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第4回 5月15、16、17日 医療活動報告 「復興と復旧」

月に1回のペースで、能登・七尾方面への医療支援に伺っています。

15日夜から移動開始、翌朝に金沢市内へ到着。
16日の午前中は、ご協力いただきました会社の一つ、「クラスコ」さんを訪問させていただきました。
ご対応いただいた方は、ご実家が珠洲市で、ご本人は初詣へ行っているときに震災に遭われたとのことでした。ご家族の皆様は全員無事でしたが、ご実家が全壊され、避難所で数日生活されていたそうです。

震災直後から約1ヶ月間の珠洲(地元に残る人と、地元から出る人)

輪島市の被災状況は、早期からSNSをはじめ、主要メディアで拡散されていましたが、珠洲市の情報はほとんど伝わっていなかったそうです。珠洲市内の被災者がSNSで被災情報を発信してから伝わりはじめたそうです。

ここで、SNSの重要性を強く感じます。

老若男女、多くの方がスマートフォンを所持している昨今、生き残るためには、SNSによる発信方法を普段からできるようにする必要があることを強く感じました。1月1日でしたらか、帰省していた若者がそばにいたから情報拡散できましたが、帰省時期でなければ、普段が高齢者ばかりの地域ではもっと情報が伝わらなく、被害が拡大していた可能性が高かったことでしょう。

消防関係一部の方が、想定外の被災状況に統率困難となっていたそうです。各地から駆けつけた、自衛隊・消防の皆さんを案内することが大変で、若手の消防署員が先頭になって、彼らを案内・誘導して救助が始まり、1ヶ月の時間外勤務が300時間を超えてしまいました。ご家族の元に行きたくても、救助を優先された皆様には本当に頭が下がります。

どんなに強い使命感がるエッセンシャルワーカーであっても人は人です。心はあります。知り合いの消防士さんの奥様が流産され、様々な理由で退職されたそうです。

平常時では組織は滞りなく機能するでしょうけど、緊急事態になると、色々なものが見えてきます。

ちょっと厳しい言い方になりますが、同じ奥能登出身であっても、金沢などの地域に出て就職する人、奥能登で就職する人、考え方がかなり違うそうです。それは、私も肌感覚で感じています。

例えると、緊急事態であっても、平時と同じように対応しようとする、臨機応変ができにくい、やろうとしてもストップや制限がかかる・・・

地の時代に馴染んでいる多くの日本人に共通する課題であると思います。

七尾市の避難所(体育館と文化ホール)
現在の七尾市は、体育館と文化ホールの2カ所に集約されているそうです。5月16日には上記避難所へ行ってきました。(以前から行っていたところです。)

タイトル写真は体育館での一コマです。とんがり帽子の個室がずらっと並んでいます。ダンボールの扉、窓となっているので、基本的にはプライバシーは以前より守られています。しかし、家族であってもバラバラのダンボールシェルターですから、家族のコミュニケーションは低下しています。

復旧した方々、復旧には程遠い方々、七尾市内でも二極化
金沢市内はちろん、七尾市内でも震災は終わったような空気が強く感じます。七尾市内で築年数が古い建物は半壊〜全壊が見られ、大部分が小規模被災のようです。市内の飲食店は普通に営業しております。(七尾市内の重鎮と言われている各業界の方に夕食をご馳走になりました。調理に水が必要な海鮮料理も普通にいただけました。)
とても複雑な気持ちになります。
七尾市内でも復旧が当たり前のようです。でも、人口は年々減少傾向ですので、復興を見据えた計画を進めていただたらと私は思います。

元々が医療を受けるのが困難な地域では
5月17日は、能登湾付近の、大呑地区に行きました。南大呑郵便局にドクターカーを駐車し医療を提供しました。
この地域は、ほとんどの家が小規模の被災で済んでいるため、ほぼ復旧の状態でした。むしろ、他の地域で被災した方々が親戚を頼って移住しているようです。
先月知り合いになった「Tさん」は、このパターンで、自宅が全壊していても避難所にいなかったため、全く食料などの支援は受けられなかったそうです。避難所内での格差がつらかったとおっしゃっていました。それでも、なんとか仮設住宅に当選したとの明るい話題をいただきました。「今更住宅ローンを組んで自宅を建てることなんでできないよね、300万円ほど援助があってもね。」と、複雑な表情をされていました。「それでも前を向いて生きていかないとね。」というお言葉に覚悟を感じました。
前回、タラの芽をいただいた方の点滴治療をさせていただき、ようやく受け入れ始めたかも、と感じました。

復興か復旧か、選択するのは誰?
これだけ全国的に人口減少が進んでいる状態で、震災前の状態に復旧することは、誰の目に見にても困難であることはわかります。
能登が大ピンチですが、逆にチャンスかもしれません。
チャンスはピンチの顔をしてやってくる
復興は困難ですが、一気に人口減少と高齢化が進んだ能登地方で、画期的な対策ができたら、「能登モデル」として、全国、いや、世界に広がるきっかけとなると思っています。
その、一つが「ドクターカー」だと思っています。





みなさまからいただいたサポートは能登での支援活動に100%使わせていただきます。ドクターカーでの活動報告も、随時行っていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。