鈴木隆嗣くんとパンプキンと豊田真奈美
友人の鬼籍入りをネットで知ることがあった。
もう10年くらい前のこと。知らないメアドからのメールを受け取った。
「兄が急逝しました」
鈴木くんの弟さんが、落ち着いてから兄のパソコンからメールのやりとりをしていたすべてに送ったものだった。
3月に亡くなっていたのだけど、その知らせは既に初夏のものだった。好きだった台湾・台北のホテルで急死したという。
鈴木くんと出会ったのは中国語の学校だった。彼は帮助(お手伝い。アシスタントですね)と来ていたのだけど、帰り道に香港映画やプロレスの話をして仲良くなったのだった。
いろいろ詳しいなあと思っていると、撮影の技術のひとだったのでした。音声さんだった。
当時、テレビ東京で放送していた「週刊歌謡マガジン」がレギュラーで、その他にプロレスの収録を行っていた。
その中でも「週刊プロレス」ビデオ増刊の「豊田真奈美 麗」という香港ロケをして帰国した時には「ビクトリアピークのこの場所にサインがあるから、見に行くといいよ」と言っていた。今は変わってしまったから見ることは出来ないけれど。そうそう、その頃に出たばかりのBBMプロレスカードに豊田真奈美選手のサインを入れてお土産にもらったのだった。
そんなビデオを先日ヤフオクで入手。当時は高かったからねー。
最後のNG集を観てびっくり!
カメラがズームアウトした時に、スタッフさんが写ってしまうNGなのだけど、鈴木くんがしっかり映っている。
パンプキンは解散してしまったけれど、豊田真奈美選手を見ると、鈴木くんのことを思い出す。
当時のプロレス会場で撮影クルーだった(といっても新日本や全日本以外だが)ひとで、彼を覚えているひとはいるだろうか。なかなかシャイな奴だったからな。そんなことを思い出す夏の夜。
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