我々病理医が診断するときに考えていること

このノートでは病理医が標本を診断をしているときに考えていることを書いて出してみます.このマガジンでは病理学の知識の詳細には突っ込まずに一般的なことを中心に書いていきます.

# 標本を見る前から

なにごとも準備が重要です.これは病理診断に限ったことではないのですが,そもそも標本を見る前からスタートしているのです.

ごく当たり前のことですが,そもそも標本として顕微鏡の前にあるという時点で一般的な人から外れています.普通の人は病院に来たりはしませんし,ましてや生検(組織の一部を採取して顕微鏡下で観察すること)や手術で臓器を摘出することはかなり珍しい事象です.その意味で,すでに普通とは違う,という認識が必要なのです.

どうしても病院で務める時間が長くなると,この感覚が鈍りがちですが,このすでに違うという感覚が必要で,我々のところに標本が来ているだけですでに何かしらの異常があるという認識は誤診を防ぐ意味でもとても重要です(具体的に言うと何も見えない標本から何かしらの異常を探し出そうというモチベーションにつながることになります).

臨床医も患者さんが入る前から診察は始まっているとしばしば言います.もちろん入ってから診察でも構わないのですが,より素早く,より適切な診断をするためにも診察室に入ってくる前の情報というのは重要だったりするわけです.医学生の中には「こんなことを実践している先生なんてほとんどいないよ」と感じるかもしれませんが,だからこそこれを実践することで他の先生よりはるかに優位に立てるわけです.

# 正常に対する感覚をどれだけ持てるか

例えば消化管生検に限って言えば,我々が見ている標本の多くは非腫瘍性疾患で,癌は少ないです(ただしここらへんは施設差が強く,大学病院やがんセンターなどでは癌患者が紹介されてくることが多いため癌の比率が相対的に高くなります).

また非腫瘍性疾患でもただ単に「悪性所見なし」と返すだけでなく,ランタン沈着症や腸間膜静脈硬化症といった特異的な所見を呈する場合もあります.ただ,これらの組織学的所見はとても軽微であり,油断しているとしばしば見逃してしまいます.

これらの異常を見つけるためには数多くの正常を見ている必要があり,正常とはどういうバリエーションがあるのかということを把握しておく必要があります.結局のところ,うまく癌を見つけることができる勘のいい先生というのは,いかに正常組織を意識的に見ているかということに尽きるのです.

# 見えている事象を言語化すること

ここらへんは昔から T Fujisawa 先生あたりが何度もおっしゃっていたことですが,我々(また放射線科医もそうですが)は肉眼的あるいは顕微鏡的に見えている事象から必要な要素を抽出して言語化するという価値判断の作業なのです.

その価値判断を臨床医が役に立つようにあるいは,ほかの病理医と著しい相違が起こらないように,そして何か新しい発見ができるように日々努力をしています.

他の診療科と病理が根本的に異なる点があるとすればこの点で,我々病理医は業務の大半を病理学的事象の言語化に費やしています.これがまさに診断という作業であり,我々の業務の完成品である診断報告書なわけです.

# 診療全体の中での立ち位置を常に意識すること

臨床医の先生方からは我々は診断しかしていないというような批判めいた発言を受け取ることがあります.確かに診断しかしておらずその通りなのですが,それにはかつて研究の片手間に診断をやっていた時期やモチベーションの低い病理医の存在がそのイメージの定着に一役買ったことは否めません.

我々病理医としては,例えば生検診断(腫瘍の一部を採取して診断をつける)は患者さんが病院に来てから診断や今後の治療方針を決めるための重要なポイントであるし,手術検体の診断(手術で摘出した臓器の診断をつける)は最終診断の確定やさらなる追加治療の可否を決めるために立ち止まる重要なポイントだと考えています.

昔と違って分子標的薬の適応を決めたり(まぁここらへんは本当に病理が必要なのかという疑問は若干あるのですが苦笑),治療効果判定など診断だけではなく治療に対しても病理は積極的にかかわるようになりました

仕事をする上では自分たちがどこに立っていて,何を求められているのかを常に意識する必要があります.

# 臨床医の考えるその先を意識して報告をすること

この様な時代において,我々は常に自分たちの書いた病理診断報告書が臨床医にどのように活用されるのかを意識して書いています.どんなに正しい診断をしていても,それが臨床医にとって意義がなければ意義は半減してしまいます.

例えば,胃生検で癌と診断しうるほどの組織が採取されていても,相当程度の進行癌と記載されていれば,術前化学療法を行う可能性も考慮されます.最近であればトラスツマブという分子標的薬が胃癌に対して適応があり,追加で HER2 の免疫染色や FISH のオーダーが推定されるので,そういう時は先回りして「癌の診断自体は可能であるが微小検体であり腫瘍量は極めて少なく分子生物学的な検索は難しい」旨を記載して,必要があれば再生検を促しています.

# 最後に

ここに挙げたことは特に病理に限らずごくごく一般的なことですが,診断に特化した専門家としてはこういうことを考えながら日々診断をしています.

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