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おやすみボックス

 わが国でも“おやすみボックス”がついに解禁された!が、それがなんなのかわたしにはよくわかっていない。さっそく届いた小包みを開けてみると·····?

 やわらかな青い光が、瞼越しにわたしの網膜を刺激する。目覚めたてのはっきりしない意識の中で、記憶に残る最後の光景がノイズ混じりのフィルム映像のように蘇る。

「そんな、嘘でしょ」

 小包みの中身を確認するわたしの背後で、母が銅製のグラスを床に落としたのが聞こえた。「まるでドラマのワンシーンだな」—カラカラと音を立てながら転がるグラスの音を聞きながら、わたしは自分が置かれた状況を意外なほど冷静に理解したのだった。

 どうやら既定の睡眠時間が経過したようだ。これが予定どおりの目覚めであるのなら、あの日から30年が経過したことになる。

  今から40年前のアメリカで、人間の冬眠を可能とするナノ・テクノロジーが開発されたことを契機として、WOP(World Optimization Project:世界最適化プロジェクト)と称される取り組みが世界中で立案され、実施された。

 当時、有限の世界に無限の夢と理想を描き続けてきた人間社会は、人口過多による資源不足という深刻な問題に直面していた。1世紀以上前から予見されていた事態であったにも関わらず、よりよい生活を無謀にも求め続けたことのツケであることは明らかだった。

 ないものはあるところから奪う。人間が動物であることの当然の帰結ともいえるこんな行動を世界中の国々が選択した。軍事力を背景にして、隣国の領地や領海を奪う政策を掲げる政党が支持を集める当時の世界の様子は、さながら餌を与えてくれるボス猿を褒めそやす野猿の群れと大差なくわたしの目には映ったものだった。

 5年もの期間に渡って、相次いで世界中で発生した略奪戦争が徒労であることに人々が気づき始めたちょうどその頃、あるアメリカの研究機関の日本人チームによって、人間の冷凍保存を可能とするナノ・テクノロジーの研究開発に成功したことが発表されたのだった。

 冬眠による世界適性人口の調整という名目で、この技術が、戦勝国による敗戦国の人口統制の手段とされるのに時間はかからなかった。当時、100億人に迫らんとしていた世界人口を1/3の規模にまで圧縮する目的を達成するため、世界最適化プロジェクトが世界各国で立ち上がった。

 一方わが日本は、といえば、見事なまでに専守防衛に失敗した結果、北海道をロシアに、九州を北朝鮮に、そして沖縄を中国に明け渡したことで、本州と四国のみを国土として保持する事態に陥り、これら3国から厳しい冬眠計画を突きつけられることとなった。減少傾向にあったとはいえ、それでも当時の日本の人口は1億人を越えるものではあったが、3国の要求を受け入れた結果、これを1000万人にまで減じさせる必要に迫られた。ところが、圧倒的な財政難と絶望的な食糧不足に頭を悩ませていた当時の日本国政府は、あろうことか、渡りに船とばかりに、積極的にこの要求に応じる判断を下したのである。

 その結果、15年間を単位として、15年から60年までの冬眠プランが国民に提示されることとなった。冬眠期間に応じて、冬眠が明けた際の生活保障の程度に差が設けられたため、中産層以上の生活が約束された45年以上の冬眠プランに人気が集まったという。もちろん、自主的な冬眠プランへの応募だけでは戦勝各国からの要望を満たすことはできなかったため、政府から強制的な冬眠令が発令された。わたしはこの対象となり、冬眠することを余儀なくされたのだった。

 このような経緯で、ナノ・テクノロジーを利用した集団冬眠計画、通称「ナノ・ハイバネーション計画」が日本国内で実行に移されることとなった。実際のところ、ハイバネーション(冬眠)とは言葉ばかりで、凍結した体内組織の膨張に起因する組織破壊のナノ・マシンによる防止処置を施した上での人体の冷凍保存がその実態であった。

 具体的な冬眠までの手続きは、政府より送付された注射器状のナノ・マシン注入キットを受領した冬眠令の対象者が、それを持参して、指定病院でナノ・マシンの注入処置をしてもらうという流れであった。ナノ・マシン注入キットと冬眠令状が同封された小包みは、SNS上においては「おやすみボックス」と呼ばれたが、その愛らしい名称とは裏腹に、太平洋戦争下の赤紙と同等のものとして国民からは忌避の対象となったのだった。

 ひとしきり、冬眠直前の記憶をなぞり終えた頃、わたしを保存していた生命維持ケースの扉が開いた。

 「おはようございます。お兄ちゃん」

 目の前に、とうに30歳は越えていると思われる女性の顔が表れた。彼女の胸元には、「ハイバネーション上級管理官」と記されたバッジがつけられている。

 「覚えていますか。小さい頃によく遊んでもらっていた、隣の吉住です」

 30年前の記憶が蘇る。とはいえ、冬眠していたわたしにはそれだけの年月が経過したという自覚がまったくない。しかし、その吉住を名乗る女性の顔には、当時まだ3歳ほどだった隣家の幼女の面影が確かに残っていた。

 「外に出たらびっくりしますよ。お兄ちゃんが知っている埼玉と今の埼玉は違うんです」

 彼女が具体的に何を言っているのか、わたしにはわからなかった。

 「それからこれ、多言語対応の電子辞書です。お渡ししておきますね」

 怪訝そうな私の様子を見て、吉住が説明を続けた。

 「現在の日本の第1公用語は中国語、第2公用語は日本語とロシア語なんです。もう日本にはアメリカ軍は駐留していないんですよ」

 そんな彼女のことばを聞きながら施設内を見渡してみると、たしかに、各設備の各種表示には、日本語、中国語、ロシア語が併記されていた。

 「この30年で、日本でもロシア由来のイスラム教がだいぶ広がりました。もちろんギリシア正教も。浦和駅前に建てられた立派なモスクには驚かれるかもしれませんね」

 実際にこの目で確かめるまでは実感は湧いてこないのだろうが、彼女が嘘を言っているようには思えない。「あぁ」とだけ、気のない返事をした私は、支給された衣服で身なりを整えると、所定の手続きを済ませ、施設の外へと踏み出した。

 施設の玄関ゲートをくぐり抜けると、眼前に海のようなものが広がっていた。だが、海であるはずがない。ここは埼玉県なのだ。

 施設から公道へと続く道を歩きながら、施設の退館時に渡された「現在の日本のご紹介」と題された電子パンフレットに目を通した。

 そのパンフレットでは、10年前、日本各地で発生した活火山による大規模な連鎖噴火により、本州の地形に大きな変化があったこと、現在の日本の現行通貨は中国人民元であること、そして、冬眠報酬はすでに政府が用意した個人口座に入金が済んでいることなどが紹介されていた。

 施設と外界を隔てている大きなアーチ門をくぐり抜けると、目の前に、見慣れない文字が書かれた大きな看板が私の目に飛び込んできた。

 「早上好(おはよう)」

おしまい

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