弱いままでいること

弱い自分に何ができるの?
弱さは強さの下位互換じゃないの?
具体的にどうやって弱いままで勝つの?

……そういった問いへの自分なりの回答、それはいろんな物事を言語化して共有することだった。


Q:弱い自分に何が出来るの?
A:どういったものがかわいいか、それがどうしてかわいいか、どうすればかわいいを演出できるかについて考えて、文章に残すことが出来る。なんとなくの感覚と違って、文章化されたものは他者との共有が可能で、意見や批判、改善案を交えてより高度、有用、正確な技術に近づけることができる。


Q:弱さは強さの下位互換じゃないの?
A:弱いからこそ、ノウハウを体得できる(かもしれない)。例えば、何も考えなくても整った絵画が描ける人とそうでない人では一見後者が前者に勝っている所はないように見えるかもしれない。でもパースや光源について考える(考えざるを得ない)機会に恵まれているのはきっと後者ではないか。

絵描きの例こそ、そういった技術は強者にも共有されていて、弱いことのアドバンテージはほとんど無いかもしれないけれど、全ての分野がそうとは限らない。「かわいさ」のような技術が未発達な分野では、不器用な人こそノウハウを体得する機会に恵まれている。そう考えることはできないだろうか?

(絵描きの話は詳しくないので、上記の例が間違っていたらごめんなさい)


Q:具体的にどうやって弱いままで勝つの?
A:技術と革命を信じろ。技術は武器なのだ。

刀剣が普及して筋力や体格に恵まれない人でも器用さで戦えるようになったように、VRが普及して外見に恵まれない人でもモデリングで外見を整えられるようになったように。技術には強弱の序列を転覆させる可能性が秘められている。全ての人がその恩恵にあずかれるわけではないが、それでも「強弱の序列が覆ることはない」ということはない。


改めて言うが、私は言葉と技術でかわいいを目指す者だ。

#弱くて悪い人のための祈り

大事なことを書き忘れていたので追記
技術の良い所の一つに、それがある程度誰にでも利用可能な点を挙げるのを忘れていた。銃の開発者が銃撃戦のプロである必要はない。私以外の誰かが、私の考えた「かわいい」の技術を使ってかわいくなれたなら、それもやはり本望と言うもの。

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