東京電力電気料金の値上げの公聴会 (2023/4/13、会場は霞ヶ関の経産省) で、直接、誰でも、賛否の意見陳述が口頭でできるようです (3/30 までに申込要)。意見を効果的に主張するための手法 - 登 大遊

『東京電力電気料金値上げ認可に関する公聴会』4/13(木) 9時~
(意見陳述人が多数の場合には4/14にも開催)
場所: 「経済産業省本館17階 第1~3共用会議室」

参考: "中国電力 "規制料金" 値上げで公聴会 「消費者との信頼関係作り直す必要」" (中国放送 2/9)


東京電力規制料金値上げ (+29%) の認可申請について、直接、東京電力の社長さんも (おそらく) 物理的に出席される場で、直接、認可の是非を判断する人たちの面前で「意見陳述」できる、大変重要な民主的な機会があります。
(意見陳述人は、要 3/30 迄メール届出。詳しくはWebサイト。)
経済産業大臣は、ここに参加する国民からの意見陳述を聴いて大いに参考にし、申請通りの値上げをそのまま認めるか否かを決めます。(電気事業法 22 条)

案内の Web サイトは、以下のとおりです。https://www.meti.go.jp/press/2022/02/20230214002/20230214002.html

経済産業省も、Twitter で積極的に広報しています。

値上げに賛否の意見がある方は、SNS 等で意見を書いてもなかなか届かないと思われますので、直接、この場に物理的に登壇され、ご自分の言葉で、直接主張されることが、極めて重要と思います。
(意見陳述人は、要 3/30 迄メール届出。詳しくは上記 Web サイト。)

公聴会は、YouTube インターネット中継も予定されていて、ニュースにも映ることがあるようです。ところが、なぜかこの手のせっかくの機会は一般にあまり知られておらず、数えるほどしか意見陳述者が居ないことも多いようです。たとえば、2 月の四国電力の値上げに関する公聴会では、なんと意見陳述者が 0 人 (!) であったことが、以下の朝日新聞記事で報じられています。

これだと、何も積極的な賛否意見が無かったことになってしまいます。意見陳述者の人数と質が増えることは、重要だと思います。値上げ申請に賛否意見がある方は、SNS に書くのではなく、ぜひ、現地で意見陳述されると良いのではないかと思います。なお、逆に、人数が多いときは、2 日間に分かれるようです。それでも時間が足らない場合その他の理由がある場合は、一部の陳述人に限定されるようです。

値上げを認めるか否かを判断するのは、コンピュータではなく人間なので、インターネットで意見を書いたり、書面を送付したりするだけでなく、現場で実際に言葉を用いて、弁論を行なうことは、相当なインパクトがあります。わずか一人の発言であっても、内容が誠実で合理的で説得力があれば、結果に決定的に影響すると思います。

https://www.asahi.com/articles/ASR213VG7R21UTFK002.html

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/305144

賛否の意見の両方があると思いますが、より重要なことは、何らかの意見がある方は、できるだけ、直接意見を発言されることだと思います。そのことが、民主的な議論がなされる好ましい状態の実現・維持に、必要不可欠だと思います。

さて、折角の意見陳述の機会を有意義に用いるためには、単に「電気料金の値上げに反対または賛成である」という意見や、感情的な意見、「家計が苦しくなるので配慮してほしい」という意見をいくら重ねても、ほとんど効果がないと思います。

全く新しい理論を思い付き、それを述べることのほうが、効果的です。

今回の値上げは、表面的には、電力会社や国や国民が予期しておらず、十分な対策を講じて来なかった、外来の燃料平均価格の予期せぬ上昇 (規制料金の上限値を超えた著しい上昇) が発端になっています。これを確実に予測していれば、より早く技術革新や業務革新、リスク回避が可能だったので、ここまでの損害は発生しなかったところ、それを電力会社の側も市民の側 (市民の総合体である、国) も十分にやってこなかったが、いざ事が起きたら、莫大な損害が発生し、両方にその責任があるとして、その分を、市民と電力会社のどちらの責任でどれくらいの割合で負担を分けるべきか、という問題です。したがって、表面上は、これは、単に、ゼロサム・ゲームの取り合いの問題です。

仮に国が値上げを認めず、電力会社の負担のままとすれば、電力会社の経営を圧迫し、電力会社の人員整理が必要になる可能性があります。それは電力会社としては是非とも認めたくはありません。それにまた、値上げをしなければならないと電力会社が主張している理由は、今値上げをしないと収支が合わず経営上の問題が生じるという現実的な問題です。現実を無視して、単に価格を安くしろと要求しても、それは不可能です。

他方、市民の負担を増やすとなれば、家計を圧迫します。それは市民としては認めたくはありません。

この問題を建設的に解決する方法が必要です。従来型のゼロサム・ゲームの取り合いの問題での議論をしていては解決できないし、また、面白くもありません。新規性のない、敗者が存在するか痛み分けをする問題であるということになります。電力会社の経営圧迫という現実問題は解決せず、あまり意味がありません。それで終わらせるのは、極めてもったいないことです。どちらが勝っても、大して意味はありません。単に長期的にみれば一方がもう一方に後からコスト転嫁することになります。

したがって、電力料金の値上げに賛否がある市民が、この機会に意見陳述をするとなれば、全く新たな発想に基づく手法、ゼロサムゲームを脱して両者とも得をする具体的手法が現実的に可能である旨を、意見陳述する必要があると思います。

電力会社の人員・組織・体制のさらなる合理化 (すなわち、縮小) を要求しても、すでに十分に合理化の余地は尽くしていると反論され、それはある程度本当であるならば、現実的に、要求には意味がありません。それでも、市民が徒党を組んで、それ以上無理に電力会社に合理化を迫ると、電力会社の内部秩序が低下し、余計にコストが増大したり、単位料金あたりのサービスが低下したりし、結局は市民が損を被ります。それは避けなければなりません。

今われわれ日本人が、せっかくのこの機会に、問題に真剣に取り組み、その本質を研究し、問題解決方法を試行錯誤によって編み出せば、電力の問題はもちろん、日本の数多くの伝統的日本企業が真に解決したいと考えている問題も、国や国民の視点における日本国の有する各種の問題も、全部、解決することが可能です。今回の問題の価値は、日本企業における業務革新と技術革新の発生を妨げる要因を解決する機会 (解決しなければならない機会) が、ついに訪れたということだと思います。

市民の側は、問題を解決するためには、異なる発想を理論化して提案するべきだと思います。たとえば、次のような理論が考えられると思います。以下の理論は一例であり、他にも多数存立すると思います。単なる一例を述べます:

最良の打開策としては、「電力会社の人員・組織・体制を全くそのままの現在の規模で維持すること」を、ひとまずは国は認めるけれども (これは、電力会社は大いに喜ぶと思います。すなわち、値上げの約款変更が認められることになります)、国は、その認可において、電力会社に、極めて長期的な価値を生み出すある 1 つの交換条件を提示できます。その交換条件は、実際に確実に実現可能なものでなければなりません。交換条件にも色々ありますが、1 回限りの機会であるので、最良の物を選ぶべきです。たとえば、「電力会社の人員・組織・体制を全くそのまま維持することを認めるのであるから、あなた方 (電力会社の経営者) は、その豊富な人員・組織・体制をそのまま活用して、これまでになかった業務革新・技術革新が自然に発生する状態を、電力会社の中で生み出す試行錯誤を、速やかに開始するべき。」という条件等が考えられます。

これは、誠におもしろいアイデアです。すなわち、これは、一応、電力会社の人員・組織・体制を全くそのまま維持しても良い (リストラしなくても良い) が、ただし、そういった折角優秀な人材や、力強い組織、整った体制を十分に活用した技術革新と業務革新が実現できていないか、むしろ "妨げられている" 点を修理して、社内からさまざまな、同時に秩序と自律性が発揮されるような、技術革新と業務革新が発生するような工夫をしましょう、というような要求理論です。仮にこの理論が成り立つならば、こういった議論は、これまでの不毛なゼロサムゲームの議論の流れを決定的に変更し、国・市民・電力会社の 3 者全員にとって価値がある方向へと進むことにつながると思われます。

電力会社のような、また他の業種であっても、現代型の日本型巨大組織が均しく抱えている問題というのは、まさに、これまで (戦前・戦後) 苦労して長期間培ってきたわれわれのような豊富な人員・組織・体制があれば、本来は、技術革新と業務革新が自発的に発生し、単に製品コストが下がるだけでなく、新しい価値の技術を生み出して、同一の価格でもより良い製品を提供できるはずなのだが、現実を見ると、社内でいまいち (最近は、全く) 技術革新と業務革新が全く発生せず、経営者も、社員も、国も、皆、困っている、というものです。

実は、日本型大規模組織の経営者の最も大きな悩みは、ここにあります。技術革新と業務革新が、もし、自社で自発的に発生すれば、人員・組織・体制を全くそのまま維持することは良いことだということになるので、それが一番嬉しい結論であるが、現実において、技術革新と業務革新が自社からほとんど発生しないので、そのままでは、いずれ、人員・組織・体制を合理化せざるを得なくなるという悩みです。この問題を解決する方法は、電力会社のような日本型大規模組織の中で、技術革新と業務革新の妨げになっている原因を、いよいよ本格的に研究し、試行錯誤によって解決することが挙げられます。そして、この問題は、日本型大規模組織が共通的に抱えている 1990 年代以降の課題です。

成長と、業務革新・技術革新とは同義ですが、それらの革新が停滞してしまっているので、企業部門において革新が常に発生し続ける (すなわち、経済成長が継続する) ことを前提にして色々な国の制度設計をしてしまった前提が崩れそうになっており、これは困った、ということになっているというものです。これは、これまで収支が一応合っている間は、何とか先延ばしにすることが可能でした。先延ばしは、各業種でそれぞれ行なわれていました。ところが、電力業界においては、今回の偶発的な燃料費高騰に端を発して、日本型組織の代表格である電力会社において、この問題の研究に、いよいよ、今すぐに着手しなければならない時期が、ついに到来したのであろうということです。そして、電力供給は、日本のすべての産業の基礎構造部分に含まれているので、他の業種まで含めた全国民的議論として、この問題を正しく解決する必要が生じています。今この問題を解決すれば、日本の全業種において、直接的には電力コストの問題が解決し、長期的・間接的には、電力会社の前記のような革新停滞の原因と同質の問題が共通的に見出される各事業主体において、革新を再燃させて、経済成長を復活させ、日本が陥っているほとんどすべての停滞問題を解決することが可能になります。

そうすると、唯一問題になるのは、いかにして巨大日本型組織において、その財産ともいえる人員・組織・体制を "そのままにして"、秩序と自律性の両方を兼ね備えた、「技術革新」と「業務革新」が、それなりに安全に、かつ確実に発生するか、ということになると思います。

実は、これは、正解は必ず存在する (しかも複数存在する) ことが分かっている、比較的易しい問題であります。一般に、問題解決において、難しいのは、「正解が存在するかどうかすら不明な問題に取り組むこと」です。それとは異なり、今回の問題は、正解は必ず存在しているのであり、試行錯誤によって、必ず解決が可能です。しかも、経営者が正解を考える必要はなく、経営者としては、それらの正解が自然に抽出されるような試行錯誤を、会社の現在の人員・体制・設備をそのまま維持しつつ、それらの構成要素の膨大な母数を有効に活用して、同時並行的に、かつ、追加のコストがあまりかからない方法で色々試みる状態を作り出せば良いということになります。さらに良い知らせとしては、その作り方すら、経営者は熟考し、編み出すことが不要です。優秀な社員が多数集まっている大規模組織であれば、固有的性質として存在する、マネジメントがこれを妨げることさえしなければ、自己組織的にそれらの正解の探索が自然に行なわれるという粘菌のような性質を、程良く発揮できる程度の、結構許容範囲の広いパラメータのコントロールさえすることで、だいたい放っておけば解決するという問題でもあります。これが、多数の優秀な社員の方々をすでに集めている大企業における、技術革新・業務革新が安全・自然・持続的に発生することの成立要件です。

「業務革新」と「技術革新」とは、性質が異なることから、その手法については、分けて説明をする必要が生じます。まず、「業務革新」は、多数の母数によって (大半の社員によって、全社的に、組織的に、まんべんなく) 実現する必要があり、これは、豊富な多数の社員たちの好奇心と本来有している勉学や頭脳の働きを良いものと思う心の働きに牽引されて、少しずつ前進するものです。したがって、「業務革新課」、「イノベーション室」、「DX 部門」というような、けったいな名前の組織を作り、一部の社員だけをそこに所属させれば、業務革新が発生するという訳ではありません。それは、従来の計画主義・官僚主義への退行です。無意味であるどころか、逆効果ですらあります。業務革新は、既存の複雑で高度に絡み合った組織内生態系の中で、その生態系をさらに効率的に、楽しく駆動させるためにはどのようにすれば良いかという問題ですが、この問題は、いわば無数の脳細胞や身体の臓器やその他の機関が自らに最適な役割を自然に担うという、全社的に程良い自由を実現するという考え方で、初めて達成されます。

極めて単純な細胞も、多数集まれば賢い働きをします (今、この文章を読んでいる読書主体の頭脳の中でも、その働きが成立しています)。このように、単純な細胞であっても、各自が自律的に動けば、極めて高い価値である人間の頭脳を生み出すことができることからしても、人間 1 名 1 名が、特に、本来極めて優秀なはずの電力会社の社員の方々の主体性が、それぞれ自律的に作用すれば、全員によって、安全かつ同時に組織に則した現実的な試行錯誤が成し遂げられ、自然に組織的問題が解決されます。かなりの割合の社員が、少しずつ、自らの手で革新を試みることでしか、柔軟で組織の実態に合った業務革新は生まれないということです。

次に、具体的方法が問題になります。対象業務分野ごとにさまざまな手法が存在しますが、電力会社にとっても、他の日本型大企業にとっても、共通的に役立つ手法と、電力会社でのみ役立つ手法の 2 種類が存在します。いずれも、社内における人員・組織・体制をそのまま活用し、自由で、かつ、安全性と秩序とを兼ね備えた、膨大な人数を母数とする試行錯誤によって成し遂げられます。これにより、電力会社の人員・組織・体制をそのままにした上で、コストを下げることが可能です。これは連続的な多数の人々によるプロセスです。これが現状電力会社でなかなか発生しづらい原因は、電力会社の中における経営事務的なマニュアル主義によるルーチンワークに基づく大規模スケールした業務 "だけ" を維持するために、優秀な社員の方々のエフォートを全部 (ほとんど 100%) 使ってしまっているという、極めてアンバランスな、不自然な状態によるものと思われます。安全と秩序を維持したままで、新たな業務方法を試行錯誤するという活動、すなわち自己の頭脳を活かして仕事に従事し、徐々に新しいやり方を発案し実証するという活動は、すべての社員の方々において、会社でできれば自らの一生を尽くそうと考えて入社した以上、各個人の権利として存在するはずです。そのような考え方がない社員は、単なるロボットと同視可能です。その社員は、機械への置換が可能です。人間は、そうなってはならないのです。

優秀な電力会社などの大企業の社員たち全員が、機械化されるような業務をただひたすら回すために、大学で苦労して、勉強して電力会社のような大企業に入社した訳ではないのです。自らの頭脳を活用する楽しさと価値のある機会を求めて、色々な企業を訪問した結果、いよいよ、電力会社のような大企業が特に気に入って、その機会をこの企業は確実に提供してくれるであろうという期待に基づき、電力会社に入社したというような素晴らしい方々が、大半であります。ところが、最近、前記のような "100% 既存業務を回すだけ" という考え方を会社が無意識に押し付けることにより、そのような頭脳の働きが阻害され、固定化された繰り返し思考のみが組織内で許容されるようになっているという組織的問題があります。電力会社においては、この問題は特に顕著に見られますが、実は、日本の他の産業でも五十歩百歩で、類似の状態であると思われます。

この問題を解決することができるのは、牽引力を有しているその各会社の経営者だけです。そして、日本企業においては、この問題を解決しようとする経営者の試行錯誤は、まだ、これまで本気で開始されていません。したがって、相当高い価値の可能性が潜在しています。前述のとおり、日本型組織では、これまで、何とか収支が合っていたので、今まで本気で経営者は試行錯誤をする必要がありませんでした。しかし、ついに今やこの社員による自発的な業務革新を起きる能力を阻害するという現象が原因で、内部的に、比喩的にいうと資金ショートが発生し、経営者たちはこの問題に直面せざるを得ない状態になっています。これは、単に試行錯誤をしてきたか、していないかの 2 択問題です。試行錯誤を 10 年前から本気で行なっていれば、色々と既存の非効率部分の構造が自然に改善され、人員・組織・体制の規模はそのままにして、何らのリストラを行なうことも不要で、電力会社の社員も、経営者も、顧客も、協力会社も、政治家も、皆喜ぶような変化が発生しているのですが、そのような試行錯誤の形跡が、電力会社の中で、今のところ十分に見られず、その結果、今回のような打撃が発生したときに右往左往するというのであれば、20 世紀に日本でみられたような粘性の高い組織力を取り戻すための試行錯誤は、電力会社の中では、本気でやってこなかったということになります。しかし、それも当然のことで、電力会社の経営者を責めることはできません。なぜならば、国も、市民も、誰もこれまでにそのような「大規模電力会社の中における自律的・自然な優秀社員たちによる技術革新を妨げる問題を解決するための試行錯誤こそ、最優先で行なうべき」と具体的に提言して来なかったためです。電力会社の経営陣としては、単純に電力の安定供給・可能な限りの低コスト供給だけに専念するよう要求されてきて、それは一応果たしてきたのだと反論をします。それでも、実は経営者というものは、要求されなくても、自ら必要な措置を講じる手腕をその対価としての報酬と権限で受け取っているので、要求されなかったから行なっていないという言い訳は、本来はできないのです。ところが、それについて責めても問題は解決しないので、これまで必要な試行錯誤をして来なかったことについてはもうあまり問題視することはせずに、この問題に、少なくとも現在から将来に向かって、正面から向き合いましょうと電力会社の経営陣に決意させることが、現時点からは、重要になります。

その手法は 2 つあります。第一は、電力会社の需要家である消費者としての、および電力会社によって支えられている日本全体の経済活動の担い手である主権者としての、両方の性質を有するわれわれ市民たちが電力会社に個別にそのように伝える方法です。しかし、これは一人一人では効果が小さいのです。それよりもより効果的な第二の方法は、市民が直接そのことを伝えるのではなく、国を通じて伝えることです。そのためには、国が臨席している今回のような公聴会で、「国は、電力会社に、会社の人員・組織・体制をそのまま活用すれば本来は発生することとなる社内の自律的な業務革新の発生を、現経営陣が (誤って・不作為で) 妨げてしまっている現在の問題を解消するための試行錯誤を、社内において開始することという約束を、引換え条件にして、会社の人員・組織・体制をそのまま維持することを認め、値上げを認可するべきである。」というような、具体的で実現可能で、かつ、無理のない、当事者全員が合意可能な意見を述べることが効果的です。そういう理論が色々と述べられれば、もはや、既存のゼロサム・ゲームを脱出できたことになります。そのような理論と行動が提言されるならば、それは、電力会社によって、容易に受け入れ可能です。これまであまりやって来なかったというだけで、必ず成功する正解が存在する可能な問題です。そして、成功すれば、電力会社の経営者も、社員も、市民も、国も、全員が大いに利益を受けます。失敗しても、このどん底の状態以上に悪くなることはないので、損失はありません。

そこで、最後に残る問題は、市民たちが、国を経由して、「電力会社の社内の自律的な業務革新の発生を現経営陣が (誤って) 妨げてしまってきた現在の問題を、これから解消すること」を電力会社の経営陣に求めるとすれば、その具体的手法は何であるか、という点に尽きます。しかし、これは実は問題ではなく、外野が述べる意見陳述の責任のスコープ外にあるといえます。なぜならば、あくまでも経営者の方々が求められるべきは、「経営者の自主的判断に基づいた試行錯誤を行なうべし」という、抽象的要求であれば良いのであり、それを具体的に外部から具体的に指示して拘束する必要はないし、経営者に任せている以上は、それを国や市民や株主たちが事細かく指示してはならないということになると思います。その手法は、経験豊富な経営陣の方々が、これから、勇気をもって、色々と試行錯誤をして見つけ出すことになると思います。それで、何をやったとしても、何であれ、現在の状況はどん底であり、今の状況よりは悪くなることは決してないのだから、日本型組織の中にある前記問題を解決するための試行錯誤をさかんにやってみるということになります。それで結果として効果がなくダメだったとしても、可能な幅広い試行錯誤をやってみた証跡さえあれば、それで、試行錯誤が不十分であった結果を次につなげて、次回は成功させることもできます。ところが、万一、実は経営陣がそれでも本当に何も試行錯誤をやっていないとしたら (たとえば、外形上、「業務革新課」、「イノベーション室」、「DX 部門」というような、けったいな名前の組織を作って終わりにするなどという、革新の対極にある、計画主義と官僚的組織への退行を行なっていたとしたら)、それはまったくのけしからん約束違反だから、もう、認可した値上げは全部取り消しにして、もともとの値上げ前の約款に戻させ、結果として電力会社の人員・組織・体制が合理化させられるという、違約条件的な記述を残すべきです。電力会社としては、それは最悪の選択肢であり、避けたいと思う訳です。むしろ、本来の約束の流れどおりに、電力会社の大規模・豊富な人員・組織・体制をそのまま活用した業務革新が自然発生すれば (これは確実に可能なことであります。これを妨げる要因は、人為的なものでしかありません)、それは自分電力会社の大きな現在・将来利益になるので、電力会社の経営者であれば、誰でも、この 2 つを比較した後に、ますます率先して、現在の前記の問題を解決したいと思うようになることは、間違いがありません。そのためには、社内において、体制をわずかに改善し、優秀な豊富の社員の能力と意欲を活かした自律的活動を認る必要はあるのですが、それは、経営整理をしなければならないという最悪の選択肢と比較しても、きわめて魅力的で未来がある選択肢であることから、是非とも率先してそれを実現したくなると思われます。そのようにすれば、電力会社が抱えている問題は解決できます。電力会社がこの問題を解決する手法が分かれば、それに引き続いて、類似の日本の大規模組織における同類の問題も解決可能で、日本の現在の生産性低下、革新不足、国際競争力低下の問題は、日本国全体的に、次第に確実に解決されることになります。

次に、「技術革新」について記述します。「技術革新」は、「業務革新」よりも非連続的なプロセスです。「技術革新」は、学業優秀なので電力会社のような優れた会社に入社した社員であっても、決して全員が行えるものではありません。少数の方々だけがこれを行えます。しかし、わずか 1 つでも発生すれば、それは連続的な業務革新の集合を悠々と越える極めて大きな価値を生じさせます。これは、宝くじに似ています。宝くじと異なるところは、宝くじは必ず損をするものであるが、適切に技術革新を目指せば、これは、必ず得をするという点にあります。すなわち、技術革新のために投資するわずかなコストよりも大きな利益が必ず生み出される点にあります。これは、人類史上今のところ明らかであります。我々人類がこれだけの人口を擁するようになっても存続している理由は、種を全部食べてしまわずに、技術革新のために一部を投資してきたためです。そして、技術革新は、結構な試行錯誤を各個人が独立して行ないます。各個人の能力が、深く滋養された結果、各個人のレベルで、ある一定のレベルに達したときに、ついに、生み出すことが可能です。価値がある技術革新を達成可能な人は、たとえば、全体の 5% くらいしか存在しません。したがって、ここでも、母数をいかに増やすかが、重要になります。ここで、技術革新は前記のとおり少人数でのみ成し遂げることができますから、業務革新と異なり、そもそも技術革新には向き不向きが大きくあるので、全く向かない人に技術革新に参加せよと言っても、それは無意味で、むしろ、幸福度を低下させて、有害です。そこで、一部の物好き社員 (5%) に任せればだいたいそれで良い、ということになります。歴史上もそのような物好き社員や物好き技術者によって、大企業や、大企業の支援を受けた少数の個人やグループから無数の技術革新が生じ、現代の豊かな世界を形成しています。電力業界であれば送電技術、発電技術、原子力技術は、皆、少数の人数によって発明され、技術革新がなされています。IT・通信業界でも同じです。インターネットも、UNIX のような OS も、クラウドも、検索エンジンも、プログラミング言語も、真空管も、半導体も、光ファイバ技術も、皆同じです。このような少数人数の物好きを自由にさせるという手法からは、決定的に問題を解決する、突出した技術革新が生じます。技術革新が一度生じたら、それがわずかな人数の中から (たとえ 1 人の人から) 生じたものでも、それを全社的に拡大して利用することが可能なので、会社に莫大な利益を生じさせます (個人にも十分に報償をすることは当然のことです)。さらに 20 年経ったら、特許期間が満了するので、全世界で同じように拡大利用できます。

技術革新は、大企業グループの研究所でのみ起こるものではありません。むしろ、現代まだ掘られていない技術革新の対象領域は、実業部門 (生産部門) に密着した領域に存在します。企業や大学や国の研究所は、基礎研究は得意ですが、その分野の大企業グループが担っている実業から結構な距離で隔離されており、組織の壁があることから、実業の生産設備や運営設備と密接に関連する革新は困難です。他方で、電力会社のような日本型企業は、誠に素晴らしいことなのですが、単一の企業の内部で、極めて豊富な、垂直統合型の人員・組織・体制を有しているという、希少な優位性を有する組織群であります。これは、各組織の中で、実業に則した技術革新が可能です。

これは、重要な点であるので、詳述します。短期的パフォーマンスのみを追求するような株主的視点に基づいてついに機能分化されてしまい、「合理化」の焼け野原になって機能を失った世界中の老舗大企業にはもはや不可能な技術革新について、われわれのような日本の伝統的・非合理的・非効率的日本企業だけは、未だこれを発掘し現実化させる可能性が豊富に残されているのです。日本企業でしか堀り起こせない技術革新が、山のように存在します。Google, Microsoft, Amazon, Apple といった私設 IT 技術者集団 (いわゆる GAFA) の有する技術革新能力は、IT 技術の比較的表面部分を革新する能力です。一部ハードウェアもやっているようですが、すべて、探索可能領域の氷山の一角であり、せいぜい表面上の 1% くらいの領域のみを掘り進めることができます。そして、全世界の IT 技術者集団が、その掘削可能な表面 1% の部分に全員が集まり、この部分が、なんと、レッド・オーシャン化しています。ところが、日本国は、「合理化」の津波に流され、焼け野原になった世界において、そうなっていない伝統的大規模日本企業群を多数擁しているのです。これらの大企業の実業生産設備と密接に関係した、氷山の水面下部分である 99% の部分の技術革新の探究は、これらの日本型大企業だけで可能です。合理化されてしまった海外企業群には、歯が立ちません。

したがって、日本企業が現在の実業におけるいわば非合理的規模の巨大人員・組織・体制群を活用して技術革新を行なうならば、もはや全世界においてほとんど歯が立たない、潜在的な革新可能領域のうち 99% 部分を、日本が総取りできる状態にあります。これは、一度日本大企業に対して、市民や株主や国が、外国同様に、やいやいと合理化・機能分化・最適化を要求してしまうと、もはや、元の状態に戻すことはできません。長年の歴史により正常に存続・発展してきた結果、ついにここまで巨大化した素晴らしい日本型大企業を、単に他国のような投資家のみの視点で合理化するという短絡的なアイデアは、99% 部分を全部失うことになり、他国と対等な条件でしか技術革新が行えなくなってしまいます。日本の有する他国にはない決定的な優位性が失われます。

電力会社に限らず、さまざまな分野の伝統的日本型組織で、これまで合理化・効率化に少しずつ抵抗をしてきた長年の間のサラリーマンの方々たちのその抵抗の価値は、いよいよ全世界が合理化の焼け野原になった後に、日本企業だけ、非合理・非効率な形のまま、何とか存続することを成し遂げ、これから、その日本企業の性向を最大限に活用にして、他国の合理化された企業では歯が立たない深層領域までもすべて掘り出せるという、我々がすでに手に入れつつあるこれからの黄金期を実現するための、長期間に渡るストレスと引換えの犠牲でありました。

あの会社であえて非効率な手法を取り、毎日満員電車で通勤をされてきた、この 30 年間の勤労者や経営者の方々の犠牲には、大きな価値があったのです。これに何の意味があるのか? 世界の合理化の波に遅れることで生じる損失が取り返しがつかない程度に拡大するのではないか? という恐怖が企業人や日本人すべてに存在しました。しかし、日本人たちは、この恐怖に打ち克ち、非合理なサラリーマンたちと経営者たちの力を結集させ、ついには、世界中の他の国には成し遂げることができなかった、極限の非効率・非合理性と、その上における「なんと、結果的に存続できている」という驚くべき価値を、日本企業群は、実現することに成功したのです。これは特筆すべきことです。標準的には、企業は、合理化をしなければ、競争に負けて、存続できなくなってしまいます。ところが、日本企業が 20 世紀に蓄えた体力、20 世紀に蓄積された技術革新と業務革新との総和の価値は、その世界標準的のレベルを、大きく超越していたのです。非合理・非効率のまま、30 年間も生き延びることができたという、他の国には到底真似のできない長期的冬眠を成し遂げたということです。

合理的な外国企業は、波に抵抗せずに、バラバラに分断され機能分化されて効率化されてしまいました。そのため、短期的には高い価値や時価総額を出しています。しかし、長期的には、外国企業群は、もはや現代の日本企業の状態を再現することは不可能か、または、極めて長期間を要します。日本ではすでに十分な数のこれらの大企業群が、無事に (無事ではないけれども) 存続しています。残された課題は、これまでにかけたわれわれ日本企業人の先人たちのあの抵抗の犠牲コストを大きく上回るだけの利益を、これから、競合相手が誰もいない技術革新可能な領域で、悠々と掘り進めるために、生き残った日本企業の資源・人材・体制・現有設備を活動して、技術革新を行なうということだけであります。そのために、我々日本人は、この 30 年間、価値があるかないか当事者にとっては疑問の長年の合理化・効率化への抵抗を、各社の内部で行なってきたのです。これは、各個人のレベルでは明確に認識されていませんでしたが、昔の大企業の経営者のレイヤでは認識されていた事柄です。今でもその考え方が承継されて残っているので、大企業はその考え方の価値を実現する目的のために、合理化されずに、今まで生き残ることができています。これから日本型企業から生じる莫大な技術革新の価値は、他国は想像することすらできなかったものとなります。

今まで築き上げた日本固有の伝統的巨大企業をフル回転して生じる技術革新は、それぞれの実業領域において、2025 年以降、世界においてトップ級の性能を誇るであろうことは、間違いがありません。実業と密接に関連して生じる技術革新の価値は、極めて高いものがあります。米国電力会社でも、100 年以上前から、実業に密接に関連した送電、発電、配電技術をどんどんと革新させてきました。米国電話会社も、100 年以上前から、実業に密接に関連した半導体技術をどんどんと革新させてきました。日本企業も 1950 年以降は多数の技術革新がありました。

ところが、最近の技術革新の速度が低下していて、たとえば電力会社の社員や経営者たちから画期的な技術革新が生まれなくなった理由は、大きく 2 つあります。(a) 一度豊かになり、収支が十分合うようになり、技術革新の必要性が感じられなくなったこと、(b) 業務革新の部分でも述べたように、ルーチン業務・マニュアルに従った業務方法を 100% として組織内を固定化させてしまい、技術革新に必要な遊びの余地を無意識に排除してしまったこと、の 2 つの合成です。(a) の豊かさを実現するためには、(b) で述べたルーチン業務・マニュアルに従った業務方法を 100% として組織内を固定化させることもある程度必要だったので、(a), (b) は同時に進行しました。日本企業は、(b) がうまく行き過ぎたので、(a) について確固たる安定性を実現し、偶然にも、(a) と (b) の両方が同時期に確立されてしまいました。これは、驚くべきことです。本来は、誠に喜ばしいことです。普通は計画主義で色々とうまくいかないことが発生するので、組織内において試行錯誤の余地が消滅することはないのですが、日本型組織は、そのスケーラビリティ確立手法の優秀さが世界一であることから、計画主義がうまく行き過ぎた副作用として、技術革新の余地がなくなってしまったというのです。そこで、(a) の豊かさを維持したまま、(b) の副作用を解決するためには、他国と異なり、日本型組織の経営者は、「意図的に」遊びの余地、すなわち技術革新の余地を、組織内に作り出す必要があるということになります。他国では、結構いいかげんな社員が多く、計画主義が色々うまくいかないので、試行錯誤の余地を残すことは努力なくして可能でしたが、日本企業の社員は世界一優秀であったので、その優秀さを実現するためには、経営陣は、試行錯誤の余地を社内にあえて意図的に残さないといけないし、それには若干の努力を必要とするということだと思います。外国のように、放っておけば革新が発生するのではありません。これは、極めて面白い現象だと思います。技術革新を生み出すにはどうすれば良いかというと、歴史をみても、計画的に作られた画期的な技術革新というものはあまり存在しないことから、事業会社においては、社員による会社の現業と密結合した色々な思い思いの試行錯誤が必要だということになります。これを、現代の 21 世紀においても、比較的うまくやっている日本型大企業も、いくつも存在します。たとえば、ある巨大化学メーカー等は、まさにこれを行なって、全世界的に利用される新しい技術を作り出し、高価値を挙げています。そういった巨大日本メーカーの工場を、実際に見学すると、工場の生産運用に直接関係した形で技術革新を行なう社員の集団が、見出されます。そのような遊びの余地の存在が、技術革新の重要な秘訣であると思われます。

われわれに身近な、電力分野以外のけしからん分野を見てみましょう。我々が毎月支払ういやな料金は、「電気代」と「通信料」(電話代) です。あのいやないやな毎月の請求書の二大巨頭であるもう一方の「通信料」の事業領域をみてみると、日本型巨大企業の代表である巨大電話会社、たとえばあのけしからん NTT 東日本であっても、社内で、技術革新の余地を意図的に作り出し、技術革新を行なってきています。これは、今でも続いているのです。歴史的に、日本のブロードバンド回線が世界一早い時期に超高速になり、世界一早い時期に価格が極めて安価になった理由は、20 世紀後半現在までの、決して途切れることがない技術革新によるものです。そしてまた、これは NTT 単体でも不可能なことでした。他の通信会社単体でも不可能で、国単体でも不可能なことでした。1990 年代以降、我々の先人たちは、NTT も、ISP も、ユーザーも、官僚も、皆、郵政省 (後の総務省) に集まって、技術革新を起こすという共通的目標に向かって真剣な議論を熱心に重ね、ついには、米国などの先進国におおいに先駆けて (10 年以上も早く) 高速ブロードバンドネットワークを全国に極めて安価に敷設することに成功し、電話会社も、他の通信事業者も、また、全国民も利益を受けています。今の日本が何とか持続できていることは、この通信システム上の技術革新を引き起こすことに成功したという点と、それにより、高速な通信が極めて低コストで実現できるようになったという点にあります。通信というものは、極めて高度・複雑な無数の微細処理の組み合わせで成り立っていますので、技術革新の難易度は最高級ですが、それでも日本において実際に次々に成功しているのです。そして、その次々の試行錯誤の革新が行なわれた間も、決して安定性が損なわれることはなく、十分な安全性・安定性が維持されてきたのです。電話ネットワークが停止することも、ブロードバンドネットワークが致命的に壊れることもなく (せいぜい、10 年間のうち数時間停止するという程度でした)、すべて、成功しています。

この日本のけしからん巨大電話会社を中心とする通信業界の輝かしいらしい実績を前例とれば、電力業界において、巨大電力会社であっても、その周囲に集う電力に関係するさまざまな事業者群 (自由電力会社、施工会社、装置メーカー、etc) も、各自、自らの社員・設備・体制をそのまま活用し、社員たちのうち 5% の方々を対象にすることでもよいので、発電・送電・配電における技術革新のための試行錯誤を、一定の安全を確保した上で許容する (というよりも、単に、試行錯誤を妨げる問題を取り除く) ことは、同様に可能であると思われます。そうすると、その 5% のうちさらに 1% くらい (つまり、0.05%。例えば、1 万名の社員がいれば、5 名くらい) が、新しい技術革新を起こします。理想的には、新しく、競争的で、他国に対しても提供できる程度の画期的な発電方法、送電方法、配電方法、また、可能であれば、他のあらゆる技術と知識を身に付けるか業界で協働をした上で、新しいエネルギー源の探求を自ら発明するということが可能です。これにはそれなりに時間がかかりますが、それに至るまでのさまざまな発展途上段階において、役立つ技術がさらに多数発明されていくことになります。事業会社を主体として、通信業界で成し遂げられたような大規模な革新が、21 世紀になっても、尚十分に可能であると思われます。その中心となるのは、前記のような、日本の巨大な電力会社です。この電力会社のような、一種非合理的・非効率的に見えているような日本型巨大企業においては、世界中で掘り出せない革新領域に到達できるという、希少的な能力が、世界で唯一、豊富に残されているのです。そして、唯一、日本の巨大電力会社の経営陣だけが、それを全社員の能力を活用して探求することを開始しようという、発端のかけ声をかけることが可能です。そうすれば、電力会社の内部社員も、関連会社や競合会社も社員も、自律的な試行錯誤を開始し、必要に応じて組織の壁を越えて協働することになります。ついには、新しく、競争的で、他国に対しても提供できる程度の画期的な発電方法、送電方法、配電方法、新エネルギー現を発明することが可能です。これにより、現在の問題が根本的に解決されます。

このように考えると、われわれ市民は、電力会社に対しては、前記の、社員自らの自主的な「業務革新」を今までのように妨げず、むしろ、業務革新が発生しやすいような体制を整えることに最大限の努力で試行錯誤をするべきだと求めることと同様に、「技術革新」についても同様に発生しやすいように最大限の努力で試行錯誤をするべきだと求めることが、有益であると思われます。なぜならば、これらの実現価値は、電力会社自らが実に長期的に真に実現したいと考えてきたことと完全に一致しているためです。そのため、何ら対立が発生しません。業務革新と技術革新が、これから、電力会社を起点として、良い具合で発生すれば、もちろん電気コストは下がり、電力会社の利益は増え、電力会社の経営者は喜び、社員も喜び、市民も喜びます。本来は自然に発生するはずの、この好ましい流れを妨げてしまっているものは、実は、巨大電力会社のような日本型大規模組織における社員による試行錯誤の余地を無意識になくしてしまういくつかの上述した具体的問題点によるものだったのです。実はそれほど大きくない問題です。その問題を各社が詳しく研究し、解決するための試行錯誤を開始するという現実的作業の約束との交換として、国の側は、規制料金の値上げは渋々認めるということにすれば、全員が利益を受けます。電力会社の経営者たちと、国と、市民との合意が成立し、その画期的な出来事をきっかけに、日本の巨大企業を主体とした技術革新と業務革新が、自然に発生することになるのです。

さて、日本企業および日本役所の研究観察の結果として、これらの日本型組織が、戦後において驚異的に高パフォーマンスを発揮し、日本をおおいに豊かにすることになった歴史を有するにもかかわらず、現在その元気が感じられず、停滞してしまっていますが、なぜ、日本企業や日本役所が、一見、昔のように元気がないのでしょうか。なぜ、経営事務的に繰り返し同じことを行ってはいるものの、新しい技術革新を起こす元気がほとんどないように見えるのでしょうか。この現象が発生している根本的原因は、何でしょうか。現在正常なプロセスを働かせることができない状態になっている原因は、何でしょうか。これについて、さまざまな説が唱えられてきました。色々と高度複雑な理論がありますが、そういった理論で日本企業の物事は解決されてきませんでした。われわれは、最も単純な、誰でも知っている理由を見落としているのです。根本理由は、実は、極めて簡単なものであると感じられます。

すなわち、日本型組織は、単なる生命現象として、30 年間、眠っているだけです。劣化も、衰退もしていません。企業活動、組織活動は、個人の活動と同様の生命現象です。組織は、単なる人の集合ではなく、単一の独立した「人」であり、人格が存在します。したがって、常にコンスタントに動作をすることはできません。集団組織においても、人間と同様に、心拍や呼吸のようなリズム、昼間と夜のようなリズムが存在します。ただし、それらの 1 日に相当する回転が数十年単位で極めてゆっくりであるため、波のように見えず、あたかも永続的に停滞してしまったように誤解されるのです。毎日、8 時間くらい仕事を熱心にこなし、8 時間くらい適当に生活をして過ごし、8 時間くらい眠るという人間のサイクルを拡大して、今一度、身近な大企業・大役所を冷静に観察してみると、このことが良く分かります。

日本企業・日本役所の歴史は、戦前・戦後と存在しますが、いま、戦後だけをみても、終戦後、ぼちぼち目が冷めて、復興し、真っ昼間 (高度経済成長期) となり、夜まで必死に働いて、バブル崩壊とともに、主要な活動が終わって不景気となり、いったん眠りについた状態になっているのです。しかし、よく観察すると、眠って休んでいる人間も、再び起きて活動することに備えるため、体を維持するための繰り返し作業を、内部的に行なっているのです。これと同様に、日本型組織も、眠っている間も、ちゃんと、機械的・無意識的に、生命の継続維持活動を行なっているのです。これが、日本企業・日本役所の経営事務的作業、すなわち、決められたルール通りに毎日ひたすら同じことを前例主義で繰り返す、恐ろしく正確で高品質で単調な作業です。今問題となっているような、電力会社のような仕事です。今、何よりも重要なのは、自然な睡眠時間を経過したのちに再び目覚めることであると思われます。

すなわち、今は西暦 2023 年ですが、あともう少し待てば夜明けになり、日本型組織のうち一部の会社が、最初に、仕方無く起きてきて、技術革新的作業をやり始め、そのうちに、再び昼間になり、驚異的な技術革新など行ない、新たな時代における社会のインフラと、他の企業が活躍できるための新たなインフラの仕組みを、作り始めることになります。

そして、同様に、眠っていた他の日本型組織も、日本役所も、これに引きずられて、仕方無く次々に起きてきては、それぞれ、日本の次の黄金時代を実現するための仕事に、そして、その後は、利益至上主義・環境問題・合理化・効率化の波によって傷ついてしまった全世界を再構築・救済するための仕事に、取り組み始めることになり、日本型大規模組織の存続可能性と、そこに集まっている社員・職員達の人生におけるさまざまな価値の実現を目指した創造性とが、やがて、世界に対して、無限大の広がりをみせ始めることになるのです。