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自分を知る第一歩に。

「何でも出来る」という自分を作り出していた。

子どもの頃から同じことをしてきたし、それを事あるごとに表して、自分を決めつけてきた。

「勉強もできるし、運動もできる、万引きだってできます」

みたいな。

何でも出来るヤツだけど、それが何なん?みたいなところもあって。

器用ゆえに色々やれば出来る、というマルチな能力もあるけど、

本当に自分がやりたいこと、

自分の本質が求めているものをする事に恐れている、
という事に気付かされた。

木を扱うこと、木工、家具製作

高校生の頃から始めて、憧れてきた事だったけど、

いつも木工一本でいくこと恐れて、四畳半商店としてフィリピンの手仕事メインの中に、ちょっと家具作ってます、みたいな弱気がまさに僕の恐れを象徴していた。

四畳半商店始める前は、木工だけじゃ大変だから、という理由で、

これからは英語とITだ!

なんて思って、海外顧客向けIT形エンジニアを目指して、2年間だけ大手IT企業に勤めてみたり、

四畳半商店をしながらも、僕はアダルトチルドレンだから、過去に向き合って、心理学とか学んで、虐待とか子どもの心理とか、

そっちが僕の向かうべき道なんじゃ無いか!

って思って、通信制大学通って、公認心理師を目指してみたり、

児童養護施設の職員になろうと、埼玉県内の児童養護施設数件見学行ったりして、

今だって主夫もできるし、家事もできるし、ふんどし一丁にだってなれる。


僕はそうやって色々手を出して、無意識に何でもできると思っているから、

でも実はその「何でも出来る」が大いなる問題であったりして、

それは自分のやりたい事を、本当にやるんだっていう覚悟と決意がなかった器用な男が、

それ以外の要素をたくさんくっつけて、なんとか自立しようと歪んで進んでしまった。

そんな感じだ。

張りぼての人形。

芯には不安な思いがあるだけ、

僕は何でも出来ることを良い事だと思っていたし、
それ自体は良いと思う。

ただそれを使って、あるいは利用して、
覚悟を決めることを先延ばしにしていたんじゃないか。

本当に向き合う事に恐れていたんじゃないか。

今の僕には家族がいる。

ぶつかり合って、足引っ張り合うけど、向き合うことの出来る大事なパートナー理央さんがいる。

応援してくれたり、メッセージくれたり、気遣ってくれる人達がいる。

もっと委ねて、自分を信じてやってみて良いんじゃないか。

僕は今回の吐き出しも、鬱状態も、今読み返すとやばいエネルギー低くて、やばいねって自分でも思う。

それくらいどうしようもなかったんだろうね。

理央さんに伝えることができなかった。

問題や不満、不安を伝えようとせず、

相手や周りを否定して、攻撃して、自分を生きず、他を責める。

正当化し、人のせいにする。

そんな弱さを逆手にとった、人間のずるさ。

いろんな自分の内側にある悪を見つけた。

僕は理央さんと協力して生きていかないと、多分一人じゃ生きれない。

「いやそれみんな一人じゃ生きれないよ」

って感じだけど、僕は一人で生きれるんだって意地になっていたんだと思う。

だからもっと伝えていく時間と機会を2人で作っていこうと思います。

またそれぞれ、ひとりで内面の声を聴く時間を定期的に設けようと思います。

少しずつ夫婦のバランス、各々の生き方のバランス、どんな風に生きていくのがお互い無理なく、心地よいのか、

少しまたわかって、自分の言葉もよく理解させてもらえる機会になった。

理央さんは気付いていたけど、まあ問題じゃないし今は言わないで良いかな、って言うことを今回伝えてくれて、それが冒頭の「何でもできる」人間のことだったり、

お互い毎日会うし、一緒に暮らしているし、当たり前になって、気づけない事もすごく多いんだと思って、

2人でそういうこと伝え合う時間作ろうと決めました。

苦しみはひとりで抱えちゃいけないなってこと。

相手に伝えてお互い話すことがとても実は大事なんだな。

あとは木工を自分なりに続けて行くこと。

淡々と木に触れて、作って、表現していきたい。

ワラジ作りもやりたいな。

おっと、またやりたいことが増えてしまう。

でもうまく飽きないように、やっていきたい。

飽きやすいんで。


しかし、糸島気持ちいいなー。

移住したいってなってきてる(笑)

海の力が気持ちいい。

この地の力のお陰だなって思います。

ありがとうございます。

また進んでいきます。