歴史に学ぶ企業経営#4

 どーも、「どばしんだんし」です。

 本日は借金まみれだった米沢藩を立て直した「上杉鷹山」の功績をご紹介します。

 新型コロナの影響で経済的なダメージを負った企業が今後ますます増えることが予想されますので事業を立て直す際の参考になれば幸いです。

上杉鷹山(ウエスギヨウザン)とは

成せばなる 
成さねばならぬ 
何事も 
成らぬは人の 
成さぬ成りけり

 上杉鷹山の名前は知らなくてもこの名言を知っていると言う方は多いのでは無いでしょうか?

 この名言からも滲み出ている様に自ら様々な改革を成し遂げ、実質財政破綻していた米沢藩を再生させた立役者が9代目の藩主が上杉鷹山なのです。

 この鷹山さん、第二次大戦後は歴史の教科書にもあまり取りあげられなくなってしまい日本ではあまり知られていなかったのですが、第35代アメリカ合衆国大統領のジョン・F・ケネディが日本人で尊敬する人はという記者の質問に「ヨウザンウエスギ」と答えたことで一躍人気に火がつき日本でも注目を集める様になりました。

 海外で有名になって逆輸入されるという意味では今でいうディーンフジオカさんや大谷亮平さんの様な感じでしょうか。

 アメリカ大統領が認めるほどの日本人がどの様な功績を残したのかについてこれからご紹介していきます。


米沢藩の窮状

 歴史好きな方であれば「米沢藩」、「上杉」と聞いただけでピンときていると思いますが上杉謙信や上杉景勝を輩出したあの上杉家のことで、藩祖景勝から数えて9代目藩主が鷹山になります。

 それだけの名門が何故に困窮しているかというと景勝の時代に配置替えで石高(その土地でお米が採れる目安量)が120万石から30万石に減り、さらにその後半分になり、9代目の鷹山が藩主についた頃には石高15万石でした。

 収入が当初の1/8になっているにも関わらず藩士のリストラはせずに雇用し続けていたので人件費だけで収入の9割かかり、さらには格式高いお家柄のため様々な経費も嵩んで鷹山が藩主になって間も無くのことには赤字が年間20数億円、累積の借入が200億円ともいわれる巨大な額になっていました。

 現代の金融機関から見たら当時の米沢藩はハケ(破綻懸念先)もしくはジッパ(実質破綻先)に分類されるほど財政的に苦しい状況でしたが、鷹山の改革により息を吹き返します。

鷹山の改革

 鷹山が行った改革を分類すると

・ヒト(ココロ)の再生
・モノ、カネの再生

に分けられます。

 ヒト(ココロ)の再生では「民を豊かにする」という鷹山の思想のもと、荒んだ民の心を安心させるべく福祉政策を強化して子供や病人・老人が経済的に困らない様な施策をし人口増加に寄与したり、藩校を復活させ意欲があれば誰でも学べる様な環境を整えました。

 モノ、カネの再生では「名よりも実」をモットーにお堀の中で錦鯉を飼育し販売したり、家臣の庭先にお金になりそうな木を植樹をしたり、絹織物を名産品として売り出したり、鷹山自ら田畑の開墾を行ったりと活用できるモノはなんでも使ってマネタイズしていきました。

 これにより米沢藩の財政は劇的に回復し、鷹山の藩主着任から56年で最盛期には300億ともいわれた借金は完済することになります。

 万年赤字企業から見事名門復活を遂げることに成功したのです。

火種となる

 江戸時代には幕府主導の三大改革(享保、寛政、天保の改革)もありましたがどれもあまりうまくいきませんでした。

 三大改革と鷹山の改革が明らかに違う点は「民を豊かにする」そのために何ができるかという目的意識、そして自らがまず手本を示すという率先垂範です。

 その当時幕府や藩のトップは民のことを「油の様に絞れば税が取れるモノ」としか考えておらず、「民の為に何ができるか」という概念はありませんでした。

 また、幕府のトップは支持命令はすれど実行するのは部下に任せっきりになってしまいます。

 例えば三大改革でも「質素倹約」は求められましたがそれはあくまでお金を節約することが目的でしかありませんので部下にやらせることがメインになってしまいます。

 一方鷹山の「質素倹約」は自分が率先垂範することで周りに少しづつ認知してもらい最終的にはそれが民に普及し一人一人の問題になることが目的でした。

 財政改革となるとどうしてもモノ・カネの再生に目がいってしまいますが、まず最初に成すべきことはヒト(ココロ)の再生なのです。

 鷹山はよく火鉢の中の墨に自分を例え、自分の信念を燃やし実践することで周りの人たちにその火が燃え移りやがてそれが国中に広がることを願っていました。

・「民の為」という目的意識
・自らが「火種」になる

この2点があるからこそヒトのココロが動き鷹山の改革が成功したです。

改革成功の外部要因

 鷹山自身のその様な資質が改革成功の大きな要因であることは間違いありませんがその他にも改革が成功した要因があります。

・ブレーンが優秀だった
 鷹山は若かれし頃、細井平洲という学者に学びその関係は平洲が亡くなるまで30年以上続きます。民を大事にするなどの哲学を鷹山に教えたのもこの平洲です。良き相談相手として鷹山を支えたり、再興した藩校でも教え人材の育成にも力を注ぎました。

・期間限定の藩主だった
 実は鷹山は養子でもともとは高鍋藩3万石の次男坊だったのが10歳で米沢藩主の養子となり17歳で藩主となります。しかし先代に直系男子が生まれた為その子が大きくなるまでのつなぎ役の様な立ち位置で、現に鷹山は34歳の若さで藩主の座を譲ります。逆に一定期間藩を預るだけという立場だからこそ自分のことよりも藩や民のことを中心に考えられたのかもしれません。


歴史に学ぶ企業経営

 現代貨幣理論=MMT(Modern Monetary Theory)をご存知でしょうか?

 ごくごく簡単に説明するのならば

MMT=インフレにさえならなければお金はバンバン擦ったほうが景気は良くなるよ

ということです。

 今現在世界各国はコロナ対策で経済活性化のためバンバンお金を吸っている状況で株式市場や金相場に資金が集まっていますが、果たしてそれが景気が良いとイコールなのでしょうか?

 歴史から鷹山が教えてくれるのはお金はあくまで手段であって真っ先にやらねばならないのが『ハートに火をつける』ことです。

 一人一人がココロの火種で周囲に火を灯していくことができれば鷹山が実現させて様な復活劇が可能になるのでは無いでしょうか。

成せばなる 
成さねばならぬ 
何事も 
成らぬは人の 
成さぬ成りけり

 本日も最後までお目をお通しいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 





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