で判断)
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