サンプル:「具体例から始めてみよう!」

具体例から始めてみよう!

こんばんは!どどたん先生です!さて,この本は病理診断に関するあれこれを説明する本です.

立ち位置としては「スパルタ病理塾」とか「臨床に役立つ!病理診断のキホン教えます」といった本のパクリと思っていただいて構いません.基本の基というのは誰がどう書いてもだいたい同じような内容になります.

ちなみにこの手の本のさきがけとしては真鍋先生の外科病理学入門だと個人的には思っておりまして,英語でいうと The Practice of Surgical Pathology: A Beginner's Guide to the Diagnostic Process あたりがそれに相当します.ただ実際問題として本当の初心者にとってはどの本も結構難しく全部読んだという人は少ないと思っています.どういうことかというと,顕微鏡の使い方からしてろくに理解していない医師あるいはメディカルスタッフが病理診断をマスターするのは敷居が高いということです.

さて,これから話をしようとする病理診断が何たるかを一言で説明するのは意外と難しくて,まずは端的な具体例を通してこういうものなのかと雰囲気を感じ取ってもらえたら結構です.ここでは習得すべき細かい知識というものはなく,こういう流れで病理診断というものが進んでいるのか,という概観が理解できればそれで十分です.

なお,これから提示する症例はすべて実在する症例ではなく,どどたん先生が日頃経験する,よくある症例を単純化あるいは改変したものです.よって何らかの実際の症例に酷似することがありえますが,それくらい一般的なものなのだと理解してください.

55 歳男性の虫垂切除検体

我々が行う病理診断 pathological diagnosis は検体の切り出しから始まり,診断の報告書を書くまでを指していることが多く,患者さんの診療という点においてはどちらかというと定点観測的な仕事です.小さい組織をとって性状を調べる生検 biopsy もそうだし手術材料 surgical specimen でもそうですが,その時点での状態を示しているに過ぎず,患者さんにとってはその前も,そしてその後もあります.

だから我々が病理診断をするときにはその前後というものを常に意識しておく必要があります.非腫瘍性疾患は特にそうですが臨床的な文脈から切り離された病理診断はしばしば意味を失います.逆もまた真なりで,臨床的な文脈に裏打ちされた病理診断は非常に堅牢です.

臨床情報を読んで見る

大抵の場合,臨床情報は簡潔に書いてあります(本当は詳しい情報がほしいし,臨床医にはそのようにいつも口を酸っぱくして伝えているのですが現実的にはなかなか難しいです).さてなんと書いてあるか見てみましょうか.

急性虫垂炎で虫垂切除術を施行しました.お忙しいところ,大変申し訳ありませんが病理診断をよろしくお願いします.

多分この申込書を書いた臨床医は過去に上司から「お忙しいところ,大変申し訳ありませんが…」という下りを必ず入れろと習ったのでしょうね.逆の立場になるとすぐわかりそうなものですが,このような文章は不要です.診断に寄与する情報ではないからです.とはいえ,変に形式にこだわる病理医が全くいないとも言い切れず,肯定的あるいは否定的な選択がなされた結果このような表現が生き残ったのでしょう.

さて,ここから読み取れる情報は,申込書に記載のある年齢,性別を合わせると

55 歳男性,急性虫垂炎の臨床診断で虫垂切除術施行

ということになります.文字通り読めばその通りですが,ここで想像力(+臨床的な視点)が必要になるわけです.

1 つ目は年齢的な視点です.通常虫垂炎は若年の方が多いです.55 歳という中高年でも虫垂炎を起こすことは経験上ありえます.しかし,高齢になってくると,いわゆる通常の虫垂炎に加えて腫瘍による閉塞性の虫垂炎も頻度としては無視できなくなります.例えば回盲部に腫瘍があって,それにより虫垂入口部が閉塞をきたして二次的な虫垂炎を起こしたのではないかと.そうすると腺腫のような腫瘍性病変はないのかと疑えるようになります.

もう 1 つは解剖学的な視点です.虫垂炎として切除されてくる検体で,カタル性虫垂炎 catarrhal appendicitis は非常に炎症自体が軽微です.また虫垂炎の臨床診断で開腹術を行うも,肉眼的には異常はなかったけど虫垂を取ってきました,ということもたまにあります.そのような症例の中には回盲部炎や回盲部周囲炎が虫垂に波及していた,ということもしばしばあります(術前の画像診断では鑑別が難しいこともあるようです).

切除された虫垂を見たときに炎症が乏しいということは必ずしも病変自体が存在しないということではない,ということもきちんと理解しておく必要があります.

ちなみにですが,虫垂炎には慢性虫垂炎 chronic appendicitis という臨床的にはある程度知られている疾患概念ではあるけれども病理学的には確立したものはないものもあります.我々病理医としては慢性虫垂炎という診断はつけにくいというのが実情です(確固たる組織学的診断基準というものが存在しないので).

病変の肉眼像を見る

まず肉眼像(マクロ,macroscopic finding)を見る上で重要なことは何でしょうか?きちんと言えますか?それはこの検体が該当する患者さんのものであるかどうかを確認することです.

なんだ,そんなことかと思われるかもしれません.そんなのは医療安全の講習会や授業で耳にタコができるくらい聞いているよと思うかもしれません.しかし実際問題として病理診断界隈でトラブルになるケースで比較的上位に位置しているのが,この左右の間違えや検体の取り違いです.もちろん診断内容が誤りだったという誤診もあるにはあるのですが,難しい診断であれば見解も変わってきます.また病理医と臨床医が難しいということを認識できていれば,そうそう大きな手術をすることはないのでトラブルに発展しにくいという実情があります.

とにかく検体の取り違いについては慎重に注意する必要があります(実際どどたん先生の病院でも数年に 1 回位の頻度で何らかの取り違いが発生しています,もちろんそれを防ぐ手段や早期発見する方策を行ってはいますが).

さて検体が本人のものであることを確認した上で,次にすることは大きさを測ることです.いろいろな流派がありますが,ここではどどたん先生が最初にならったやり方で行きましょう.

まずは最大径を測定してそこに直行する径,さらに直行する径で 3 次元の大きさを記入します.数字は大きい方から記載するのと,単位は一般的には mm が好まれるようです(どどたん先生は cm で書くのが好きです).確かに cm と mm を混在させると間違いの要因になりえますが,143 x 56 mm と言われてもなかなかピンと来にくいというのが個人的な感想です.

次に肉眼所見を取るのですが(観察を行い特徴的な像を認識することを「所見を取る」といったりします),まずはオリエンテーション orientation を確認します(正確には大きさを測るときにすでに確認しているはず).

オリエンテーションという言葉はあまり日常生活では聞かないと思います.大学に入学したときにオリエンテーリングという授業を受けた人もいるかもしれません.端的に言うと検体の位置関係を把握することで,例えばこの虫垂切除検体であれば,虫垂の根部(切除断端)はこちら側で,先端があっち,こっちが内腔側であっちが漿膜側で,といった具合にどこがどこなのかを決める作業を「オリエンテーションを確認する」といいます.虫垂の場合は関係ないのですが,左右を確認することもその中に含まれます.

虫垂はびまん性に腫大をしていて,部分的に出血をしています.壁は一部もろくて漿膜面には白色調の膜状物質が付着しています.肉眼的には壊疽性虫垂炎 gangrenous appendicitis が示唆される所見です.

何をどう切り出すか

さて,これからこの虫垂検体を切り出して,ブロックを作る必要があります.細かいことを述べていると時間切れになるので他所で話をしようと思っているのですが,簡単に言うと最終的にはスライドガラスのあの標本ができないと顕微鏡で観察できないわけです.

スライドガラスの上には約 3 μm (0.003 mm)というかなり薄い検体が載っています.じゃあどうやって 3 μm にまで薄くするのか.一般的に薄く切るためには硬くする必要があります(例:かき氷).そのために硬いブロックを作る必要があるのですが,ある程度小さく切らないとその硬いブロックを作れません.その工程に入れるように約 2 cm 程度で厚さ 5-6 mm 程度のカセットに検体を入れる必要があるので,そのカセットに入るように病変の中で質的診断に重要な部分を切り出していきます.

このカセット(結果的にはブロック,そしてスライドガラス)を何個作ればいいか,という基準はありません.臓器によってはだいたいこれくらい作ったほうがよいという大まかな目安はありますが少なくとも保険診療においては何ブロック以上作りなさいという規定は存在しません.完全に自由なので,同一検体に対して 1 ブロックしか作らない病理医や施設もあれば,10 ブロック以上作るところもあります.これは普段はなかなか語られることのないもので病理診断の標準化というものを阻害している要因(≒我々が失職しにくい要因?)であったりします.

とはいえ虫垂炎の場合はだいたい 1-2 ブロックです.単軸方向に数箇所切り出しをするか,あるいは長軸方向に切り出して虫垂壁全層が出るように切り出しをすれば十分です.

標本を作る過程も実は重要なのですが,ここは病理診断に関する本であることからこの部分は端折ってしまいます.

標本を観察する

さて,標本が出来上がってきました.これを顕微鏡で観察します.顕微鏡の使い方をきちんと理解していない人って意外と多いです.両眼視できますか?できなくても問題ないです,そのうちできるようになります.自転車と一緒です.ガチャ目であったとしてもできます(どどたん先生は視力 0.1 未満と 1.0 のガチャ目ですが両眼視で来ています).

まぁそんな心配をしなくてもそのうちバーチャルスライドで診断できるようになってくるとパソコンの画面で済むようになる日が来るかもしれません.

顕微鏡で観察するときもオリエンテーションの確認は重要です.いきなり 20 倍や 40 倍の対物レンズで観察していませんか?まずは低倍の対物レンズ(4 倍,できれば 2 倍程度が望ましい)で観察します.なぜか?これから観察しようとしているものがどこなのかがわからないと見ているものの意義が変わって来るからです.好中球浸潤が強いとしてそれが粘膜面なのか,漿膜面なのか.漿膜面であれば腹膜炎になっていると判断されるわけです.このオリエンテーションの確認,ということはどの過程においても重要で,いつでも確認する癖を身に着けておくといろいろな場面で役に立ちます.

さて虫垂壁の粘膜固有層から漿膜下脂肪織にかけてびまん性に好中球主体の炎症細胞浸潤が見られ,漿膜面にはフィブリンの析出を伴っています.ちょうど肉眼的に観察された,白色の膜状物質がフィブリンに相当すると考えられます.腹膜まで炎症が波及しており腹膜炎の所見です.腹腔内では痛覚は腹膜にあるとされているので,多分お腹が痛かったはずで臨床的に反跳痛が見られているはずです.まさに腹膜炎の症状です.

壁が脆かった部分は固有筋層がほぼ消失しており虫垂壁の構造が不明瞭になっています.肉眼的にも言いましたが組織学的にも壊疽性虫垂炎の所見です.虫垂炎としてはギリギリで切除できたというところです(穿孔してしまうと腹膜炎がひどくなり入院日数が増えてしまうので).本検体の中には腫瘍性病変はなさそうです.

診断を記載する

本検体は次のように記載します.基本的には診断と所見という2つの項目から構成されています.

診断:Acute appendicitis (phlegmonous appendicitis), appendix, excision

診断は慣習的に英語で書くことになっています(おそらく英語のほうが表記のブレが少ないためだと言われることがありますが,本当のところは不明です).細かい書き方は流派によって異なっており,appendix, excision の代わりに appendectomy という表現が使われることもあります.

所見:虫垂切除検体.50x43x15 mm. 肉眼的には虫垂はびまん性に腫大をしていて,部分的に出血をしていました.壁は一部もろくて漿膜面には白色調の膜状物質が付着を認めました.組織学的に虫垂壁の粘膜固有層から漿膜下脂肪織にかけてびまん性に好中球主体の炎症細胞浸潤が見られ,漿膜面にはフィブリンの析出を伴っています.肉眼的に壁が脆かった部分は固有筋層がほぼ消失しており,虫垂壁の構造が不明瞭になっています.急性虫垂炎の所見で,壊疽性虫垂炎に相当します.悪性所見を認めません.

所見は肉眼所見→組織学的所見の順番で書きます(そっちのほうが自然ですよね?).臨床医にとっては癌か癌じゃないかを気にすることが多いので(まぁ当然といえば当然ですが),最後に「悪性所見を認めません.」とか no malignancy とか書くことが多いです.

診断を出したあとは?

虫垂炎の場合は診断を出したあとは特にすることはありません(上で書いたように癌じゃなければそれで良い苦笑).しかし癌の場合にはその後の治療をどうするかということを考える必要があります.

例えば乳癌はエストロゲンレセプターやプロゲステロンレセプター,Ki67 の陽性率,HER2 蛋白から亜型を判定し,どのような追加治療を行うか判断します.

といった具合に病理診断の結果に基づいてその後の治療が決まっていくわけです.もちろんその中には患者さんの希望だったり臨床医の好みなど様々な要素が関わっていくわけで,病理診断だけが規定するわけではないのですが.

例えば虫垂炎の病理診断が虫垂癌で切除断端に腫瘍が露出していれば追加切除やリンパ節郭清を検討することになるでしょうし,もし癌の転移であれば原発巣がどこか,検索をするために PET CT などを行うことになるでしょう.このように病理診断を行っていく上で常にその後どのような治療や検索が行われるのかを常に念頭に置いておく必要があり,全体を見通した上での診断を行っているのです.

この章を終えるにあたって

今回提示した例は非腫瘍性疾患で臨床的にも比較的ストレートな虫垂炎であったので,鑑別診断や免疫組織化学染色といったものは登場しませんでしたが,診断をどのように行っていくかという基本的なスタンスは理解していただけたかと思います.

次の章からはここで述べたアウトラインをそれぞれ掘り下げて,何をどう考えていくのかについて説明していくことになります.

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