弱いままで勝つこと
弱いままで勝たなきゃ意味がないじゃないか。
……と、球磨川禊みたいなことをずっと考えている。
どうすれば私のような非力な人を勇気づけられるだろうかと考えたときに、『勝たなければ人に希望を与えられないけど、弱くなければその希望を裏切ってしまう』みたいなジレンマが確かにあって、しかも『弱い人が訓練で強くなって勝ちました』だと「それは単なる『強い人が勝つ』だ」「誰でも強くなれるわけじゃない」ということになる(ここで言う勝ち/負けは幸/不幸くらいの意味で、しいて言うなら「お前が勝ちだと思ったら勝ち、負けだと思ったら負け」あたり)。
もちろん全ての弱い人が勝てるようになるのはきっと無理だし、下には下がいるものだから、どれだけ弱い人が幸せになっても証明できない。どれだけ奇策を弄しても「それはあなたの発想力が優れていたから勝てたに過ぎない」とは言われてしまうのは違いないけど、それでも「そんなやり方でいいなら、自分にもできるかもしれない」と少しでも多くの人に希望を与えたい。
(そういう意味で無印プリパラ135話の『スマイル0%』を私はとても高く評価していて、いずれきっと感想文を書くことになるだろう。あれは弱者が強者に勝つ方法として、かなり一般的に利用可能なやり方の話だ)
余談
案の定と言うべきか、ことの発端はVtuber関連、しかもあの届木ウカとの最初の因縁の話だ。
1月下旬、自分の人格をどれだけ見つめなおしても、「かわいさ」に育ちうるものが片鱗すら見つからないことを再認識して絶望して、彼の質問箱に悩み相談を送るも無視されて(1月頃の届木ウカがだぞ!?)、彼には私みたいな非力な人の助けになる気がないんだと理解した。これは単なる批判だけど、後のエンタムへの所属も込みで、あれは本当にセレパラ気質な人なんだと思う。『自分を真中らぁらだと思い込んでいる紫京院ひびき』という悲劇作品を、体を張って表現してるみたいで滑稽だ。
(もっとも、今では私も考えを改めていて、醜悪なまま「かわいさ」を求める自分も大概不釣り合いで滑稽なのだから、いびつなまま幸せになろうとしている彼を応援している(節もある)。世の中ほんとうわかんないよね、自分の気持ちの行方さえも。)
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