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僕的な「ハイブリッドに生きる」とは。
おはようございます。
百々サチオです。
今日は名古屋のホテルから書いています。
僕の大好きな時間のひとつに「ホテルでの朝食」があります。
これはいつからでしょうか。
二十代前半の学生の頃に、ホテルで食べた朝食バイキング(今はビュッフェとオシャレになってますね)が、とにかく楽しくて、
「いつもそんなに食べないでしょ」
って言われちゃうくらい、おかわりしちゃったり。
そんな経験ありませんか。
僕はあの無料で、好きなだけ食べて良いんだよ、って言うあの場が大好きでした。
野菜は当時から好きでしたので、京都に一人旅なんkした時に、京都駅の地下街のお野菜がたくさん食べれるバイキング形式のお店で、たくさんお野菜を頂いたのが今でも思い出されます。
昨日今日と名古屋のホテルに2泊しますが、ホテルで何もしないで良い、という時間の中に身を置くのは、僕にとってなんとも穏やかで、緩まります。
「何もしなくていい」というのは、家事とか掃除とか、生きていくたために日々しなければいけない事のことです。
それらは日々大切に扱ってきたつもりだし、むしろそういう何気ない生活の業務を淡々と丁寧にこなす、
その毎日こそ大事で、ちょっと不便だけど、本当に豊かなはずです。
その家事によって、あなたの目の前の家族みんなが、僕が今ホテルで何も気にせず穏やかでいるように、
リラックスして過ごす時間を作り出しているのですから、本当にそれはお金に変えがたい、豊かで素晴らしい行いなのです。
「家族を想いながら」
僕も自分にそう言い聞かせながら、家事を行なってきました。
ただ僕はやっぱり自己中なので(笑)、時々忙しくなってくると、そういう大義を忘れて、家族のことなんか考えられずに、イライラしてしまうという真逆の状態になってしまったりするのです。
これは頭では理想を持っているけど、日々行動していくと、いつのまにか埋もれてしまい、行動が伴わなくなってしまう事が、定期的に訪れていました。
理想と現実とま言いますが、まあその狭間で動きながら葛藤している訳ですね。
この話にも二極の在り方が混在しております。
僕という人間は基本こういう構造なのです。
「2つの相反するモノが混在する」
それをハイブリッドと呼んでいます(笑)
茅葺き古民家でシンプルな暮らしをしたい。
囲炉裏をして、五右衛門風呂にして、天井抜いて真っ黒な梁をみせて、畑を耕して、味噌や醤油も手作りして、、
って言う暮らしに向かって今少しずつ近づいていっているんです。
最近はうんちに関しても改めまして、トイレットペーパー不使用で、庭に生えているフキでお尻拭き始めました。
また川のほとりでモヨオシマシテ、「野で大」をしてみたりして、
「地球と繋がった」「循環してる〜!」
なんて嬉しくなったりもしています。
でも、僕ウォシュレットとかあったら使うし(だって気持ちいいじゃないですか!)、
葉っぱ無ければトイレットペーパーも使います。
現代の暮らしや資本主義的な消費やお金の回り方に違和感を持っているから、「ちょっと不便商店」なんてのを始めているわけですが、
こうしてスマホも使いたいし、車も必須だし(コンビニまで40分だからね)、
オシャレなカフェでコーヒーとヴィーガンチーズケーキとか食べたいし、
ホテルの朝食ブッフェも楽しみたいのです。
ちょっと不便商店ではお金(円)の代わりに、エネ(エネルギー:労力、物々交換、未来払い/恩返しみたいな)で買えるっていうのやってます。
これは資本主義社会真っ只中の現代日本社会の中で、
「お金がなければ生きれない」
っていう概念というか、TwitterとかFB見てると、
みんな「月収100万6ヶ月で達成」とか、
「その方法教えます」みたいな感じで、それも売り物になっていて、それにはやっぱ「円」でやり取りがなされていて、そういう人達みたいになりたい人が多いみたいで、フォロー数もたくさんあって、
みんなこういう生き方を求めているんだなーって思っていたりして。
僕は全く真逆というか、お金は僕も必要だし、無いと困るし、そこはみなさんと同じなんだけど、
「お金で交換とか取引しなくても、この現代資本主義社会を生きれるんじゃないか」
っていう実験を僕はしたいという感じなんですよね。
なぜこんな事になったのかというと、
さっきの「月収100万」とか、スゴイなー!良いなぁー!って正直思うけど、
いざそれを目指して行動しよう!ってなると、なんか途中でやる気無くなっちゃうんですよね。
なんかそういう目標だと頑張れない。
でも何か引っ掛かる。
同じような気がするけど、何か掛け違えてるっていうか。
うまく言えないけど、僕はお金稼ぐぞ!って目標じゃない方が良いのかもしれないなって思い始めたんです。
お金を払わないと手に入らないものとか、取引できないものってあるけど、
お金なくても取引できるものもあるよなってわけです。
そう思い立って、大阪にいる時、多分2、3ヶ月前だけど、
とあるマルシェで
「お金払わない代わりに、何か手伝いするので、これ買えませんか?」
って意を決して尋ねてみたんです。
すごく緊張したけど、その農家さんは「ええー」っと驚きながらも、
「じゃあ田んぼ手伝ってください!」
って承諾してくれて、初めて「お金」を介さず、「エネ」で(今回の場合は労力で)、取引成立できたんです。
お金にすると2000円くらいの買い物でした。
美味しいパンとジュースを家族みんなの分いただきました。
そういう成功体験があって、僕は健康体なので、働くことはできるし、その農家さんのためなら時間も労力も注ぎたいって思ったから、良い取引ができたんです。
後になって、これは意外と重要だなって思ったのは、
「交渉する相手は自分が好きだなって思う相手じゃないといけない」
って事です。
なんか嫌だなとか、ここ商品とか応援したくないかもっていうお店には交渉しないです。
やっぱりお金を介さない分、エネルギーっていう目に見えないものでやり取りしますから、
そこには「気持ち」も思いっきり乗ってくるわけで、下手な気持ちでやると良い取引にならないなって思いました。
とはいえ状況は色々ありますから、一概には言えません。
取引して、相手と話してみないとわかりませんよね。
そんなことを僕は隙アラバやっていきたいって思ってます。
だからお金介さないで生きようとすると、人と仲良くなれるのかもなーなんて人嫌いな僕が挑戦しているのです。
っとなんかハイブリッドの話が、エネの話になっちゃってますが、
まあ一緒ですね。
「お金」を使わない。「お金じゃないエネ」を使う。
その真逆のモノを両方やってみて、バランスとって、その共存を面白がっていきたいんですよね。
とはいえ、僕もまだまだ「エネ使い」が下手くそなので、日々実践中です。
エネって言ってるだけで、そもそも恩返しみたいなモノだし、お金介さずに何かを人に与えるとか、もらうとか、みんな何度も経験している事なんですよね。
それをあえてエネって強調しているんですが、僕は逆にそういう「無償で与える」みたいな愛に溢れる人間じゃないから、そこにも憧れていたりして、だからこそ、僕みたいな自己中人間がこういうこと発信しているんだろうなって思ってます。
長野の木曽で初めてひとり暮らしをした時、隣に住んでた当時92歳のおばあちゃんに僕は散々たくさんのモノやコトを頂きました。
お金に変えられないような、まさに「エネ」を大放出するおばあちゃんで、僕は湯水のように湧き出るそのおばあちゃんのエネを、これでもかと言わんばかりに受け取り、吸い込んで、たくさんたくさん与えてもらったんです。
僕には色々カルチャーショックだったので、こんな社会とか人とのつながりがあるんだって本当呆然として、ちゃんと恩返しできてたのかな俺はって思うこともあります。
去年101歳でそのおばあちゃんは亡くなって、お墓参りにも行ってきました。
ほんとすごい人でした。
こんなに与える事ができるんだって僕は上手く受け取りきれなくて、
当時24歳の僕はまだアダルトチルドレンに向き合う前で、木工の会社でも代表の方や、先輩職人とケンカしてしまったりして、
結局木曽は2年も居ないで、僕はフィリピンに行ってしまいます。
とにかく当時の僕はまだ中学生の気持ちのままで、人を恐れて、攻撃的な面が全身から漏れ出していました。
特に大人の男性に対する警戒感が強かったです。
これは親父や兄貴に対するイメージがそのまま引き継がれているからでしょう。
なんか話がまた逸れてますが、僕は木曽のばあちゃんみたいな人になりたいって思ったんです。
お金じゃなくて、お金以外のモノで人を元気にする。
木曽のばあちゃんは本当すごかった。
でも比べ過ぎないように、自分らしく生きたい。
それはいつも思っていないと、僕はすぐ流されてしまうので。
なんでしょう、ハイブリッドの話でしたが、伝わってますでしょうか。
あらゆる面で僕は二極化しています。
それをハイブリッドと呼んでます。
この二極化している部分はまた今度別の記事にしていこうと思います。
っと、こんな人間ですが、なんとか生きてます。
また書きます。
ありがとうございます。