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DJ_やめましたのレコファン記録

2012/07/11・2013/12/12・2015/12/07・2016/07/06・2017/07/19・2018/03/10・2018/03/13・2018/08/16・2019/01/27・2019/02/17・2019/06/17・2019/09/19・2019/09/20・2019/09/22 ・2019/09/26・2020/02/28・2020/03/03・2020/03/16・2020/04/03・2020/05/28・2020/06/03・2020/06/21・2020/07/12・2020/07/30・2020/12/06・2021/01/04・2021/02/14・2021/04/18の日記

 今日も横浜駅前のディスクユニオンとレコファンとブックオフが織り成す三角地帯を巡回していたら、CDのアートワークがラメルジーでライナーノーツを執筆しているのが荏開津広さんだった『ILL-CENTRIK FUNK Vol.1』に巡り合った。スマーフ男組らが参加の“寝ても覚めてもエレクトロ”なコンピレーション。
 L?K?Oによる君が代エレクトロの捻りがすごい。

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 ちなみにフランスを代表する重鎮ラッパー、MC SolaarやGURUやザ・ルーツがファラオ・サンダース、ハービー・ハンコック、ロイ・エアーズまで勢揃いした大御所ジャズ演奏者&英国アシッドジャズと共演するのが呼び物だった1994年のエイズ啓蒙イベントの企画コンピCD『STOLEN MOMENTS:Red Hot+Cool』の解説も荏開津広さんが書いていた。

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 1996年に佐々木敦のレーベル・UNKNOWNMIXから出た“エレクトロ・ヒップホップと電子音楽と音響ソフトポップが混在する”バンド、アステロイドデザートソングスとその後継ユニットのスマーフ男組の『個性と発展』、とADSのメンバーだったAhh! Folly Jet、の曲が収録されている『Fish Smell Like Cat』は1997年にスコットランド人のDJ・HOWIE Bが日本の音楽家を特集して編纂されたPUSSYFOOT RECORSのコンピ。

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 ジャンルを問わず埋もれたコンピを集めるのが趣味になっているDJ_やめましたですが、さっき何かの弾みで積んだCDの中から出現したのがドイツの実験電子音楽レーベル・ミルプラトーが同名の本の著者であるフランスの哲学者=ジル・ドゥルーズに捧げた2枚組トリビュートアルバム。
 アレックエンパイア、クリストフシャルル、アトムハート、クリス&コージー、ジムオルーク、OVAL、マウスオンマーズなどテクノエレクトロニカ系とノイズインダストリアル系の音楽家が仲良く参加している。ヒップホップ勢はDJスプーキー…
 ざっくり聴いてみたらGAS「Heller」とSteel「Death is The Beginning」が良かった。

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 1991年に出た京浜兄弟社プレゼンツのオムニバスアルバム『誓い空しく』は当時コンスタンスタワーズを率いていた岸野雄一のプロデュースで、全15曲のうち5曲で菊地成孔がサックスを演奏していて後にPACIFIC231を結成する蓮実重臣がドミニクスというバンドで参加している。

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 佐々木敦がプロデュースした2001年のレーベルコンピレーション『Weather』は、「Voices」盤と「Songs」盤の2枚組。個人的にHEADZから音源を出しているミュージシャンの面々を知ったのが雑誌「エクス・ポ」時代からだったので、山本精一を論じた原稿(山本精一、ひとりの大音楽家(「なんとなく、クリティック」)で“Pヴァインと組んでレーベルをやっていた”時期のエピソードを書かれていたので存在は知っていたけど実物は初めて見た。
 今の所高野健一(PAL@POP)の別ユニット・Erialのクールなエレクトロポップ「Invisible Blue」と、空気公団の「みんなお誕生日」と10分弱間でループの展開が重層的に変速するサンガツのインストポストロック曲「Phooco」が良かったです!

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 WeatherからアルバムとEPが出ている益子樹&ふみえを中心にした歌ものダンスミュージックユニット=ASLNは現在Apple Musicで配信されていました。Prefuse73とRiow Araiによるremixも聴ける。

 あとスペースシャワーTVがP-VINEから出した2002年の悪ノリコンピレーション『タダダー!トリビュート 至福刑事 vol.2』にDCPRG〜マヘル・シャラル・ハシュ・バズのライブ音源と一緒に8th Wonderのラッパー兼トラックメイカー=Masashiのソロ「In A Silent Way」が収録されているのを発見した。disc3が「ガンバって欲しい音楽家の音源集」……。

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 たぶん2037年ぐらいになったら「当面の間」っていうインディーズバンドの名前なのかオムニバス企画盤のタイトルなのか買い取った店員が判別できなかった詳細不明のCDがブックオフの280円均一棚に並んでいてふとノスタルジーが横切りそうな勢いで道端で目にするフレーズ。TOUMEN NO AIDA…
 最近はもっぱら邦楽なのか洋楽なのかどこの馬の骨なのかもわからない楽曲で踊らせられるのかどうかCDに収録されている中身を聴いてみないと識別できないコンピ狙い派へと道を踏み外しているDJ_やめましたです。

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 今日も誰も止める者がいないので高円寺経由でロスアプソンと円盤で探し物をした後、レコファンに2時間ぐらい入り浸っていたら閉店間際にエレベーターの前でレコードの束を抱えて談笑している東南アジアから来た若者4人組と友達になりかけた。
 円盤ではかえるさんが率いるかえる目の2016年のアルバム『切符』を入手しました。

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 ちなみに前提として紀伊國屋書店新宿本店ビル8階にあるディスクユニオン新宿セカンドハンズ店とお昼休みはウキウキウォッチングのテーマソングが放送されていた旧スタジオアルタ跡の6階にあるHMV recordshop(中古も扱っている)には交互に通ってます。

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 今日もまた帰りに寄る所がレコード屋しかないのでMCの相方もいないのに無用なインストゥルメンタルビーツのストックを無闇に増やしてしまった。

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 今日もまた再生してみるまで中身が何ビーツなのかわけのわからないCDをレコファンのまとめ買いセールで仕入れました。

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 およそ5ヶ月ぶりのレコファン!それもタイミングを逃し続けていた秋葉原SEEKBASE店に初めて行けたので有料の袋大サイズをもらわないと持ち帰れないほど買いすぎた。

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 日頃より慎重に協議した結果、今後益々のご健闘をお祈りしていただいているとのご連絡を確かにこちらで承っている各社様にご報告を申し上げます。

 8割はディスクユニオンレコファンブックオフ、2割はタワーレコードで買った盤の中に埋もれたリミックスワークを整理収集して参りましたDJ_やめましたの音源データの保存領域が1テラバイトの大台に突入する決断をしたのが2018年のことでしたが気がつけば2年後の現在、数日前からCDドライブでの読み込み作業中に不明なエラーが表示される原因を調べたところ、HDDの使用領域が満杯になっておりました。
 これを機に昨日2テラバイトのHDDを増設いたしましたのでこの度約2倍になった空き容量に慢心せず、.wavファイルへの取り込み活動に邁進させていただきたく存じます。

 正直言って中身がよくわからないものをざっくり大量に仕入れるよりもdiscogsと検索力を駆使してメルカリで1本釣りした方が時間的にも経済的にも効率が良いのはわかっているのだけれども、街のレコード屋で遭遇したビーツというスタンスは崩したくないのが悩み。

 今日は緊急事態宣言後に営業再開したばかりで在庫が満ちている横浜のディスクユニオンでこの数年間レコード屋のテクノハウスの棚で何回探しても一度も出会えなかったAkufen『My Way』と遭遇したのでまだ4日しか経ってないし新型コロナウイルス感染症の緊急経済対策で実施される特別給付金の申請葉書も届いていないのに今月の運を使い切りました!

“「駄目だよ、石田さん、仕事辞めたらオカしくなるんでしょ」
「……まあ」
 いちこは僕が昔アル中になった時のことを言っているのだ。確かに酒の量が増えたのはレコード会社と契約し、それまでしていたバイトをしなくなり、自由になる金と時間が増えてからのことだった。
 それがどんなにつまらないやりがいのない仕事でも、毎日朝起きて出勤するという生活が僕の精神の安定を支えている。下手に金や時間に余裕ができると僕はオカしくなる。
 元はといえば僕の育った家がたどった道もそうだった。そんなわけで、仕事を辞めるという選択は危険この上ないのだが、いちこに仕事が入った時に僕がくらしをみることができないとなると、保育所なり託児所なりに預けなければならなくなる。実際に子供ができて初めてわかったのだが、これがそう簡単にはいかないのだ。”
(ECD+植本一子『ホームシック 生活(2〜3人分)』より)

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 ジャーマンプログレッシブロックの棚に置いてあった“1976年にレコーディングされたハルモニア&ブライアン・イーノの未発表音源集”、Harmonia&Eno'76のダブステップリミックスが当たりだった。

 渋谷のレコファンで見つけた『HONCHO SOUND vol.14 永田一直の和製レガエとダブ』。松田優作が歌う「BAY CITY BLUES」が収録されていたのでナーバス案件続きだった気分がやや持ち直しました。

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 日本に現存する唯一のレコファン店舗こと渋谷のレコファンでライナーノーツの全曲解説が原雅明+佐々木敦(HEADZ)だったので1998年のCD『ファン・カング・フュージョン』(ファンクでカンフー、そしてコンフュージョンなフュージョン!?/ニンジャ・チューンの最新決定版コンピ!)を買いました。

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 この時期のブレイクビーツ〜エレクトロニカ〜ポストロックの音楽批評家だった佐々木敦によるライナーノーツはそのまま『LINERNOTES』で読める。

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 1990年代半ばにニンジャチューンのコンピレーションやモ・ワックスやUNKLEやサイレント・ポエツといったUK発祥のクラブミュージックを出していたレコード会社のトイズファクトリーが現在リリースしている並びがBABYMETALやセカオワやでんぱ組.incや眉村ちあきなのか〜。あれ? 洋楽どこ行った??
 と思ってウィキペディアを検索したら“なお、現在は洋楽部門は廃止されている。”って書いてあった……。

“かつて運営されていた洋楽部門はデスメタルを中心としており、1990年代前半はイギリスのデスメタル・グラインドコア専門レーベルであるイヤーエイク・レコードのバンドを主に日本配給し、その後はイヤーエイクに限らず広くデスメタル系バンドの日本配給を行っていた。
 設立当初はJUN SKY WALKER(S)、筋肉少女帯をメインとしたバンドブームに乗った形のレーベルだったが、1990年代中期から後期にかけてMr.ChildrenやSPEED、MY LITTLE LOVERなどの作品が大ヒットを記録し、一気に有力レーベルの1つとなる。
 その後もSOPHIAや、BUMP OF CHICKEN、ケツメイシ、SEKAI NO OWARI、湘南乃風、UNISON SQUARE GARDEN、でんぱ組.incといった数々の人気アーティストを輩出している。”(Wikipediaより)

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 しかしDJ KRUSHだけは1998年の日本盤『ストリクトリー・ターンテーブライズド』から2006年の2枚組ベスト盤までずっとソニーミュージックジャパンから出ている。

 菊地雅晃やcomputer soupやBroken Wheel OrchestraやDJ Hieroglyphics(正体不明)が収録のJazz Abstractionをテーマにしたコンピレーション『soliloquy of chaos』は、虹釜太郎が主宰していた不知火レーベルから出た1997年のアブストラクト・ヒップホップ・セッション。
 プリペアド・ピアノにインスパイアされたブレイクビーツをやっているユニットがruf-neck piano。

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 1994年にDJ KRUSHとDJ SHADOWが参加のレーベルコンピを企画して「ヒップホップ・アヴァンギャルド」を打ち出したジェームズ・ラヴェルが主人公のドキュメンタリー映画『Man from Mo'Wax』はまだ日本で公開されていないのかー!『Wild Style』を配給/配信しているアップリンクさんに期待するしかない。

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 その件のMO'WAXコンピレーション『Headz』のキャッチコピーは“ABSTRACT MUSICAL SCIENCE / FROM THE HIP-HOP AVANT GARDE / A COLLAGE OF 16 INSTRUMENTAL EXCURSIONS”…

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 先週のことだがアップリンク吉祥寺に行く前に10数分だけディスクユニオンに寄る隙間が空いた時間のわりに陣野俊史『フランス暴動 移民法とラップ・フランセ』でも紹介されている、ミニステール・アメール、IAM、アサシンら“この映画にインスパイアされて集まった12グループが音源を提供したコンピレーション”『LA HAINE』のCDを見つけたので引きが強かった。
 2005年にアフリカ系の若者が警察に追われて死亡した事件がきっかけの抗議に対して内務相のサルコジが吐いた人種差別発言が火に油を注いだ渦中の暴動で、主要メディアに「憎悪を刺激した」と槍玉に挙げられたラップグループ。

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 マシュー・カソヴィッツ監督『憎しみ』はユダヤ人とアラブ人とアフリカ系黒人の3人連れが団地の幼なじみだったという設定で、警官隊による友人への暴行を発端にした暴動の翌日の朝から始まるのだが、ブレイクダンスとアナログレコードをスクラッチするDJとグラフィティの塗料がパリの中心街から離れた「高度経済成長期を支えた大量の出稼ぎ労働者」向け団地のスペースを埋め尽くす。
 そこで描かれる、治安の悪い郊外の低家賃集合住宅(団地)住まいの移民、という枠に嵌められたアイデンティティを更新する困難については小林雅明さんがWEB上の論考『フランスのヒップホップ/ラップは、如何に「移民」というアイデンティティと向き合ってきたのか? その30年以上の歴史を俯瞰する』で詳しく掘り下げているのだが、大西洋の向こう側を理想化するアメリカにとっての「アフロ」とはまた別の距離感から生まれるアフリカ各国の音楽の多様性との相互触発が興味深い。

 まだ数話の時点では郊外に「団地」が建造された背景にある移民労働者の人種問題は劇中に登場してきていないけど、DVDが廃盤になっているため赤白黄色の配線ごと発掘してVHSのデッキと接続する苦労を経て観たこの映画は週刊SPA!で始まったGhetto Hollywoodの連載漫画『少年イン・ザ・フッド』でもポスターが引用されてました。

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 そういえば2017年8月に市原湖畔美術館で開催されたラップ・ミュージアム展は、会場内にサイプレス上野の拠点である団地の「ドリーム部屋」を復元する一角から始まっていたのだが、HIP HOPとはつまりDJたちが日々レコード屋やリサイクルショップで過去の埋もれたアーカイヴを採掘する競争を繰り広げるのと同時に、いかに親に捨てられないようにBボーイ時代に溜め込んだ過去の雑誌やレコードや日々書き留めたリリック帳を生き延びさせるかの闘争でもあるという、都市計画行政にとっては失敗した結果ではなく逆に荒廃の原因だとみなされて再開発の対象に指定される区域に積み重なった無駄を宝の山に変えるマジックの実演だった。

“アメリカの公営住宅モデルはコルビュジエを誤解したものだった
彼の計画図にあるタワーはオフィス用だった
タワーの周囲にはバルコニーつきの7階建ての建物があった
彼は高層ビルでの生活を推進しなかった

コルビュジエの描いた知的概念が安っぽく商業的なものに成り下がってしまった
モダニズムは手早く儲かった
とても安価で建築期間も短く あっという間に多くのビルを建設することができた
モーゼスはそれを分かっていた
そのビジョンには街路が欠けていた

道は人が行き交い 様々なドラマが起きる場所だ
ジェイコブズはそのことに気づいていた
歩道は過去の遺物だと当時は誰もが思っていた
モーゼスは地域コミュニティに無関心だった
自身の計画を邪魔する障害でしかなかった
ある公聴会でモーゼスはうっかりこう言った
「抗議するのは主婦どもだけだ」
軽率だと思う
彼女たちを相手にしていない証拠だ
彼女は主婦で 周囲も彼女をそう扱った
確かにプロのジャーナリストだが
彼女を貶めたい時は「あの主婦め」と言う
母親たちを敵に回した
モーゼスは彼女たちの力をみくびっていた
あの抗議活動はとても影響力があって モーゼスにも経験のないことだった
彼は報いを受けた

彼女はグリニッジビレッジの住民に行政と闘えると証明した
都市計画家が製図板で練った計画案に従う必要はなく 行政が決めた区分を拒否できると示した

ダウンタウンの取り壊しは住民のためではなかった
彼らは生活を破壊し 住民を公営住宅に追いやった
大勢の人たちに大金をもたらすからよ
開発業者が儲かり 政治家にも大金が入る
簡単に儲かるの

そのため彼らは全米で同じことを繰り返した
モーゼスが公営住宅の建設を始めてから数年後
他の都市も餌食に
コルビュジエの案がモデルだった

貧困が集中したことが 団地の抱える最悪の問題だった
それが暴力やドラッグなど様々な問題につながっていった
団地は要塞化した
追い詰められ 逃げ場がないように感じる
人々をもろい存在にする
人々は団地を恐れるようになった

開発業者は都市再生という名目で黒人を締め出している
都市再生とは黒人排除だ 政府はその片棒を担いでいる
アフリカ系アメリカ人は街はずれに転居させられ
活気ある生活とは程遠かった
ここに子供も住み 犯罪行為が起こると開発業者は予想したでしょうか?
怒りや自己嫌悪から 彼らは自分たちの住居を破壊します

かつては雑多な地域でも機能していた
親が見ていなくても隣人が子供に気を配っていた
それらが奪われてしまった
住民たちは無気力になり 貧しいあまりその怒りを団地に向けている
子供たちは他にすることがないのです
娯楽施設がありません

何千人も子供がいるのにこんな遊び場では不十分です
住民の声は届きません
誰かの勝手な意見で作られたのです
どこも落書きだらけで薬物の問題もある
住民の意志を無視して強制退去させると
あらゆる問題が起きる
そんな団地を好きになるわけがないわ”
(マット・ティルナー監督『ジェイン・ジェイコブズ ニューヨーク都市計画革命』より)
“お前らにあの意味がわかるか?
環境改善(ジェントリフィケーション)と称して
一部の人間がふところを肥やしてる
土地の値段を下げて住んでる人間を安く追い出し
高い値で土地を売る
黒人は黒人地域を自分の手で守るべきだ
黒人の金でね ユダヤ人 イタリア人 韓国人のように
テレビを見るとヤクの売人は黒人だ
「黒人が悪い」「黒人がヤクを売ってる」
中西部とかウォール街
白人地域にヤクが広がって黒人が非難を浴び始めた
銃の問題もある
黒人地区になぜ銃器店が多いのか
教えよう
黒人地区に酒屋が多いのと同じ理由だよ
銃や酒で黒人を自滅させようとしてるのさ
それが狙いだ
新しい世代を断てばその人種は滅亡する
毎晩この辺の路上で死んでるのは黒人だ
それも若者だ
相手が銃を出したらどうする?
先に撃たなきゃ殺される
それが奴らの狙いさ
真剣に未来を考えろ”
(ジョン・シングルトン監督『ボーイズ・イン・ザ・フッド』より)

 日本人がラップとビートボックスとスクラッチを取り入れた曲をレコードにした原点とされるいとうせいこうの『業界くん物語』は2016年が初CD化だったのか。今聴くとパブリック娘。「おちんぎんちょうだい」のルーツみたいだな。

 バレンタインデーに突然思い出したけど、2000年ごろにコンピを出していたチョコレート・インダストリーズというマイアミのレーベルがあったそうな……。
 1曲目がprefuse73で代表的なアーティストのpush button objectsをGESCOM(オウテカの別ユニット)がリミックスしていたりroots manuvaとel-pのコラボが収録。

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 およそ17年間ほど誰にも言語化していなかったので自分でも真偽の確証ができないのだが、2002年頃にフジテレビの深夜音楽番組『FACTORY』の公開収録ライブに行って解散する前のNUMBER GIRLの演奏を観た記憶は本当なのだろうか……(何の記録にも残っていない)。
 まだ残っていたホームページの放送リストによると、他にギターウルフ、ブラッドサースティブッチャーズ、ジョンスペンサーブルースエクスプロージョン、エレファントカシマシ、トライセラトップス等々が出ていて最初の方は小西康陽が番組MCを務めていたのを思い出した。

①解散前のナンバーガールのライブをどこかで観たことがある
②FACTORYの観覧に行ったことがある

 この2点がぼんやり残っていても紐付けられるかどうかが確かめようがないので、③その出演回はDVD化されている、ことから見直すと何か思い出すかもしれない可能性。

 ちょうどその時期に佐々木敦が音楽批評の『テクノイズ・マテリアリズム』と『ex-music』を出していたけど実際に読んだのは翌年以降だったので、大友良英やインキャパシタンツといったよりうるさいノイズ方向の音楽を聴き始めるのもその後からだった。

 1978年に出たコンピレーションアルバム『NO NEW YORK』でブライアン・イーノが集めたバンドの1/4のジェイムズ・チャンスが2005年に来日して代官山ユニットでライブをしていたりなど70年代末〜80年代のパンク〜ニューウェイヴのリバイバルが起きたのも2000年代前半からだった再発の思い出。

 どの時代のカルチャーでもいるのかいないのかはっきりしない中途半端な観客の立ち位置から見ているスタンスは変わっていなかったが、変わったのは後からログを検索可能なように記録に書き残す習慣ができた点。
 というかそもそも、2007年にBRAINZで批評家養成ギブスが始まってインディペンデント雑誌「アラザル」ができるまでは他人と音楽の話が成立した経験が滅多に無かったので、それまで聴いている音楽に言語が介在する意識がなかったのではないか。(小沢健二よりもコーネリアス派だった)
 日本語ラップを詳しく聴き始めたのも2000年代の途中からだった。

 話が遡って佐々木敦『ニッポンの音楽』の「渋谷系の物語」の章を読んでいて、2000年代半ばに日本語ラップを聴き始めるまでは言葉のある音楽(まともに歌詞の意味が聴こえる音楽)を憎悪していたので小山田(コーネリアス)派だった過去に思いを馳せたのをまだどこにも書いてなかった。
 1999~2000年前後はオウテカなどが出てきてラップよりアブストラクト・ヒップホップを聴いていた記憶がある。
 フリッパーズ・ギターのその後の分かれた方向性で音(サウンド)の人=小山田圭吾と音楽で「言いたいことがある」小沢健二という対比は、同じく佐々木敦『ソフトアンドハード』の『刹那』ディスクレビューでも書かれていた。

“ごく簡単に言って、小山田圭吾が「音」の人だとすれば、小沢健二は「ことば」の人だと思う。それは歌詞を重要視しているといった表面的なことばかりではなくて、小沢健二の音楽が起動する端緒においては、常に何らかの「ことば」の働きが、決定的に関与しているように思える、ということだ。
 これはコーネリアスがもっぱらリズムとトーンで思考し、およそまったく言語を必要としていないように思えるのとは対照的である。”
(佐々木敦「SLASH J-POP REVIEW」、『ソフトアンドハード』より)

 で、その時別の何に行く途中だったかは忘れたけど2005年に代官山の交差点でジェイムズ・チャンスのライブに行く途中のノイジシャン兼カメラマンの渡邊寿岳(最新作が恵比寿映像祭で上映される『王国(あるいはその家について)』)とすれ違った記憶を思い出したのはUNITの下のSALOONに来たからである。
 Minchanbaby「都会にまつわるエトセトラ」からのSUSHIBOYS「ママチャリ」がプレイされているイベント・Mango Sundae。
 そこで観たアルバム『importance』リリース後のdodoのライブは、こちらの記事では“屈折が極まると目覚ましくアクロバティックな押韻技術を発揮する言葉選びの特異さに意表を突かれる。”と評したことがある今までの音源からは意外なほど1曲目の「out of ma biz」(“俺の匂いユーカリ/俺のかわいさ有罪/俺は生きる。まるでコアラ”)からステージ上でのLOVE度が増していた。すでに観客に歌詞を覚えられていて口ずさまれている、ラッパーとして蘇ったシャンソン歌手的な人気ぶり。

 ……といったような経緯で今まで聴いていなかった2002年の日本語ラップコンピ、HOMEBREWER'S Vol.1&Vol.2と先日遭遇した。Minchanbabyが韻踏合組合に在籍していた時代のILLMINT名義の曲が入っている。

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  日本語を使うMCの新作リリースラッシュですが、わたくしが推しているのはますますアンダーグラウンドな感情を煮詰めてささくれ立ったリリックに変換する言葉の密度が高まっているカタルナイシンの『Anger Log』。タワーレコード新宿で入手した関西発のUKベースミュージック×Shotgun MCの2ndアルバム。
 よく聴くと『400』を出した時期のShing02(“世の中の嘘800真っ二つに切る言葉”)の隔世遺伝的後継者のように思えてくるフロウが特徴。以前に『Exhale』を聴いた時の感想は「リアルに混乱/焦燥したままの疾走する高速ラップ」だったのが、シャープな文字詰めの音の運びとグルーヴの太さが両立するようになっている。(※bandcampのフリー音源『Exhale』はここにあります)

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 Five Deez feat.Shing02のラップをTortoiseがリミックスした曲などというものがあったのか。批評課題でポストロックを聴き直すまで気づかなかった……トータスのアルバム未収録曲+リミックス集『A LAZARUS TAXON』に収録。

 2013年にダースレイダーが監修した高校生ラップ選手権コンピ『HIGH SCHOOL HIGH』に収録された曲の中で、新世代の関西弁フィメールラッパー=Lil Rudy Rulの「ちゃちゃつぼ」が“親権を持ってくれたばぁちゃん”への感謝を捧げる“オカンもオトンもおらん”孤児の実話と、“三つ有る月の上でウサギとダンス”するファンタジーが融合した歌詞の構築力が凄すぎて驚いた。

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 ECDとキミドリが参加の高木完(メジャーフォース)監修のコンピレーション『CHECK YOUR MIKE』に1992年には許されていたレゲエのスラング(ホモフォビア表現)と某有名男性アイドル事務所にまつわる黒い噂をネタにした二重の意味で放送禁止曲が収録されていたので使いあぐねている。タイトルからして「Original Battyman」…

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 今日こそレコード屋に行かないはずだったのに池袋のディスクユニオンで2年ぐらい探していてマーケットプレイスでも高騰していたCDを見つけてしまい、2010年にリリースされた『ATTRACTIONS! 小西康陽Remixies 1996-2020』は権利上の何かで4曲しかデジタル配信が許可されていない2枚組でジャケットには喪服をイメージした熊田曜子を起用。

“たしかに、もうリミックスという手法が刺激的な音楽を作り出すような時代は過去となってしまったのかもしれません。(……)
◼️もしもリミックスという行為がすでに死んでいるのなら、このCDは音楽の葬儀なのでしょうか。クリアケースを棺桶に見立てて、生前に好きだったあれこれを棺に入れて、しめやかに、陽気に送り出す。お葬式もひとつのページェントですし、何となく命名した『ATTRACTIONS!』というタイトルもこの騒々しい過去の音楽には相応しいと思います。ジャケットに登場して戴いたのは、大好きな熊田曜子さん。だから彼女にもいちおう黒い服を着て戴きました。死してなお鎮まらぬ哀れな魂よ、安らかなれ。”(ライナーノーツより)

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 「ユリイカ」のタランティーノ特集を読み始める前に、レコードを蒐集しているバツイチのキャビンアテンダントで裏の顔は運び屋役のパム・グリアが流す音楽とファッションは最高だけど、間延びしていて劇中で起きる肝心の計略が記憶に残ってない映画こと『ジャッキー・ブラウン』から見直しました。

“そして、タランティーノの映画におけるラジオやジュークボックスとは、今ここに展開している世界の自明性に対して、ふいに襲い掛かる復讐者として存在している。/では、なぜ、タランティーノはこんなことをするのだろうか? ”
(西田博至『マーヴィン・ナッシュの耳なしファントム・ダンスホール』より)

 およそ約20年ぶりに『レザボア・ドッグス』と『パルプ・フィクション』を再見したのでユリイカのタランティーノ特集を読み始めました。

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 タランティーノが好んで選曲(引用)する音楽と映画史の「忘れられた名前」が“忘却され、なかったことにされてしまうからこそ、再びふいに「他人のなかに」戻ってきて、復讐を開始する”のはなぜか?を〈表面の擦り傷〉の主題系で貫通する西田さんの『マーヴィン・ナッシュの耳なしファントム・ダンスホール』は、アナログのレコード盤は針を落とさないと音が鳴らないけど再生するその度に溝が摩耗して音質が変わってしまうという物質的有限性と相反して、その曰く付きの記憶が刻まれたレコードを「いやがらせ」のようにネタにする画面中においては(『パルプ・フィクション』ではオーバードーズからの救命措置で)注射の針を刺される度に蘇生させられるユマ・サーマンが生死を超越した不死不変の女優としてスクリーン上に写る(=「膚の下にあるものを奪われ続ける」)運命を背負わされる、というタランティーノ映画を駆動する原理に迫る論でしたが、「ユリイカ」の同特集に載っている南波克行さんによる『タランティーノのキャスティング術』(“繰り返すが、タランティーノにおいて映画とは、不死を約束するメディアなのだ。”)とシンクロしている部分がかなりあると思いました。

 このような、死んだはずの固有名が蘇る、とか死ぬ気配もなかったタイミングであっさり撃たれて死ぬ、とか埋葬されたはずが九死に一生を得て死んでいない、といったタランティーノ映画に横溢する生死の境界の「軽薄な」あやふやさは、前回の2009年のユリイカでの特集でも複数の寄稿者が焦点を当てていた。

“その結果、『パルプ・フィクション』というフィルム全体が、死んだはずなのに死んでいないもの(たち)、死んでも生きてもいない者(たち)の奇妙に捻れた時間軸の中に折り畳まれたかのようなものとなるのである。
 要するに「生きたままの埋葬」の恐怖という紋切り型と言ってもよいサスペンスのありふれたバージョンでしかないのだが、この「死に切れない者」の遍在、生きることも死ぬことも奪われた者の遍在、その遍在の傍らで、或いは「中で」事件が進行し、そしてその事件全体が絶えずその「死に切れない者」の中に滞留し宙吊りになったものとして、奇妙な浮薄さを繰り広げるということ、ここにタランティーノに特異な、自覚的な固執がある、そう思われる。
(……) 
 映画は、それが「死にいたる病」「死ぬことのできない絶望」において、その結果ー効果として開かれたものであるとすれば本質的に倫理的なものでなければならない。
 そして、言うまでもなく、「誰も死ぬことができない」ものとしてしか、或いはそうしたものとしてのフィルムを撮り続けることだけに専心するクエンティン・タランティーノは、そのフィルムは、徹頭徹尾倫理的なのである。

 冗談を言っているつもりはない! 実際(!)タランティーノのフィルムには一人の「キルケゴール」が登場するのだ。”
(丹生谷貴志『超薄的な「この世界」』より)

 横浜シネマリンで高橋洋監督・映画美学校プレゼンツの『霊的ボリシェヴィキ』観た。
 密室状況でスタンドマイクを立てて1人ずつあの世に接近した実体験を語る会が催されているのだが、その周りで回転するテープレコーダーと党歌のレコード、幻聴的にカットインしてくる笑い声・囁き声のサンプリング、画面に見えているものと聴こえているものの繋がりの根拠が不確定な切れ目の重なりごとに真の姿を変える断層的な時空間の編集によって革命的にリアルな現象を生み出す秘儀の霊媒実験という点では、ヒップホップファンこそがどう観るのかを試される映画なのではと思った。
 長嶌寛幸による音楽も、トラップでよくあるピアノの単音旋律が醸し出す張りつめた雰囲気、とはいってもビートメイカーが元々ホラー映画のサントラから取ってきてるんだったら全然不思議でもないけど。
 劇中怪談には「こんな必死な形相はオリンピックでもお目にかかれない」といった細かいくすぐり要素が。
 かつて神隠しに遭っていて、あの世と行き来する存在として依り代になる素質を見出される韓英恵の蒼白した顔が霊気の気配によって明暗のコントラストが乱れる宿泊所の暗闇に浮かび上がるショットからは、Jホラーヒロインにおけるヘアスタイルが論じられうる。なぜいつも黒髪でデコ出し、つまり前髪が無いのか。
 『リング0』の仲間由紀恵や『回路』の小雪もそうだけど、暗い場面で反射するように衣装メイク班が照明さんに気を使っているのかな? 幽霊映画における顔貌のレフ板化…

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 宇多田ヒカルとCharaばかり聴いてきたDJ_やめましたのプレイリストですが、クラムボンのアンニュイジャジーサウンドに開眼したので最近クラムボンのベストの中から「シカゴ」ばかり聴いています。
 今まで不覚にも2010年に出たタワーレコード30周年記念コンピ『NO MUSIC ,NO LIFE. SONGS』に収録されているILL-BOSSTINOが客演した曲、clammbon feat.THA BLUE HERB「あかり from HERE」しかちゃんと聴いていなかった。
 ヒップホップの耳で聴いてもクラムボンはドラムがヤバい。

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 横浜駅西口のビブレからHMVがなくなったのに続いて、東横線から目の前で行けたモアーズのタワーレコードまで閉店して東急ハンズになっていたとは聞いてなかったのでどうしようと思ったけど無事閉まる間際のディスクユニオンで藤井洋平『Banana Games』が買えた。(※その後元々HMVだった同じ場所にタワーレコードビブレ横浜店が開店)

 しかしこうなるとダイエー横浜西口店の中にあるレコファンとあおい書店(※その後居抜きでブックファースト横浜店にリニューアルした)が22時まで開いてるので心強い。

 徒歩15分以内にある某書店がきれーいに時代の荒波を受けて文芸評論コーナーがラノベに、哲学思想コーナーが精神世界スピリチュアル自己啓発に様変わりしてから最近は関内の有隣堂本店(ESTABLISHED IN 1909)でしか本を買ってないからなあ。

 YouTubeの検索でたまたま出てきたDJ Shadow "Dark Days”。何か見覚えがあると思ったら元町に今は亡きバナナ・レコードの7インチコーナーに刺さっていた記憶が、ホームレスについてのドキュメンタリー映画のサントラだったのか。

 わたくしがDJシャドウやニューウェイヴ〜ポストパンクのCDと遭遇した記憶のある横浜元町店と横浜駅西口店があったのは2014年までの話ですが、バナナレコード自体は元々開業した栄町に本店のある名古屋県と岐阜県で現在は8店舗営業しているのか〜。

 P-VINEから出ていた『ローリング・ストーン・クラシックス』はチャックベリーもマディウォーターズもボ・ディドリーもリトル・ウォルターもロバートジョンソンも全26曲が一枚に入っていた大ボリュームのコンピレーション。 

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 某行きつけのレコファンで見つけたcore of bellsの1stアルバム『ボトルキープ2010』を今頃聴いたら輻輳してうねるリズムの変拍子ポストロックに嫌味のない男子校ノリというか、バンドの呑み会の延長のような自由律フレーズを乗せる「ソファ」が無意味の波打ち際にライドオンして滑走するしょうもなさが神話の域に高まっている。
 その後メンバーの山形育弘が黒川幸則監督の映画『VILLAGE ON THE VILLAGE』に脚本で参加したり、西麻布スーパーデラックスでの演劇的パフォーマンスへと展開する意表を突いたマジックリアリズム風味の小咄的なアイデアの酒と泪とハードコアパンク和えがこのアルバムの時点で濃縮されている。

 2013年にHEADZ/WEATHERから出た三沢洋紀と岡林ロックンロール・センター『サイレントのとんがり』は、中華街の同發新館でライブを観て以来に聴いたら「真夜中になれば」〜「とびらをたたいて」も名曲だけど「低空飛行のブルース」と「ハードレインのコート」がかそけきエレガントなダンディズムで耳の心に染み渡る。例えばDCPRGが元ネタにしているスライ&ザ・ファミリーストーンの「FRESH」をまた別のアプローチで変奏したような、音響派〜ポストロック〜フリーフォーク等を経たギターとピアノと歌のアコースティックな響きで寂寥を増幅するダンスミュージック。

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 先々週のタワーレコードであった『大谷能生舞台音楽集』のリリース記念対談「舞台のための音楽とは何か?」は、大谷能生が批評とか演奏の活動を続けていくに当たって拠り所にしてきたのは、最近の1979年に逝去した植草甚一の著作を総括する本『植草甚一の勉強』にしても、ひたすら全部原文を読んで好きな所を文体研究のためだけではない嗜好のレベルで書き写して引用が多くなるとか、さらには自分が生まれる前からあるレコードのライナーノーツのような多大な恩恵のある過去の記録物から受け取ってきたものであり、それを再び現在と呼ばれる時間にある現場に帰す、という循環を回すのが大きな動機付けになっているという話が、その日の便宜上の区分としての「インターネット人間以前/以降」とか「20世紀に間に会えたか問題」を導入にしてあり、それは教養というより想像力(妄想)の問題だというのが記憶に残ったのだが、レコードのようなモノの良いところはそれを手に取ってはジャケットを眺めたりして、空間も時間もはるかに隔てられた過去の録音された時代について「妄想」ができる所だとして、とはつまり國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』で主張されている「<消費>と対比した時にそこにはない、物を受け取るための<贅沢>の訓練」というのと通じる話だった。
 あと、大谷能生氏が最も影響を受けたのはビバップのレコード以外にシュルレアリスムと言っていたのが意外な組み合わせだった。

 「生まれたての夏の天使をつかまえに行こうと決意したら雲に隠れてしまう瞬間」を描写した曲(島田奈美『Sunshower』)のリミックスを集めたコンピレーションが2004年に寺田創一が主宰するFar East Recordingから出ていて、オランダで眠っていた在庫が発掘されたとのことで今なら通販で入手できました。

 現代の柳田國男こと南波一海が監修した6枚組コンピ『JAPAN IDOL FILE 2』に収録されているりんご娘の「青森反射材大作戦応援ソング キラリ☆あおもり反射材」が、どこかで聴き覚えのあるディスコ/ダンスクラシック?の歌詞を読まないと気づかない考えオチみたいなローカルアイドル曲だった。

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 2016年に南波一海さんが主宰のレーベル・PENGUIN DISCから出たPeach sugar snowのミニアルバム『キミと僕のwhisper』は、昔流行ったものに「かわいい」を付け加えてリサイクルするのが目立つ中、音楽のオリジナリティに感銘を受けた。言うなればヌーベルアンニュイダークファンタジックウィスパーソング全7曲が収録されている。
 1曲目がエレクトロなトラックにウィスパーボイスを乗せた自己紹介ラップから始まって、とりわけ「人魚〜泡になって消えても〜」はいつ全部聴き終わるのかわからない列島縦断ご当地アイドル100曲コンピ『JAPAN IDOL FILE』でもインパクトがあった。なるほど歌詞がやたらと絶望の中の希望を探して深海をさまよっている。

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 ダイエー横浜西口店の隣のビルにあるタワーレコードのアイドルコーナーがリニューアルしたのになかなか寄る時間が無かったんだけど、久々に行ってみたらdotstokyoのアルバムが入荷していたので買った。日本の音楽産業の変遷でいうとバンドブームとアイドルブームの狭間に当たる「1998」年のインディーロックへのオマージュが気になる。
 初見では読めないユニットこと・・・・・・・・・の『  』を聴きながら森山大道+中平卓馬のキーワードを借りると記憶のノイズ、「アレ・ブレ・ボケ」をそのまま主題化したみんな=私たちの断片的な回想のような歌詞が音色が歪んだ轟音ギターの濁流に漂う。
 全10曲の中だと「トリニティダイブ」〜「ソーダフロート気分」が良かった。つまりエレポップ寄りでファンクのベースとカッティングが入ると弱い、というような個人の嗜好が炙り出される。

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 1996年にトラットリアレコードから出ていたThe RAH Bandのベスト盤『PERFUMED GARDEN』と同じ収録曲でジャケットだけ違う再発版。渋谷のレコファンだと1枚しか残ってなくて4倍以上の8000幾ら円の値段が付いていたのに、横浜のレコファンだと在庫が3枚以上棚に並んでいて1800円で買えたのはこれいかに。

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 閉店セールがクライマックス中のレコファンダイエー横浜西口店でディグるのも今日で最後か……。

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 2011年の震災で1階フロアが営業停止になるダメージを受けた8年後に取り壊しが決定したダイエー横浜西口店の廃墟。
 オープンしたのが1968年で50年の歴史があった商業施設ビル。店舗のフロアより上の部分にはUR都市機構の団地「南幸市街地住宅」が入居していた。

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 2019年2月に閉鎖されて取り壊される前のダイエー横浜西口店がこの7ヶ月間でグラフィティの標的になってました。向かいがボウリング場で市内の中高生から大学生までが打ち上げで集まってくる繁華街。

 そういえば関東の日本語ラップ史と切っても切り離せない(何度もロケ地になった)桜木町のグラフィティ名所を当時高校2年ぐらいの時、2001年前後に撮影した写真が物置きの段ボールの底で眠っているはずなんだけど20周年ほど発酵させた辺りで批評誌「アラザル」増刊の特集号にしたい。

 その2年後にようやく解体されて更地になったダイエー横浜西口店跡に通りがかった日曜日。

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