ある男と女の話
自らを決するにあたり、ここに書き残しておきます。
私はある市の役人でした。
市のインフラを管理する。しがない役人だと思って下さい。
来る日も来る日も、市民からの要請で出向いて不具合のあるところを直したり、要望を聞いて上に発案したり。
同じ仕事のルーチンを、黙々とこなしていました。
その日も、ある家へ不具合箇所を直しに行きました。
一人の女性が家の前に立っており、年のころは30歳前後。
主人には先立たれた、未亡人といったところでしょうか。
仕事自体はすぐに終わりました。
たいそう、感謝され妙な心持ちになりました。
数日経って、駅前のスーパーマーケットでその女性と再会しました。
聞くと、ここにはよく買い物に来るとの事。
この間のお礼をしたいと言うのです。
仕事をしただけと固辞しましたが、彼女に押し切られるカタチで、
夕食を御馳走になりました。
それからも彼女とは何度も会い、何回目かでついに彼女とは「体の付き合い」が始まりました。
そうなると、お互いが深い仲になることは説明するまでもないでしょう。
私もそろそろ、身を固めてもいいのではないかと思うようになりました。
そして彼女と「家族」になり、妻として彼女を迎えました。
不思議だったのは、彼女には彼女以外の「家族」がいないという点。
あとは、私が話してもいないのに私の仕事内容をスラスラ言える点でした。
「家族」がいないのは、子供の頃に交通事故に遭い天涯孤独だから。
私の仕事に詳しいのは、私の勤め先の公式サイトを見たから。
そんなものなのかと思って、その時は気にしませんでした。
やがて妻は「家計を助けたい」との事で、事務のパートに出ました。
それと相前後して、私の職場では不可思議な事が立て続けに起こりました。
個人情報が外部へ出たこと。
修繕に出るも、それを上回る事象が増えてきたこと。
そして私の職場の上役が立て続けに亡くなった事。
そういった事に対処していたら、必然的に業務は繁忙を極めます。
そして帰宅は21時や時には日付が変わる頃まで遅くなりました。
それでも妻はニコニコして私を労ってくれました。
私のような平々凡々とした人間には、勿体ないくらい出来た妻でした。
そう、あの日までは。
ある日、帰宅すると家はもぬけのカラでした。
どこを探しても妻は見つかりません。
明日朝一で警察へ捜索願を出そうと思いました。
しかし翌朝になって、警察官が家にやってきてこう言いました。
妻を逮捕したと。
私も警察署で事情聴取をされました。
その過程で私は無関係とわかり、取り調べはすぐ終わりました。
その後、ある警察官からこんな事を聞かされました。
妻は某国の諜報員で、主に破壊工作を行うのが得意だったと。
そして私の所属する役所のインフラを壊滅させる任務を受けていたと。
私はまるで、遠い国の出来事にように聞いていました。
そんな事は嘘だ、冗談だと祈っておりましたが、
妻が国家反逆の咎で訴追され刑務所に入ると聞き、私は脱力しました。
妻との面会が許され、面会室で会った時にひと言
「私は仕事をしただけ。あなたに罪はない」
それからの私は無気力の塊となり、仕事にも身が入りません。
そうやって過ごして何年が経ったでしょうか。
風の便りで妻が釈放されるとの事。
妻に「会いたい」と伝えました。
妻は嫌がりましたが、これで最後だからと言うと渋々了承してくれました。
妻が出所して、家に戻ってきました。
妻は何度も謝り続けました。
私は、もう罪は償ったのだからと妻に言いました。
そして久しぶりの再会だからと、私が料理をし夕食としました。
そして、妻の皿には遅効性の毒を盛りました。
食事中は、出会った時の事で盛り上がり、
続けて私が仕事にかまけていても、甲斐甲斐しく仕えてくれた事にふれ
私は妻に感謝しました。
途端に妻は呻きだしました。毒が効いてきたのでしょう。
「罪は償ったようだけど、仕事をしくじった罰はこれから受けてもらうよ」
そういい終わると、妻は息絶えました。
スパイだかなんだか知りませんが、あっさり死ぬものだと拍子抜けしました
妻の遺体は、特殊な液体で溶かし跡形もなく処理しました。
そして仕事で使っていた機材も処分し、データは某所へ送りました。
そして勤め先に退職届を送り、自宅を引き払いました。
自ら決しました。任務は終了したと。
妻は某国の諜報員でしたが、私自身も妻とは違う国の諜報員だったのです。
妻よりも先んじて、役所のデータにアクセスし情報を得ていました。
警察に呼ばれた時は「不甲斐ない」と自分を責めましたが、
なんとか躱す事ができてホッとしました。
という訳で、私は国へ帰ります。
妻に対しては何の感情もありません。
任務に失敗した、未熟な諜報員という感想しかありません。
警察の皆様、ご苦労様です。
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