【悲報】立民泉代表が乃木神社参拝で炎上

ちょっとニュース古くなりましたが、立民の泉代表が乃木神社に新年の参拝したら軍国主義だと批判されて大炎上で大草原😂



災難だったな〜とは思うものの、立民の支持層そういう人多かったじゃん?w

しかも自らを乃木神社参拝を機に愛国左派アピールも爆笑
いや、いいと思うんですよ。左派に愛国がいても。

日本を愛してるけど左派、いいんじゃないですか?
ネトウヨも大きな政府を支持してて経済政策は左派多いので実質的には愛国左派だとワイは思ってます。

泉代表は憲法改正も必要ならやるべし、防衛費を増やすのも妥当ならばありという見解らしいので国防には意欲的なんですよね。

ワイは社会保障、福祉充実を唱え国防も唱えてるネトウヨも実質的には愛国"左派"だと思っているし泉代表とそこまで思想の違いはないと思うんですよ。

で、これ、前振りです。
前振り長くてごめんな。

本題は日本の歴史的な宗教観だ。
ニワカ自称歴史学者ゆとうさまの講義をよく読め。

日本の宗教観を歴史から振り返る

ネトウヨは発狂するかもしれませんが、日本は長い間、歴史的に実は仏教が国教だったんです。冷静に考えてみてくれ。
聖武天皇が仏教を国教として事実上布教させてんですよ。鎮護国家とか歴史でやったでしょ。
それ以前に聖徳太子の頃、氏族のショバ争いも絡んだ宗教戦争的なものもあり、
仏教の蘇我氏に対して神道の物部氏で蘇我氏が勝った、そして推古天皇、聖徳太子が蘇我氏の姻戚だったので仏教を国家として推進して行く事となったんですね。
聖徳太子以降に神道は滅んでたのかというとそうではなく、神道というよりも神社は寺みたいなもんっていう感じでそれはそれで民間でと信仰の対象になってました。


それまで神道メインだったのが神道も捨てる訳ではないけど事実上は仏教がメインになっていったのです。
また、仏教は渡来のものだったので大陸、半島の進んだ文化とともに入ってきたこともあったのでしょう。

神道というのは仏教のように経典的なものははっきりとした教義はない、万物は神であるというようなざっくりとした宗教というかアニミズムなので仏教と融合して、日本人は宗教適当なのでどっちも神仏みたいな感じで続きました。
これが神仏習合ですね。

そういう歴史を考えれば日本は皇紀2600年の神道の国とはならないんですよ。

神道を今の形にしたのは明治政府だった

明治維新というのは革命でもあるので国教を神道として制定したのは革命の産物なのです。

江戸時代も幕府が仏教を国教化してキリスト教を取り締まってたので事実上仏教が国教でした。
檀家制度も江戸時代に作られたものです。
田舎の集落にある長く続いてる家は半強制的に大体どこかの寺の檀家になってる。
うちも真言宗の檀家だ。

明治維新は実態は討幕という革命なので江戸幕府のシステムを破壊する必要があり天皇を中心にして神道を国教として新たに構築する必要があったのです。

明治維新までは日本の歴史的には国教は仏教であったのです。

明治政府が革命政府だったから江戸幕府と結びつきが強かった仏教を破壊する必要があったのです。それまでは天皇も普通に仏教信じてました。
それと同時に宮廷祭祀は神道でやってただけなんですね。


伊勢神宮の歴史も掘り返すと皇族がずっと管理していて厳格なものではなくて、南北朝時代の戦乱で皇女が斎宮を務めるのをやめた後は皇族ではない地元の有力者みたいな人が管理してた時代が長いんですよ。
南北朝時代の戦乱があって伊勢に行くのは危険だったので歴史的には皇族がずっと伊勢神宮を守ってきた訳じゃないんです。

応仁の乱の頃から戦乱で皇族もそれどころではなかったので神道に基づく宮中祭祀も江戸時代になって江戸幕府の支援で200年近くぶりに復活したのだ。

宮中祭祀も仏教式のものもあったらしい。

基本は宮中祭祀は神道式で、天皇の葬儀は仏教で菩提寺も寺、というように仏教をメインとしながら両立していたのだ。
天皇としては神道と仏教を分ける必要もなくどちらも信仰していたというのが実態だ。

なので、革命テロリストの明治政府が捏造したようなネトウヨ史観の日本は神道の神の国だー!みたいなん噴飯物でしかない。
江戸時代までは仏教メインで仏教も神道も念仏唱えて拝んで神様であるみたいな緩い感じでしょう。
うちも仏壇の上に神棚ありました。

日本の国教は神道ダー!って思ってるネトウヨ多いですが実際には3%しかいません。

https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20190401_7.pdf

仏教の方が多いのは江戸時代からの檀家制度の名残なんですね。

宗教戦争的には聖徳太子の時代に事実上神道は負けたんですが元々神道は何でも神様、教義も特にない、なので民間にと溶け込んでアニミズム的神仏習合して残ってきたんですね。

そして明治維新後に国教が仏教から神道に変わった。

でも民間では既に二つは融合してので完全には切り離せなかったんですね。

田舎のお婆ちゃんとかは太陽をお天道様と拝む人もいると思います。これもアニミズムですね。

アニミズムのanimaとは魂のことで、自然物にも魂、人間にも魂はあるのでなんでも神にはなれたんです。
よく死ねば仏って言いますけど、これは仏教的な考えというよりはアニミズム的発想で生まれた考えでしょう。
平将門すらも怨霊鎮める為に神にしちゃう、それくらい神道は緩かったので他の宗教ともぶつかることもなかったのです。

細かいことを話すと朱子学や仏教の影響を排した本居宣長とか逆にキリスト教的な宗教観を取り込んだ平田篤胤とかいて、幕末の尊王思想に繋がっていくのです。

実は今の古事記の解釈、神にも序列があるというのを盛り込んだのは平田篤胤のキリスト教的な価値観を盛り込んでかららしい。

天皇を中心とする体系を作るには一神教の価値観も必要だったのだ。
天皇=神、とするには西洋の「王権神授説」の概念が必要だったからだ。

布教をするにはロジックや教義が必要ですが神道はなんでも神様なので布教というには弱かったのですが、その分、なんとなく生活に浸透していきました。

それを明治政府が分離しようとしたのが無理矢理で歴史を改竄しようとしたのが明治政府なのです。
大体それまで天皇は仏教で代々葬式してたのにいきなり切り離すのがそれこそ明治政府は不敬だったんだよ…

ネトウヨは何故か大日本帝国的な歴史観が好きだけど神の国日本みたいなのは多くは明治政府によって捏造された歴史なのだ。

天皇の葬儀は聖武天皇から始まり江戸時代後期まで仏教式で行われてたし、歴代天皇の墓所と位牌が置かれてる泉涌寺という菩提寺もある。
宮中には仏間もあったらしい。

京都から東京に遷都したこともあって皇室への寺院の影響は薄れていったのだ。

戦争に負けてGHQの圧力もあって今は政教分離してるので国家神道は無くなりましたが、国家神道が成立して帝国主義、軍国主義の下に軍神が祀られたのはこういう流れなのだ。

神と仏の違い

ところで、神と仏の違いってなんだと思います?

仏ってのは超越的な存在なので人間に祟るということはないんです。
対して神というのは自然界のアニマから発生したものなので恵みも災害ももたらす訳です。鎮めなければ人に祟る存在でもあるのです。

仏は人に祟らないけど神は人に祟ることがある。

自然はコントロール出来ないので神を祀ることで神からの恵みを得て祟らないようにお祈りするのです。
アニマは人間にも当然に存在するので、菅原道真や平将門といった朝廷に恨みがあるような怨霊が災害をもたらす場合もあるから神として祀るのです。
怨霊を鎮める為に神にする、というのはアニミズムの発想なんですね。

ここが仏は人間を超越してるものとしてる仏教とは違うところです。

では軍国主義の元に作られた軍神を祀る神社は悪なのか

結論から言うと軍神祀ってもワイはなんも問題ないと思います。

戦争で死んだ人は靖国にというのも勿論軍国主義からもありますけど元の発想はアニミズムなんですね。
非業の死を遂げた御霊は鎮め祀る必要があるのです。
非業の死を遂げた人を鎮め祀るというのは軍国主義以前に多神教で宗教観はゆるふわな日本人はよくやってたんです。

乃木希典や東郷平八郎もなんか偉い人だし戦争で活躍したし神にして祀ろうってのは軍国主義も勿論関係ありますが、日本人的な緩い宗教観から発してる事なんですね。

権力者の豊臣秀吉、徳川家康やなんか神通力ありそうな人安倍晴明やみんなの為に犠牲になった千葉県の義民佐倉惣五郎とか、身分は上から下まで神社で神として祀ってきたのが日本人なんですよ。

更に言うと、現人神というのは人でありながら神みたいなもんで、厳密に言うとこれは天皇に限られなかったんですね。
諏訪大社や出雲大社の宮司を神の子孫として現人神として崇める風習もある。
人間にはアニマ、魂があるのでそこはやはり基本はアニミズムな訳です。

日光東照宮は家康の死後ですが家康を権現様として祀ってる、日光東照宮も神仏習合してるので仏教、神道融合してます。

たしかに乃木神社や東郷神社は帝国主義、軍国主義の産物ではありますが人を神として祀ること自体は歴史を振り返るとそう異例でもないんですね。

なお、ワイは軍国主義はクソofクソと思ってますし、ネトウヨはまず真っ先にてめえが戦えと思ってます。
謎史観ネトウヨがマンセーしがちな明治政府もワイは大嫌いだし更に言うなら薩長が大嫌い。
会津松平容保公こそ誠の侍。薩長明治政府こそ古来からの日本文化破壊した革命テロリストのクソ土人と思ってます^^

そして軍国主義の日帝が勝ち目もないのに戦争に突っ込んだのもクソバカと思ってます。

アメリカの靴を舐めときゃ日本は今頃もっと発展してたんだよ。
ケンモメンくらい水に落ちた犬を叩いて常に勝ち馬にのる精神で行けばよかったんだよ。

しかしですよ、日帝の軍国主義けしからんから乃木希典や東郷平八郎も帝国主義でクソですねーwwwで終わるようじゃ、日清日露戦争で戦った無名の兵士はもっと浮かばれないし、
当時の日本が列強に飲み込まれてたら今の日本が無かったのも事実。

乃木希典や東郷平八郎がロシアを退けなかったら最悪のシナリオ、ロシアに飲み込まれてた可能性だってあるのだ…

そしたらウクライナ民みたいになってたのだ…

乃木希典の203高地での戦いは無謀だったと言ったところで事後諸葛でしょう。

無謀だったけどあそこで負けてたらロシアに飲み込まれて日本無かったまでの世界線もあるのだ…

軍神乃木希典や軍神東郷平八郎、無名の戦士が戦って列強からロシアから日本を守ったのもまた事実なのだ…

そこは過小評価出来ないと思う。

帝国主義も明治政府もクソだけど人の魂を祀るというのはそれ以前の歴史でも日本人はずっとやってきたことなのだ。

普段は忘れてるけど日本は多くの血の上に成り立ってる。それは忘れてはならない。

乃木希典、戦略微妙だし天皇の後追い自殺するやべえ奴ではあるけどそれくらいの狂気とも言える日本守るマンはやはり神として祀るレベルであろう。 乃木希典、荒ぶる神レベルではある。

憲法改正や国防費を増やしてもいいという主張の泉代表は本人が言うように愛国左派なら乃木神社に参拝は矛盾はないのである。

むしろ、当時の列強の脅威の中、戦争に巻き込まれて死んだ多数の人を忘れない為にも軍神が祀られてる神社はあっていいとワイは思う。
人間でも神になっちゃう古来からの宗教観で軍神を祀る神社が出来たのはいかにも日本人とも言えるでしょう。あっていいんじゃないですかね。

軍神すら忘れ去れらるんじゃ日本の戦争の歴史は忘れ去られるでしょう。

むしろ多くの血の上に日本が成り立ってることを噛み締めるなら軍神祀った神社も歴史として必要だと思います。

逆に言うとね、帝国主義がクソだったとして日本がボケっとして大人しくしてたらウクライナ民と同じくなってた可能性もあるんだよ…

今なんとなく暮らしてるけど、当時の日本が軍備なかったら今の日本あったか分からないんだよ

ギルティなのは負け戦の第二次世界大戦に突っ込んだことなのだ

帝国主義の歴史含めて今の日本があって兵士だけでなく全ての日本人にアニマがあるので乃木神社に祀られてるのは軍神乃木希典だけでなく全てのアニマなのである。
神社ってのはそれくらい緩いところだからそう思ってりゃいいのだ。

神は万物に宿るのが神道だから帝国主義、軍国主義をも飲み込んでイデオロギー関係なく全ての魂を慰撫し鎮魂するのが神社なのだ。

こまけぇことはいいんだよ、が神道の真髄なのだ。知らんけど。