不義理の古着屋
みなさんは不義理してますか?
僕はちょくちょく。
これはこの間あった話です。
この間家族でしゃぶ葉に行きました。
僕の誕生日を祝うために行ったそのしゃぶ葉でたらふくお肉を食べたあと、その隣にあるセカンドストリートに寄ろうということになりました。
地元の三階建てのセカスト。
自分は古着を見るのが好きだったりするので、せっかくだから寄ろうと言ったわけなんですが、服見ていたら便意を催しまして。
まあお腹痛い、ではなく便意を催す、だから別に耐えられないアレじゃないんですけど。やや肛門力強めに服を見続けていたんです。
そしたらセカストの三階の一番奥にトイレをみつけたんです。
これ、優しさやな、と。
これもうトイレじゃない、優しさの象徴だと。
服屋さんて別に飲食じゃないから、トイレなんてなくていいじゃないですか。
従業員しか使えなくてもいいじゃないですか。
ここで三階の一番奥にトイレを開放してくれているのって、100%の善意。つまりは優しさなんじゃないかって。自分感動したんですよ、クソしながら。
人間もこれと同じなんじゃないかなとも思いました。
三階の奥に優しさを設置していたセカストを見て、人間も優しさは心の奥に誰しも宿しているんじゃないかなって。
誰しも心の奥の感情では「泣いている人にハンカチを渡してあげる」「お年寄りに席を譲ってあげる」そんなことができる真の優しさがあるんじゃないかなって。トイレの中でそう思ったんですよ。
いやちょっと待って。
え?
待って待って
じゃあ俺、優しさに……
優しさにさ
優しさにウンコしてしまってますやん
ウンコしてしまってますやん、って話
そんなことあっていいのか?
優しさの象徴であるセカストの一角にクソするなんて、そんなこと裏切りじゃないかよ。相手の善意を仇で返す、不義理なんじゃないのかよ。
泣いてる自分にハンカチを渡してもらって、そのハンカチにウンコしてるようなもんだぞ。
席を譲ってもらったおばあちゃんが、その席にヨイショってウンコするようなもんだぞ。
そんなこと、あっていいはずがない。
でも俺はやってしまったんだ。
こんな不義理、自分でも到底許せない。
もうだめだ。
今までいいことをしよう、いいことをしようと生きてきたのに。
俺もまた善人であろうと生きてきたのに。
だめ、もう終わり。
こんな相手の恩をクソで返すような人間、人様に顔向けできない。
これからは悪人としての道を歩もう。
第二の人生の道として。
これが俺の、セカンド ストリート。
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