ミザントロープが本人作詞じゃない理由についての一考察


LAWSON presents 夏川椎菜 2nd Live Tour 2022 MAKEOVERお疲れ様でした。完走おめでとうございます。そしてありがとうございました。

普段は感想をツイートで垂れ流していますが、表題の件についてある程度まとまった文量で書きたかったので久々にnoteを書きます。MCでも感想とか文字にして残してみたいなことおっしゃってたし。


以下あくまでも僕個人の考察なので全然見当違いのことを言ってる可能性もありますし、解釈違いも起こりうると思いますが、その辺は個々人の解釈ということでご留意ください。






本題です。

ミザントロープの作詞については夏川さん本人がアニソン派!vol.6の中で「パレイドの後枠として作った」という話と「自分で作詞すると重く受け止められ過ぎてしまう」という話がありました。

↑なんだか申し訳ない気持ちの僕。

実際中野day2のミザントロープ後MCでもパレイドと並列に言及されていたので、この2曲の関係性について考えることは意義のあることだと思います。
そこで本noteではミザントロープのパレイドの違いについて少し考えてみます。

(前提として、歌われているテーマが劣等感や無力感といった近い感情であるということは認めます)

「自分で作詞すると重く受け止められ過ぎてしまう」というコメントについては全くその通りだと思います。やはり本人作詞だと(僕みたいな人が)歌詞の内容を本人に特殊な出来事や環境に当てはめて捉えてしまいがちです。
逆に外部(ここでは田中秀典さんですが一般に本人以外)に作詞していただくことで、「歌詞についての一般性が増す」という効果があるように思います。
つまりミザントロープは「夏川さんの特殊な出来事について歌った曲」ではなく、「一般に存在する感情を夏川さんが表現した曲」となるわけです。

社会人の方であれば仕事終わりや、学生であれば塾や部活終わりなどに、自分の無力感や孤独感に苛まれて夜空を見上げるなんて経験は少なくない数の人が持っているでしょう。その一般の感情を夏川さんが歌っているのがミザントロープということになります。


それを言ったらパレイドだって本人作詞じゃないじゃあないかと言うことになりますが、ここでは以下の理由でパレイドを本人作詞に準ずる曲として考えます。
・パレイド発売当時まだ夏川さんは作詞をしていなかった。
・発売当時のブログやインタビュー、プロットポイントでの演出から明らかに夏川さんに特殊な状況、心情について歌っていると判断できる。

当時の夏川さんが既に作詞をしていれば、間違いなくパレイドは本人が作詞していたと思います。


ここまででパレイドとミザントロープについて、「夏川さん自身の特殊な感情を歌った曲」と「一般にある感情を夏川さんが表現した曲」という対比構造を見ることができました。
以下でこの対比から受け取れる変化を考えていきます。


MAKEOVER中野の(確か)両日のMCで夏川さんが言っていたこととして、「自分のナメクジな部分も歌っていくことで、同じ気持ちを持つ人に寄り添っていきたい(超意訳)」というのがありました。
確かにパレイドのような本人に特殊な状況を歌っても類似の悩みを持つ人の支えにはなるし、実際パレイド発売時にも「同じような劣等感を持つ人に寄り添えたら」という趣旨のコメントはあった気がします(違ったらすみません)。
しかし、あくまでもパレイドは自分の感情を吐き出すことが主眼であり、それがミザントロープで一般の感情について歌うことにより「寄り添う」ことに変化したと言えるのではないでしょうか。

ここまでのまとめ:
パレイドは自分の感情を吐き出すことにフォーカスした曲、ミザントロープは「寄り添う」ことにフォーカスした曲。


これはパレイド発表からミザントロープ発表まで約4年での夏川さんの変化の象徴と考えられるように思います。僕の拙い語彙で言うならば、
自分を見つけられず、どうしようもない劣等感を吐き出すように歌ったパレイドから、確固たる自分を見出し、自信をつけて、今度は誰かに寄り添えるようになったミザントロープへ
といった具合でしょうか。


とは言っても、いまの夏川さんにミザントロープで歌われるような感情が無いとは思っていません。群馬公演(?)のMCでもその日その日の感情が乗るとおっしゃってましたし。
それでもミザントロープを自分で作詞しなかったのは、もうそんな弱気な感情は吐き出さなくても自分の中できちんと向き合って処理して、「表現」という形に消化できるようになったということなのだと思います。
アニソン派!でよ「重く捉えられすぎないように」というコメントはそういった意味で我々を安心させようとしていたのかもしれません。


さて、表題について書きたいことはそれなりにかけました。ツアー中ずっとミザントロープを外縁的に捉えようとしてしまう癖に悩まされていた僕ですが、中野2daysで漸く一歩進むことができた気がします。

↑苦しむ僕×2

そんな中ですが、新曲『ササクレ』がやってきました。こっちは外延的な曲の匂いがプンプンするので、歌詞が待たれます。

お読みいただきありがとうございました。

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