予後や治療方針が変わらない場合に組織型細分類にはどんな意義があるのか

# 実地臨床の枠組みの中における病理診断の意義

病理診断はたぶん重要そうだ,ということを大体多くの人が「なんとなく」知っていると思う.じゃあ何が重要でなぜ重要なのか,ということを聞いてみると clear cut に説明できる人は医者であったとしても意外と少ない.

現状の一般的な医療においては

受診 → 検査 → 診断 → 治療 → 完治あるいは予後の判定

という流れがあり,その流れの中で病理は検査から診断を主に担っている.病理診断の中でも細胞診は検査,組織診は診断という枠組みで語られることもあるが,細胞診,組織診いずれも「検査から診断」という幅を持った流れの中にあるためここではまとめて扱う.

もっというと,現在では病理診断は治療や完治,予後判定にまで役割を広げており,ただ診断という昔の概念のやり取りの考えで話をしていると理解しにくくなることが少なからずある.

# 病理診断とはある種の記号のやり取りのようなもの

かつて偉い先生が病理診断とは記号や符号みたいなものであり,診断そのものが重要というよりも,臨床医とコミュニケーションが取れていれば診断自体は何であっても構わないと言っていた.つまり診断というのは治療や次の行動に結びつくキーワードであり,その過程と解釈が適切に行われていれば,記号そのものには本質的な意義はないと.

まさにその通りで,その施設内でコンセンサスが出来ていれば,経過観察をする「進行癌」や胃全摘をする「慢性胃炎」なるものが存在してもよい,ということになる.あまりずれすぎてしまうと,少なくとも日本の保険診療の枠組みの中では不正請求,過剰請求と言われてしまうかもしれないが.

# 予後や治療方針が変わらない場合における組織型細分類の意義

この質問を思いついた人はかなり優秀で,我々病理医がこの問題に対して答えるのは実は難しい.病理診断に与えられている役割を振り返っても,治療や予後に寄与しない細分類は一見するとあまり意味がない.

例えば,軟部腫瘍はユーイング肉腫,横紋筋肉腫以外の高悪性度軟部肉腫は化学療法のレジメンは細胞が丸いか丸くないかによっている.丸くない肉腫は大体みんな同じような治療方針となる.ちょっと乱暴な言い方だけれども,基本的な考え方はそう.そういう意味では我々は難しい軟部肉腫の名前を覚える必要はなく,とりあえず悪いですと言えばそれで臨床的な需要は満たしたことになる.だって治療方針に変わりはないのだから.

これに対してしばしば「将来治療方法が見つかるかもしれないから」という答えが言われている.それはもっともであり,細分類をしておけば,医学が将来発展したときにその知見を利用して新しい治療法や診断法に結びつくかもしれない.

でもそう言われても多分質問者はもやもやすると思う.今の患者さんや診断をしている我々にメリットはないのかと.というわけでここでは少しずれた?答えをしてみようと思う.

# 中途半端に診断をすることの危険性

先ほどの例で言うと,紡錘形細胞肉腫は基本的に治療方針が同じなのだから,滑膜肉腫でも平滑筋肉腫でも同じではないか,という話であった.それは確かにその通りで,治療方針は部位や患者さんの状態,希望によって結構がらりと変わったりする.しかしこれが例えば紡錘細胞癌だったらどうなるだろう?癌腫となるので治療のレジメンが変わってしまう.紡錘形細胞だからと細かい検索をせずにそのまま診断を出して後々(治療方針も違う)別の疾患でした,というのは実はよくある話で,紡錘形だったらいいというのは結構危険をはらんでいる.

そりゃ肉腫と癌は全然違うものだからこれは細分類の話でもないし,そもそもの分類を間違えているだけでしょ?と思うかもしれない.しかし組織像がけっこう似ているが全く別の系統の疾患というのはよくある話で,高悪性度肉腫というカテゴリーの中で疾患がクロスするのならまだしも,癌と肉腫をまたぐような紛らわしいことは実際しばしばあるし,間違えると目も当てられない.

間違えたら当然訴訟で,,,はなんとかして避けたい.臨床からは良悪性だけでいいと言われているが大外しをしたら傷が大きくなるから,なるべく間違えたくない.さあどうするか.

(現在一般的に理解されている水準で)細分類を行なってしまえばよい

細分類ができた,ということは他の疾患の可能性の否定もある程度はできていることになるので,大外しをしている可能性がぐっと減ってくる.(出来るかどうかは別にして)細分類をすること,試みることが結果的にリスクの軽減に繋がっている.

診断をしていると常に□□の可能性,〇〇の可能性は?と考えることが多い.もしそこに特異的な所見があって当てはめることが出来れば,ブレがほぼゼロになり誤診のリスクを最大限に抑制することが出来る.細分類をしたがる,というのはただの趣味ではなく,病理医の自己防衛が働いているとも言える.

このことは本質的には臨床医も同じであり,よくわからない疾患を見ているときほど不安なものはない.経過観察しかないしやることに変わりはないとは言え,何が起こるかわからないのは診る側からすると結構ストレスフルである.本人も病名が分かって安心するということもある(結局治らないのに診断がついて安心した,という話も聞く).必ずしも意味を持たずともきちんと分類して安心したいという要望は現在の診療で求められておりで,もっと言うとこれは人間の本質的な欲求なのかもしれない.

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