見出し画像

ワニはいかにして死ぬべきだったのか。

「100日後に死ぬワニ」というTwitter漫画があった。
これは100日後に死んでしまうワニが日常を過ごす様子が描かれた漫画で、何気ない日常4コマに毎回「死まであと○日」とカウントダウンが必ず書かれており、モヤモヤとした無情さや理不尽さがえも言われぬ味わいを生み、ジワジワと話題となっていた。

先日、100日目を迎え、漫画も終わったのだが、30分ほどすると「書籍化決定!映画化決定!」と商売気たっぷりのプロモーションが流れていた。
フタを開けてみれば「100日後に死ぬワニ」は電通絡みの案件で、そもそも商業の目論見の下で展開されていたコンテンツでした、というものだった。

ワニを楽しんでいた人たちは嫌気を示す人も一定数おり、ハッキリ言ってシラけた空気となっていた。
その中で「Twitterユーザーは電通が嫌い」や「情緒がない」というような内容や、SNSの分析めいた言説もあったが、個人的には違うような気がしているのと、違和感を覚えたので文章に起こしてみようと思い、書いてます。

結論から言えば、SNSの種類も企業もお気持ちも関係なく、単にプロモーション・ブランディングの失敗なんじゃないかなと僕は思っています。
でも間違い探しって簡単でだれでも出来るから「失敗なんじゃないかなと僕は思っています(キリッ」とか偉そうに言うことでも無いですよね。
今少し恥ずかしくなりました。

そもそも、SNSの種類や電通に限らず、背景に団体の意図や商業色を強く感じる物事は、好まれないだろうと感じます。

例えばグレタ・トゥーンベリさんがアレだけ好印象として扱われていたのは、”個人の活動が波及した結果”というブランディングが効いていたからなんじゃないかなと思う。
アレが「○○という環境団体が座り込みを行い」とかだったら、シーシェパードの匂いを感じるんじゃないかと。

ラッセンの絵の評価がモニョモニョするのもあまりに商業的な利用をされすぎた事に起因しているだろうし、天野喜孝氏の絵を販売している業者が一部でモニョモニョ言われるのも、アートへの気概より商売気が強いからだろうと思ってます。
※ 追記:ラッセンの絵も同じ業者が売ってました。

他方、こういう団体意図だとか商売気を乗り越えてくるものもあって、例えばアイドルの複数タイプCDの販売なんてメチャクチャ儲けに走ってる(あとオリコンへの意識も強い)けど、コンテンツの魅力が遥かに上回っているから商売気込みで買ってしまうんじゃないかなと思う。

名探偵コナンやクレヨンしんちゃんの映画が出て怒る人はいなけれど、ぶっちゃけアレだって商業の一貫だ。
それでも、見に行った人は「面白かった」とニコニコしている。

要するに、モノ自体の魅力が団体意図・商業色を超えられているかどうか、というのが一因にあるのかなぁと思う。
ここを超えられないコンテンツは、お金を払ってもらえないのかな〜と。

また、コンテンツに対して「自分が好きで選んだ」という気持ちが得やすいと、認知バイアスも絡んでより面白いと感じるんじゃないかなと思う。
いきなり「はい!実は商業目的の作品でした!楽しかったでしょう?」って言われれば、虚像に恋をしていたような気持ちにもなり、認知的不協和から憎らしく感じもするんじゃないかなぁ。

この「コンテンツ自体の魅力」を増すためにも、いきなりプロモーションをバーンと行うのではなく、徐々に情報解禁をするべきだったのかなと感じました。
1週間〜1ヶ月かけて「実は書籍化のお話が…」「実はグッズ化のお話が…」とゆっくりと話を進めれば、好んでいた人としても「おお、ワニがこんなに有名になったのか!」と悪い気分にはならなかったんじゃないかな。
ユーザーのペースと売り手のペースが合わなかったのではないかと思います。

いきなりプロモーションが始まったことに対して「死に対して”喪に服す”期間が必要なのに、情緒がない」という言説に関しては、色々と”日本人”的な気持ち悪さが滲んでいるなぁと笑ってしまいました。

架空の死に対して配慮の無さを指摘しているけど、恥ずかしいほどに自分たちも配慮が無い事に気づいていないわけです。
「100日後にどうなるのかな?ワニ死ぬのかな?」と架空の死を楽しんでいた立場だって、ある意味では配慮が無いのでは?

言外の忖度を望んでいる態度にも、なかなか皮肉を感じます。
“情緒”と言っているけど、結局は「せっかく楽しんでたのに嫌な気分にさせるんじゃねぇ、配慮しろや」ということを言ってるわけですよね。
偉い人に対しての忖度はけしからんと怒るのに、自分たちの忖度は当然のように望んでいるという姿勢には思わず苦笑いです。

理屈・理論ですべてを表すことはできないだろうけど、意外にこういう内観をキチンと考えて、自分がなぜ不快になっているのかということを考える人だとか、そもそもこういった物事・出来事の構造はどうなっているのかなとか考える人は少ないんだな、ということも、これらの反応から感じました。

虫の鳴き声(voice)という表現はわりと独特らしく、海外では音(sound)として表現するんだよ、なんて話を聞いたことがあります。
もちろんこういう面に情緒を感じる根底の感性があるんだろうな、なんてことは思うんですが、反面こういった"情緒"で物事を考える力を失い、ダイナミックなお気持ちを振り回す人も少なくないんだなぁと実感。

総評すればプロモーションの早さで失敗したんだろうな、と思うんですが、逆にTwitterのトレンドは2日で変わるという分析結果を見たこともあるので、このタイミングの見極めは難しいだろうなぁとも思います。

なお、30日ほどで誰も話題にしなくなる、とも言われています。
確かにもう誰も槇原の逮捕とか話題にしてないですね。

これからワニは人々の言の葉にのぼらなくなり、本当に死んでいくんだろうなぁ。
情緒がありますね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?