見出し画像

名無し

その店についたのは13時ごろだったと思う。
シンプルながらも清潔で感じのいい柄のあしらわれた暖簾をくぐり、
引き戸を開けると、若い店員がやってきて、
「すみません、いま満席なんですよ」と、眉毛をハの字にした。
リーフでも、デンタルでもなく、カタカナの「ハ」である。
縁がなかったのだ、と背を向けてもよかったのだが、
何分、感じのいい店だったので、
なるほど、では、のちほど改めて窺うことにしようではないか。
わたしがそう言うと、
「ご予約いただけるのですね、ありがとうございます、
それではお名前をちょうだいできますか」
と、店員は眉毛をほぼフラットなレイアウトに戻しつつ、
尻のポケットからペンを取り出した。
店員を賢いやつだと思わざるを得なかったのは、
そのとき、腰をきゅっと左に振ることで、
尻ポケに手が届きやすいようにしたからである。
そして、わたしは思い出した。
今、わたしに名前がないことを。
 
わたしの名前は、数か月前、わたしのもとを離れていった。
名前はコトバをもたないが、理由はなんとなくわかっていた。
一言でいえば、愛想をつかされた。
わたしは、それなりにかつてのわたしの名前を気に入っていたし、口にすることはなかったが、きっと一生、この名前と生きていくのだろうと考えていた。
小さいころからずっと一緒だったし、
大きな借金を抱えて毎日が火の車だったときも変わらずそばにいてくれた。
経済的に余裕があるときは旅行に行ったりもした。
名前は、わたしの一部で、切り離すことができないものだと感じていた。
おそらく、それがいけなかったのだろう。
名前は、すこしずつ存在感をなくし、そしてついには、姿を消したのだった。
 
若い店員は困っていた。
無理もない。
初めて訪ねてきた客が、突然、自分の名前との「事の顛末」を
身振り手振りをまじえて訥々と語り始めたのだから。
わたしは、少し同情するとともに、これが社会というものだ、と
年長者らしく教えを授けられたことに、いささか満足もしていた。
 
「09011577152」
なんだかんだあったが、
結局、若い店員には電話番号を教えた。
「では、ご用意ができましたら連絡いたします」
 
ふと横を見やると、
レジ前で落とした小銭を拾い集めている客がいて、
しゃがみ込むその姿に、わたしはアーノルド・シュワルツェネガーを見た。
 
引き戸をあけると、節操のない街には、
うっすらと雨の匂いが立ちのぼっていた。
待ちゆく人々は誰もがみな、今、この時を謳歌しているように見えた。
人々はいったい、どんな名前と生きているのだろう。
鼻先に水滴が落ち、足元のアスファルトに点々と染みがつく。
わたしは、傘もささず、
かつてのわたしの名前を、
懸命に思い出そうとしていた。