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人生とは戦いなのか?

「人生は勝つか負けるか、戦いなんだよ!」

昨日初めて出会ったひとが、おれに向かってそう言った。
「人生勝ち負けじゃないと思いますよ。」と言ったのだけど「結婚してるからってマウント取ってんじゃねえよ!」と返された。そんでおれは「マウントなんか取ってねえよ!」と笑った。すごく面白いひとだった。これまで出会ったことがないような、とんでもなく面白いひとで最高に楽しかった。

その後ずっと、勝ち負けのことを考えていた。勝ち負けってなんだろう。おれはエレファントカシマシが好きなのだけど、エレファントカシマシの曲でもよく「戦い」が出てくる。「戦え男よ」と歌っている。人生の中に戦いを見ているのには、男女でも差がありそうだな。おれはいつもエレファントカシマシの歌で「戦い」や「男」が出てくるとなんとなく客観的になるというか、歌に入り込んでいた感情が少しブレる。おれは生きることを戦いと思っていないし、ああおれは男じゃないんだな、といつも思う。歌から少し離れてしまってちょっとだけ寂しく感じる。

おれにはお姉ちゃんがいるのだけど、お母さんはお姉ちゃんのことをお姉ちゃんと呼ばなかった。だからおれもお姉ちゃんをお姉ちゃんと呼ばなかった。お母さんはお姉ちゃんのことを「あなたはお姉ちゃんなんだから」という扱いは全くしなかったし、2人を比べたりもしなかったから、おれたち姉妹に上下の差は一切なかった。

お母さんはお母さんで偉ぶらなかったし、うちにはお父さんがいなかった。家族3人、誰が偉いとか、もちろんお母さんは親だから1番絶対偉いのだけど、家族関係をはじめ人間関係において上下を考えたことがなかった。年上のひとを敬うのは当たり前だけど、どっちが偉いとかはなくて、あ、おれの言っていることわかりますか?なんというかみんな平等に、敬意を持って接するべきであり、自分が上とか下とかないと思っている。

漫画や絵を描いていると、売れているひと自分より上手いひとを見て、羨ましくなったりもする。嫉妬の気持ちがなくもないが、卑屈になるより努力するしかないように思う。次はおれの番だ、と頑張ればいいと思っている。

欲しいものや、なりたかったもの、でも持てず、なれなかったもの、それらを持っているひと、なっているひと、そこに上下はない。
おれはこどもが欲しかったけど、こどもを諦めた。でもこどもがいるひとに対して、引け目もなんにも感じていない。努力してダメだったからもう、スッパリと諦めた。欲しいものが手に入らなかったとき、努力するか諦めるかしかない。そこに他人を入れてはいけない。比べる意味がない。

さて、ここまで書いて何が言いたいのか、よくわからなくなってしまったのだけど、ひとと自分を比べて上下勝ち負け分ける必要は全くないと思っているんだな。勝ってうれしいはないちもんめ、負けて悔しいはないちもんめ。そんなのはただのこどもの遊びと変わらない。おれはやらない。はないちもんめはつまらない。あの遊び、一体なんだったの?^o^変なの!^o^


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