自分の体験からの差別
自分の体験から外国人男性に比べて日本人男性はクソであったというツイートしてる人いたんですけども、
赤子が大泣きして荷物持ったりしてる時に助けてくれるのは日本人男性ではなく外国人男性が多かったって趣旨のツイートだったんですが、
ほんなら、日本人女性や外国人女性はどうだったのかとか謎は残りますが、
別に個人の体験から日本人男性は不親切だったって主語が大きい結論はいいんですよ。それはね。
わいは関東民なので在日問題ってぶっちゃけ生活に全く関わりないのでピンと来ないとこはあるんですが、
関西ツイッタラーが過去に在日に嫌な思いをしたという個人的な体験があって故に在日はクソであるって結論を出すのは偏見だと言えば偏見なんですが
半径2mくらいの個人の体験から結論出すのも仕方ないでしょ。
だってそれはその人の世界の認識なんだから。
個人的な体験ででかい主語で〇〇は✖︎✖︎であると一般論を導く人って正直バカだなーとは思いますけど、
個人的な体験による一般論が多くの人で一致するんだとしたらもうそれは傾向になる訳ですよね。
多くの人で一致するならそれはもう傾向ですからね。
偏見とか差別ってこれは日本人男性はこういう傾向だよね、在日はこういう傾向だよね、黒人はこういう傾向だよねっていうので固まってくると思うんですが、
これは在日がーのネトウヨだけでなくリベラルでもやってるし、人間全体がやってるし、わいもやってます。
んで、赤子連れの母親に日本人男性が不親切であるってのは完全に個人的な主観で当然シュナムル尊師みたいな日本人男性は助けるんだろうし全員ではないんですが、
彼女の体験の中では日本人男性より外国人男性が親切だったという事実はあるのでしょう。
結局、自分の体験から導き出された結論はそれが普遍的な一般論からともかくその人の中では真実であるので、その人のなかでは普遍的な一般論になるというお話。
それ自体はなんも悪いことではない。
これが差別の原因です。
子連れ母親の件は荷物運んだり親切にしてくれたという実体験による基準があるから日本人男性は外国人男性に比べて不親切であるでもその結論はいいのですが、
厄介なのは女性に多いとは言わないんですけど、誰かに何か被害を受けたという実体験も無いのに自分の中の感情論を反復して被害妄想を一般論化するケースですね…