歴史に学ぶ企業経営#3
どーも、「どばしんだんし」です。
歴史に学ぶ企業経営、本日は事業承継をテーマに失敗例として「武田勝頼」、成功例として「黒田孝高(官兵衛、如水)」のエピソードをご紹介します。
事業承継
まず本日のテーマである事業承継ですが意味は
事業承継=会社や事業を次の経営者に引き継ぐこと
です。
つまりは会社の代替わりのことです。
上場企業であれば経営者≠株主であり、経営者を決める際のルールや手順も明確ですが、中小企業の場合は経営者=株主であることがほとんどなので自分の後継者は自分で決めなければなりません。
最近では従業員の中から後継者になるケースや、M&A等で社外へ承継というケースも増えてはきましたが、まだまだ親族内の承継、特に子供(義理の子供)へのが半分を占めています。
<参考;事業承継した経営者と後継者の関係>
子供への承継の“強み“と“弱み“
子供への承継が多いということはそれだけの“強み“や利点があるということですが、具体的には
・周囲の理解が得やすい
・資産の移動がしやすい
・経営者教育がしやすい
・若い後継者の新しい知識や技術が活かせる
などがあります。
逆に子供への承継の“弱み“や問題点としては
・後継者の資質や意欲の不足
・生え抜きの社員と後継者の軋轢
・親子間の感情、関係性の問題
・他の子供がいた場合の格差
などがあります。
当然ながら親子での事業承継にも“良い点“と“悪い点“や“強み“と“弱み“があるわけですが、会社だけでは無く親の事業や役目を子供が引き継具という風に事業承継に意味を広げると日本の歴史の中にその例は枚挙に暇がありません。
失敗例 武田勝頼の場合
「武田勝頼」といえば甲斐の虎「武田信玄」の跡を継いだ後継者ですが、信玄時代の古参家臣からの信頼を得られないまま長篠の戦いにおいて織田・徳川軍に敗れ衰退、滅亡の道を歩みます。
勝頼さん自身は若くから戦で武功も挙げ、後継者として決して資質や意欲が低いわけではなかったのですが、いかんせん父親が偉大すぎたのと、身分の低い側室の子という出自によってなかなか信玄来の家臣からは認めてもらえなかった様です。
そうなると勝頼さんも功を焦り、また古参家臣の話は耳にかさなくなったりと更に関係性が悪化してしまいます。
そうしたなか、長篠の地で織田・徳川連合軍とあい見えるわけですが、長篠の戦いはよく「武田の騎馬隊VS織田の鉄砲隊」という対比で描かれますが、実は武田軍1万5千VS織田・徳川3万8千という倍以上の兵力差がある戦いでした。(人数には諸説あり)
当然古参の家臣は撤退を進言しますが、勝頼は戦位を決め結果は惨敗。どのくらい惨敗だったかというと死傷者数が武田軍1万人に対して織田・徳川軍はわずか60名程だそうです。
これにより武田家は多くの有力家臣を失い衰退し、その後は滅亡してしまいます。
「生え抜きの社員と後継者の軋轢」により事業承継が失敗した例として「武田勝頼」をご紹介しました。
勝頼さんにはこんな言葉を送りたいです。
逃げるは恥だが役に立つ
成功例 黒田孝高の場合
「黒田孝高」と聞いてピンとくる人は少なくても「黒田官兵衛」もしくは「黒田如水」と聞くとピンときてもらいやすいのではないでしょうか。(以下、一番認知度が高いであろう官兵衛と書かせていただきます。)
官兵衛さんは信長、秀吉、家康の戦国三英傑に仕えた稀有の人でその能力は高く評価され、秀吉には「自分以外で天下人になれるのは官兵衛」と言わしめたほどでした。
普通上司にそう言われても「いやいや、そんなことないですよ〜」くらいで済みそうですが、秀吉が自分を脅威に感じていると察した官兵衛さんはそれを聞いて剃髪し仏門に入って野心は無いことを証明するほど思慮深く頭が切れます。
また、息子の長政を関ヶ原の戦いに行かせている間に自身は地元の九州を統一する画策をしましたが、残念ながら思いのほか短期決戦で決着が付いたのでそれは実現しませんでした。
後に官兵衛さんは「いくさが長引けばオレが天下をとれたものを」と嘆いたそうです。(そのいくさを早く終わらせた理由が息子の長政の活躍にもあるのがとても面白いですが)
そんなギラギラした官兵衛さんも徳川体制が確立すると天下は諦め晩年はのんびりと過ごされた様ですが、亡くなる1っヶ月ほど前から急にご乱心してしまします。今まで尽くしてくれた家臣たちを呼びつけては罵ったり嫌味を言う様になってしまったのです。
ご乱心を見かねた息子の長政が諫めようとすると官兵衛さんはこうささやいたそうです。
「お前のためにやってるんだよ。私が嫌われたら家臣たちも早く長政に代替わりして欲しいと望むだろ」(岡谷繁実『名将言行録』より)
このエピソードが歴史的な事実か創作かは証明が難しいところですが、切れ物の官兵衛のことですから自分が嫌われ役になって事業承継を円滑に行うなどと言うことは想定していたのかもしれません。
その後長政は初代福岡藩藩主となり、血筋こそ6代目藩主で途切れてしまいますが、藩自体は明治になって廃藩置県が行われるまで存続しました。
事業承継が成功した例として「黒田官兵衛」の例を挙げさえていただきました。
歴史に学ぶ企業経営
事業承継が良くも悪くも組織が大きく変化するタイミングだと言うことは過去の歴史を振り返ってみても明らかです。
企業を誰に引き継がせるか、どうやれば円滑に承継できるのかは経営者の最後にして最大級の仕事だと思います。
事業承継に完璧な正解は無いかも知れませんが、歴史の中に数多くの成功や失敗の体験があり、そこからヒントを得ていただくことで企業経営のお役に少しでも立てば幸いです。
事業承継に関してはまだまだ書ききれていない点も多いのでまたテーマとして取り上げていきたいと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。