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地球の健康診断

「そやし水」から見える世界観は、聴診器から聞こえる鼓動と一緒。

10日前より今年初の「水もと」無添加の仕込み。
やはり大荒れ模様です!笑笑
良い意味です。

夏井お手製の、泡消しが活躍してくれてます。

早いもので、無農薬・無肥料栽培で米作りを始めて19年。どぶろく醸造をスタートさせて18年。私も今年で40歳です。

今回お話させて頂くのは、私達の醸す「水もと仕込み」。私達の代表作である「どぶろく水もと」のお話です。

今回育てた「そやし水」酒母は、去年の10月末に仕込み発酵日数で80日。健全な育ちを見せてくれました。このそやし水は、私達のフラッグシップ的な味わいの「水もと仕込み」となる物です。その「そやし水」を使用し本仕込みの醪が現在発酵中の画像の物となります。

ここ立て続けに、出荷させて頂きました「水もと仕込み」無添加、2020年9月ロット・2020年11月ロットは、「そやし水」の段階での酸の質をフルーツ酸にした物。その「そやし水」酒母にて本仕込みを行った「水もと仕込み」無添加。
このタイプの「水もと仕込み」の特徴は、白ワインやグレープフルーツ、パイナップルにも似た酸、渋味が特徴の「水もと仕込み」なんです。

今回仕込みの、「水もと仕込み」無添加は、香り・酸味・旨味・甘味のバランスの取れた味わい。

この「そやし水」を変える事によって、味のバランスを優先させるのか、フルーツ酸なのかを変える事が出来ると言う訳です。

どぶろくは日本酒と違い、全く濾す事を法律で禁止されています。早い話が、発酵している醪その物なんです。

固形物がそのままですから、どぶろくを何年も熟成などと言う考え方すら無かったわけです。

それでも、私は「どぶろく」に熟成を求めて研究し続けました。流石に常温熟成は無理ですから、冷蔵庫熟成となります。この点は、1年通して春夏秋冬と仕込みをしてますので、醪の性質上ご勘弁下さい〜笑笑。

何故、そのような考えになったのか。それは、どぶろくが売れなかったから。

当時、色々とある問題の中で1番はこれに尽きました→私の醸造技術の未熟さから、本当に不味いどぶろく。不味いから売れない、在庫はたまる。保管冷蔵庫はパンパン。タンクを空けて、仕込まないと研究出来ない。

そして、「どぶろく」にまとわりついているイメージ。酸っぱくなる・甘酒みたいな味・季節商品・吹く!等々ありました。
東京の酒屋さんや、飲食店にクーラーボックスを背負い飛び込み営業をし、おしかけプレゼン!笑笑
そこで得られた生の声は、こういった声が多かったわけです。

酒屋さん達からしたら、当時全く認知度の無い私のどぶろくは、売れ残りのリスクがありました。
売れ残る=生々どぶろくは悪くなる。

売れ残ったら→悪くなる→廃棄
となりますから、やはり買い手はつきません。

そうなると
売れ残っても→美味くなる→熟成
であれば 1ケース位はお試しで仕入れてみるか!になるよなぁきっと!と考えたわけです。

そして、歴史的に見ても大昔に「どぶろく」をとことん追求した可能性は無いに等しいのでは?と考えました。

濾すとい事を考え清酒とし、生酛の技術で安全でクオリティーの高い清酒が、あっという間に広がった。農民が醸す「どぶろく」、現代においての密造酒としての「どぶろく」はあっても、職人が醸したブラッシュアップされた「どぶろく」は無かった。並行複発酵という形は、日本酒と一緒で世界でただ一つの形。そして、日本酒よりも歴史がある。

となれば、世界と戦えると当時21歳の私は思ったわけです。(単純な男だなぁ。笑笑)

と話はそれましたが、どぶろくを2年・3年と瓶内熟成させるには、まずは酸味・渋味が必要と私は考えました。

そこで必要となるのが「そやし水」酒母です。

この「そやし水」の種類を変える事=菌の住処を整える事が最も大切です。私達人間の好みも十人十色であるように、住み着いてる菌達もまた、好みが違います。

仮に、住み着いてる空間は一緒であっても、食べる好みが違うみたいなイメージですね。

もちろん、原料はお米のみですからお米の持つ、重要性は言うまでもありません。

お酒造りにおいて、このような言われがあります。
「一麹、二酛、三造り」。
ここから、更に下って考えてみましょう。

麹にしても、酛にしても、造りにしても、全てはお米があってこそ。お米がなければ醸したくても醸せない。そのお米も、土があればこその恵み。

お米は何処から生まれ何処へ還っていくのか?

昔は土から生まれ、土に還ると言うイメージが、スッと出てくるように思う。
現在はと言うと何処から生まれ、何処に還そうとしているのだろう?
還ろう・還る・還って行く、と言う言葉よりも、還そうと言う言葉やイメージが先行して頭の中に出てくる。

お米の意思、自然界の意思を尊重したイメージを持つ事が、とても難しい時代に入っているように思う。全ては人間の、都合の良い意思の元で行われているのでは?そんな事を日々考えてしまう。

人類と言うカテゴリーの中では、昔に比べて平均寿命が長くなったというが、宇宙の中の惑星と言うカテゴリーでは、地球の寿命はどうなったのだろう?

今、私達の目にみえている土の多くは、はたして健康なんだろうか?地球は健康なんだろうか?

私達が病気になる時、病は足音も無く忍び寄り、気がついた時には手遅れ。なんて話をよく耳にする。だからこそ、社会の仕組みの中に健康診断を組み込み義務付けしている。ストレスが誘発している病は数知れず、心のケアも叫ばれている。

地球もまた生き物だとするならば、一体誰が地球の健康診断をするのだろう。心のケアをするのだろう。

ストレスや癌が、私達の体を蝕むように、人類が地球に対してストレスをかけていないだろうか。人類が癌になってはいないだろうか。

健康な体と心を育むのに、健康な食事や休息が必要ならば、それらを産み出してくれている元は何処にあるのだろうか。
人間が多くを開発し、作り出してきたように、行き過ぎた部分を戻すのも、私達人間にしか出来ない事。

私達は、お米造りを通して、地球の健康診断を行う。周りの木々は土の中の微生物達の代弁者。微生物達は地球の代弁者。健全な発酵は、健全な土から生まれ、私達の体内へと運ばれる。

その健全な身体を使い、食を手がけお金を得て生活する。そこで得たお金で、地球の健康診断をして行きたいと日々思う。

気がついたら、いつものごとく話が土の話へと!笑笑

やはり、私達の仕事はいつも言ってる通り
「声なき者の声を聞こうとする事。姿なき者の姿を見ようとする事」。これにつきるといつも思っています。

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