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「表現」と「表現者」


先日、私がこのようなツイートをしました。

実はこの直前に書いた記事を公開した時の、なんとなくの見込みフォロワー獲得数が30人前後くらいの手応えでいたのですが(根拠無し)、実際にはほとんど増えなかったため、うーん上手く行かないものだ、と思いました。

5月10日は私にとってちょっとした節目だったのですが、何の日だったのか?をご説明するために、まずは天路めあさんの事に付いて語らせてください。

この人は誰だろう?

私が天路めあさんの事を知ったのは2022年4月頭の事。

きっかけはマスナリさんという方が"天路めあさんをゲストに呼んだ対談企画"の宣伝、それに合わせた神崎ゆきさんのジェンダークレーマーの定義の記事を見て、天路めあさんという存在を知りました。

神崎ゆきさんの記事で"ジェンダークレーマーの言葉の提唱者"として天路めあさんは紹介されています。
まだジェンダークレームという言葉も良く分かっていなかった私の第一印象としては、

「あの神崎さんが提唱者として尊重し、協力してるなんて……よっぽど凄い傑物に違いない!」

アカウントの雰囲気の良さ

対談の前にアカウントの雰囲気を見てくると、大分和んだ空気のアカウントです。基本的にはアカウントの主に共感した方が集まっているので、この空気そのものが天路めあさんの性格を表しているのでしょう。何かを非難するような嫌悪の言葉であったり、暴言というのは全く無縁の世界でした。呼びかけの多いアカウントでもあり、主語が「みなさーん」であったり「~という気持ちで行きましょう」とか良い雰囲気作りを意識しているイメージです。普段の発言も基本的にゆるゆるなので毒をあまり感じません。皆にとっても癒しの場所になっているのではないでしょうか。

マスナリさんとの対談にて

2022年4月8日。対談のスペースを拝聴させていただきました。
リスナーの数はかなり多く、100人近い人数が聞いており、リスナーの中に神崎さんの姿もございました。

さて対談が始まり、いざ天路めあさんのお声を聞いてみると……

最初のイメージとは全く違う声の主、強さと無縁そうな、か細い声の女性の方でした。

とても緊張していらっしゃるのか、圧の強いマスナリさんの質問にタジタジに翻弄されている上手く喋れないご様子でした。

当時の私としては、天路めあさんはまだ「全く知らない他人」でしかないので、あまり肩入れする感情も無かったのですが、スペースのタグを付けて「このように回答すると良いのではないか」と支援もしていました。

しかしとにかくこの時のマスナリさんの圧は凄かった。マスナリさんの反対意見に「な、なるほど」と頷いてしまうくらいに天路さんは完全に劣勢状態

そんな矢先でした。
マスナリさんがこのような質問をしました。

「ハッキリさせたいのですが、天路めあさんが守りたいのは、表現ですか、表現者ですか?」


私はこの質問は「あ~これはいかにも人に寄り添ってそうな『表現者』って答えさせて『じゃあ問題のある表現はなるべく規制して表現者の安全を保つほうがいいですね』とか規制につなげてくる、ひっかけ質問か~」と解釈しました。


この質問に天路めあさんは、それまでの質疑応答とはうってかわって迷わず即答していました。


「表現者です!」


えええええ!?


と私は思ったんです。
でも別にリスナーの神崎さんも動く気配が無いんです。だから私はすぐに思い返して、ハッとしたんです。



ああ、だから天路めあさんが選ばれたのだな、と。

表現者を守りたい気持ち

私はマスナリさんの質問に、汚れた見方で懐疑的に解釈してしまいましたが、天路めあさんは何の思惑も考慮せずに、純粋に本心から「表現者」と答えたのでしょう。
「表現者です」と答えた彼女の口からは流暢に、思いを述べる言葉がどんどん紡ぎだされていました。

素直で、純真な、真っ直ぐな言葉に私の心は強く胸を打たれました。彼女は本当に創作者を、人を、人の心を守りたいという優しい気持ちを持っている。

知恵は識者から授かればいい、周りの者がいくらでも支援できる、しかし彼女の優しさからくる魅力は誰にも補うことができない唯一無二のものでした。

次の日4月9日の彼女の日記にてスペースの反省会記事が載せられていました。私は、天路めあさんに感動を受けた事を率直に表現し、お伝えさせていただきました。

さらに次の日、4月10日。私の感想から、私に興味を持っていただいたのか、私のnoteをご覧いただいた旨を伝えられ、そしてtwitterアカウントをフォローしていただけました。


フォロワーが0から1になった瞬間でした。

私の初めてのフォロワーは、天路めあさんでした。

私は嘘を付かない信条で、プロフィール欄は「性的表現が苦手です、表現規制には反対です」と書いてあって、パッと見「敵か味方か」分からないような状態であったのに、良くフォローしてくれたものだとビックリしています。(noteはいくつか公開しており、表現の自由を唱えていました)

しかもフォロワー0の時にフォローしてくれるというのは生半可ではないような気がします。これもきっと、人に偏見をもたない、彼女の誠実さが成せる事なのでしょうね。

感謝

というわけで5月10日は、
私が初めてフォロワーが出来てから1ヶ月記念日
でした。

1ヶ月という区切りで、天路さんに感謝を伝えるために、フォロワー数を100以上に目標立てていました

5月10日時点での私のフォロワー人数は127人でした。これだけのフォロワーを得られたのはひとえに天路めあさんのおかげなのです。すでにある数字を増やすより、0を1にするほうがよほど困難であり、天路めあさんが私をフォローしてくださらなかったら今の私は皆様の前に居なかったでしょう。

私のnoteが皆様に読んでもらえる……そんな魔法をくれた、正真正銘の、魔法少女なのです。

↑まあ30人以上のフォロワーがこのツイートで増えたんで、天路めあさんのおかげってそのまんまの意味になってるんですけど(笑)

表現と表現者

さて。

「表現の自由」を守ることは、表現を守ることであり、同時に表現者を守ることでもあります。

ただ、理屈の話をする際に「表現を守る理論」が先行することは多々あるでしょう。

しかし表現を守るために表現者の尊厳を蔑ろにしてはいけません。

表現者を守る気持ちを強く持つ人こそ、今求められているのでは無いでしょうか。

最後に

天路めあさんは本当に優しい、誠実な方です。
彼女は表現者が守られ、全ての人間のそれぞれの好きな作品が、それぞれに届き、楽しまれるような世界を願っています。

彼女のことを応援して、みんなで表現を、表現者を、守りましょう。

天路めあさん、いつも本当に有難うございます。
これからも応援しております。


天路めあさんが気になった方は、ぜひチェックしてフォローしましょう!

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