さーもんの半生

どうも初めましての方は初めまして。そうでないかたはこんにちは。さーもんです。今回はこゆんゆのパクリ企画の僕とはというところにフォーカスを当てて文章を書いていこうと思います。


デュエルマスターズとの出会い

僕がデュエルマスターズに初めて触れたのは忘れもしません。中1の夏です。もともと僕は小学校6年間をグアムという離れ小島で生活しており小学校の校区がそのまま反映される中学校では非常に人間関係の構築に難を抱いていました。帰国子女である僕を面白がって「英語を話せ」や「アメリカ人なの」などそのあとどないすんねんみたいなくそおもろない会話とともに過ごしていた終わりの学校生活でした。しかし、グアムでサッカーをたしなんでいたこともありサッカー部に入部した僕はそこで運命的な出会いをします。Mくんとの出会いです。彼は同じクラスで部活内でもよく話かけてくれカードゲームが趣味でした。そんな彼が夏休みのオフの日にふとこんな一言を言います。
「さーもん賢いしカード一緒にやろうよ」
彼の一言に最初面白半分で近所のTSUTAYAまでついていきルールをサラッと聞いたうえでいきなり当時で言うデュエ祭、今でいうデュエマフェスに参加しました。使用デッキはMくんの赤緑速攻。よくあるやつですね。お好み焼きみたいなもんです。結果は惨敗。人生でもあまり負けた経験がなかった僕はそこからこのデュエルマスターズにのめりこんでいきました。

環境デッキを知る

そんなこんなでMくんとカードを続けていましたが中2の秋くらいから彼はカードゲームをしなくなりました。しかし彼がいなくなっても僕はカードゲームをしていました。拠点は近所のTSUTAYAからサンクスという本屋に移り、毎週日曜日の部活がない日にデュエ祭に出る生活をしていました。そこではもう環境デッキのまがいものを使い始めていました。TSUTAYAのころからの友人である、るうみゃーさんのつながりで人脈を広げていき、ネット環境のない僕は彼から環境デッキについて教えてもらいカードゲームを教えてもらいました。その中でも数人と仲良くなりたまに川西のハリケーンまで遠征するようになりました。

初めてのcs

初めてのcsは中2の春にるうみゃーさんとMくんと確か石橋csのチーム戦で「らぎ墓地」を使った覚えがあります。結果はオポ落ちでした。そこから、るうみゃーさんに誘われるチーム戦にちょこちょこ出てました。僕に訪れた転機は中3の冬、スマートフォンを手に入れたときです。

twitterを始める

はい。Twitter始めました。終わりの始まりです。世界が広がった僕は三宮が近場のデュエマのスポットだと知り出向き始めます。このあたりで近藤さん、せいさん、7さん、白メガネ、こゆんゆなどのいわゆる三宮勢とかかわりはじめcsに出る頻度も上がります。ちなみにこの頃の僕は遊んでくれた三宮勢の人たちに敬語でお礼のdmをおくってた覚えがあります。高1の冬には「みうらちゃん愛好会」に入部しました。初日の大富豪で5k負けてセブイレに駆け込んだ覚えがあります。

現在へ

三宮勢とかかわりはじめだいたい三宮に行くようになってからはるうみゃーさんなどの地元の人たちと関わる機会もなくなりました。その反面、三宮勢からつながる関西の人脈、みうらちゃん愛好会でつながるインターネットの人脈とどんどん知ってる人は増えました。そんなこんなでのらりくらりしているうちにいつの間にか大学生になり今ではデュエマはほとんどしないおじいちゃんになってしまいました。今の中学生とか高校生の三宮勢にはもう少し外の世界を知ってほしいなって思います。深い意味はないです。


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