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挨拶って要る?

「挨拶は不要」

こんな話題がTwitterで賑わっていました。

話題の発端は触れずに置いといて、こういった「世の中の常識と化しているけれど、そもそもなんでこんな事やるんだっけ」みたいな事柄にフィーチャーして、疑問を持ったり言語化し合うというのは好きだったりします。

「挨拶ってなんでするの?」

さて、こんな質問をされた時、どう答えるべきでしょうか。

もし幼い子供に言い聞かせるのであれば「挨拶されたら気持ちよいでしょう。皆が気持ちよく過ごすために挨拶をするんだよ」と言うのがセオリーでしょうか。

では「周りはそう思っていても、自分は気持ちが良いと思わない。挨拶はなんでするの?」と深堀りされたらどうしましょう。

「それが常識だから」「マナーだから」

と一言で回答する人も居るでしょう。

「常識やマナーであるからという理由だけで続いてるのであって、挨拶自体に意味はないのでは?それならば挨拶する必要なんてない!」
つまり、意味のないルールは守る必要がない、守りたくないという主張が出てくるかもしれません。

意味の分からないルールの意義

例えば学校の校則などで「このルール要る?」みたいに思ったことがある人は多いでしょう。
服装の身だしなみの規定とか、ボタンがどうとか、人によっては「そもそも制服って要る?」とか。
理由がパッと分からないルール(本当は理由があるかもしれないし、ないかもしれない)というのは世の中にたくさんあります。

これに関しては私は、漫画「ここは今から倫理です。」で描かれた回答が私はとても気に入っています。

「……何か、(校則である制服のネクタイを付けない)理由があるのなら教えて欲しいです」
「無い。ルールに従いたくないだけ」
「ならばいけない。これはルールに従う練習だから」

こんなルール……必要ないし理不尽だと思うのでしょうが、社会に出れば学校どころじゃない……多くのルールが貴方に降りかかります。これはそれに従う練習だと思いなさい

「『ネクタイを締める』というルールすら守れないようでは、社会に出たらもっと酷い目に遭いますよ」

「ここは今から倫理です。第20話ネクタイと僕)

この場面で教師は最初に生徒に質問をします。おそらく、理由があればルールを破ったことを咎めないつもりだったように見えますね。(例えばネクタイを締めることが精神的苦痛である、と答えたならば思案したでしょう)

しかし嫌という理由はなく「ルールに従いたくない」という理由であったことで、それを咎めます。

ルールを破るとどうなるか

明確な理由があれば「しょうがない」と恩赦等の措置があるでしょう。

しかし「ルールに従いたくない」といったように理由が弱い場合、その人の評価は「この程度のルールも守れない人」という評価が下されることになります。

つまりルールには、ルールそのものに本来の意味があると同時に、【ルールを守れる人かどうかという評価を判定する】という意味があるとも言えます。

例えば挨拶が常識という名のルールであったとしたら、挨拶をしない人間は「非常識な人間」という評価になります。挨拶には円滑なコミュニケーションを取るためのメリットがあり、そのメリットを差し置いて挨拶をしない理由が想定されにくいからです。

挨拶はルーティンである

あえて理屈的な事を言うのであれば、挨拶やその他のルールは一種の【ルーティン】であると言えます。

普段、もし挨拶をしても返してこない人がいれば「私は嫌われている?」「あの人は機嫌が悪い?」などネガティヴな事実を連想するでしょう。逆に「嫌いな人には挨拶しない」とか「機嫌が悪くて返事したくない」と挨拶しない人も居るでしょう。
つまり挨拶が常識(ルール化)しているからこそ様々な事を連想することができて対応できる、すなわち円滑なコミュニケーションに必要な【ルーティン】であると言えます。

「気持ちが籠ってない挨拶でもしろというのであれば、それは嘘のようなもので意味がないのではないか」と言われたらそれは確かにそうなのかもしれませんが、打算的な観点で言えば、しっかり挨拶をするということは「社会的承認を得た」という事でもあります。

ありがとうと思っていなくても「ありがとう」、ごめんなさいと思っていなくても「ごめんなさい」、頼みたくない相手でも「よろしくお願いします」と言えば、貴方のやるべきことは終わっており、そこには一定の社会的承認があった(相手への一定の責任を果たした)と評価されるでしょう

ルールを変えたい時

「そんな良く分からない慣習で、社会的評価が決まるなんて我慢が出来ない。どうしてもこのルールを変えたい」という強い思いがある人もいるかもしれません、その場合でも現行のルールは極力守った方が良いでしょう。

「貴方が一人がルール違反を続けた所で……私たち学校……もっと言えば社会は変わらない。嫌ならルール自体を変える努力をしてみなさい。社会のルールをきちんと守った上で」

「ここは今から倫理です。第20話ネクタイと僕)

「なぜ従いたくないルールで、それを変えたいのに、従わなければいけないのか?」という疑問に対する答えは、「ルールに価値を与えないのであれば、貴方が変えて作り上げたルールもまた無価値なものになってしまうから」です。

世の中には強い正義心から「世の中のルールを変えたい」と思う人達がいます。世の中には【表現の自由】がありますから、色んな手段でちゃんと法律(ルール)に則って人々は社会に訴えることができます。

しかしその想いのあまり「自分たちは正しいのだから、そのためには何をしてもいい」と思っている人たちもいます。

私は社会を本気で変えたいなら、既存のルールを守って=今の社会のルールに則って活動しなければいけないと思います。

社会という枠組みの中で生活するという事は、社会という恩恵を受ける事であり、それは既存のルール、周りからの社会的評価、社会的承認を大事にして生きていく責任があると思います。

挨拶って要る?


挨拶自体に意味はあるかないかは重要ではなく、常識となった行為をしないという事が社会から外れた行為でありそれ相応の評価を社会から受けるという事を認識しなければいけません。

社会の中で、円滑に過ごしたい=社会的承認を得ていきたい、のであれば挨拶しましょう。もし気が乗らなかったとしても、社会で生きていく訓練だと思ってやったほうが良いのです。上手く挨拶していけば有用なルーティンとして円滑なコミュニケーションを築いていけるかもしれません。


以上

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