星アンド窓 蓮沼執太にあって星野源にないもの、またはその逆について

“ぼくは地図帳拡げて オンガク/きみはピアノに登ってオンガク ハハ
ぼくはリンゴかじって オンガク/きみは 電車ゴトゴト オンガク ハハ
待ってる 一緒に歌うとき ハハ/待ってる 一緒に踊るとき ハハ”
  --Yellow Magic Orchestra「Ongaku」

 いま、この瞬間にわれわれが名前を呼ぼうとする二人の男のどちらかが先に生まれたかなどという偶然の定めに対して異議を唱えようとする神をも恐れぬ者もよもやおるまいが、ここでは便宜上、プロフィール上に登録された生年月日の順にデータベースの暗がりから浮上させてみるほかはなく、西暦1981年1月28日生まれ、埼玉県出身のシンガーソングライター兼俳優である星野源と、一方の1983年9月11日生まれ、東京都出身の音楽家・蓮沼執太は、たまさか昭和50年代後半=1980年代前半に生まれた日本語で歌う男性ミュージシャン、というそれ以上の共通項は無いようにみえる。
 せいぜいその偶々同じ国を拠点にしていた30代の日本人男性であり、なおかつ関東地方の出身であるという程度の最小限度の狭い括りをどちらも前世紀末から今世紀初頭にかけてコンピュータを使用した音楽制作のデジタル・オーディオ・ワークステーション環境が急速に普及してゆくのと連携したポストロック〜エレクトロニカ以降の技術革新を経たR&B、ネオ・ソウル的なソングライティングを手がけることもある、などと苦しげに僅かばかりでも拡げようとしてみる素振りはいかにも悪足掻きというほかないが、しかしその先には真に恥辱を覚えざるをえない愚鈍な発想が待ち受けている。
 すなわち、ここに『ニッポンの音楽』史上におけるYMOの磁場という補助線を引いてみると、実際には互いに何百光年も離れた星雲がたかだか人間が思い描いた空想上の同じ図面に収まってしまうのに似た荒唐無稽な事態を招いてしまうのであり、この情報社会のGoole検索が可能にした瞬く間の物理的な距離の消滅、にわかに夜空の一面に星座を形作るようにして強引に線で結ばれてしまうそのそれぞれ日々献身的にオリジナルな文脈を紡いできた物語から断片的に切り離されたメロドラマ要素が即時反射的に共有&拡散されるインターネット時代にいささかありふれた二次創作的接近遭遇カップリングが問題なのだ。

教授とダンディー

 ところで仮に、この捏造された距離と戯れる倒錯にもう少しだけ付き合ってみるのだとすれば、たとえば蓮沼執太は2017年1月に発売したタブラ奏者のU-zhaanとのコラボレーション・アルバム『2 Tone』に収録の楽曲「Lal feat. Ryuichi Sakamoto」で坂本と共作、また2014年に蓮沼執太がプロデュースした坂本美雨のアルバム『Waving Flags』のリリースライブに「蓮沼執太クルー」名義で出演し、“坂本龍一が坂本美雨のために作ったことでも知られる、YMOが1983年にリリースしたアルバム『浮気なぼくら』からの曲”「ONGAKU」をカバーしている。そしてつい数ヶ月前に刊行されたばかりの「美術手帖」2017年5月号に掲載の坂本龍一と蓮沼執太の対談については後々触れることになるだろう。

 一方、星野源の場合はといえば、ソロ活動以前のバンド・サケロックオールスターズ+寺尾紗穂名義で参加した2007年の『細野晴臣トリビュートアルバム』で「日本の人」をカバーしているほか、2015年のアルバム『YELLOW DANCER』に収録されたかつてのエキゾチックに転調するJ-POPにオマージュを捧げたインスト・ファンク「Nerd Strut(Instrumental)」ではギター・マリンバ・ドラム・ピアノ・三線・ハモンドオルガンといった「すべての楽器を自分で演奏し、ベースだけ細野晴臣さんにお願いしました」という形でフィーチャリングしており、さらに2017年5月にNHKで放送された““音楽”と“だらだらお話する”のが大好きな「おげんさん一家」が、みんなと一緒に「音楽で遊ぶ」。”というコンセプトの偏愛的音楽&トーク番組、『おげんさんといっしょ』でメインMCを務めた星野はゲストに招いた細野が1975年に出した『トロピカル・ダンディー』の影響を受けていると語り、ライブコーナーではそのアルバムの中から「絹街道」を演奏、星野の代表曲の一つ「恋」をセッションするなど、度々共演を果たしていることは言うまでもない。

 ところでここで意外な中継点に寄り道せざるをえないのだが、もともと文芸批評家だった柄谷行人が当時の「日本の音楽シーンの最先端にして中枢部に位置していた」YMOのメンバーだった坂本龍一と細野晴臣の発言に言及している1982年の文芸時評「リズム・メロディ・コンセプト」を発端にして、 佐々木敦は『ゲンロン1』に掲載の論考「グルーヴ・トーン・アトモスフィア--『ニッポンの思想』と『ニッポンの音楽』の余白に。或いはテクノ/ロジカル/カラタニ論」で、『隠喩としての建築』の時期に書かれたテキストを現状に照らして2010年代版に置き換えている。
 そこで佐々木が診断している、インターネットというメディア・テクノロジーが「環境」そのものになってしまった変化によって「30年前のYMOのような存在は、現在のシーンには見当たらない。(……)世紀の跨ぎ目あたりを境として、音楽のみならず、表現とその伝播=流通にかかわる諸条件は、作家/作品から状況/環境(=アーキテクチャ)へと重心を移動させた。」という約30年後の時代条件にどちらが意識的なのかは後々判明するかもしれず、今は触れずにおこう。

 佐々木敦がこれを提唱していた2015年にちょうど星野源はあからさまに1979年のアメリカ版デビューアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』を意識したジャケットデザインの『YELLOW DANCER』をリリースしてオリコンチャートで1位を獲っているのだが、同アルバムの曲「DOWN TOWN」の「町」というモチーフが2016年に蓮沼執太がイルリメの鴨田潤と詞を共同制作した曲「RAW TOWN」(『メロディーズ』に収録)と重なっていることからも、その歌詞を互いに比較したいという衝動に駆られない者はいないだろう。とりあえず未だ瓦解には至っていないこの構図に身を置いてみたまま、陥没点をさぐるべく以下思いつくままに列挙してみようではないか。

・担当したCMソング(ACジャパン「ライバルは、1964年」・ハウスウェルネスフーズ「ウコンの力」・花王「ビオレuウォッシュ」と、無印良品「MUJI to GO」の映像音楽・クノール「スープDELI」・水原希子が出演の「パナソニックビューティ」)
・主題歌・サウンドトラック(『逃げ恥』や『地獄でなぜ悪い』と、『5windows』)
・ラジオ番組(ニッポン放送の「星野源のオールナイトニッポン」と、WEATHERレーベルのポッドキャスト「ウインドアンドウインドウズ」)
・関わりのある演劇(大人計画と、快快)
・何らかの形で共演したラッパー/トラックメイカー(tofubeats・宇多丸と、環ROY・イルリメ)
・楽曲制作においてインスパイアされた、もしくは直接参照・翻案しているブラックミュージックの系譜(ディアンジェロ「Feel Like Makin’ Love」と、サン・ラー「Door of the Cosmos」)
・作品に携わったレコーディングエンジニア(SAKEROCKにおける内田直之(DRY&HEAVY)と、『CC OO』における益子樹(ROVO))
・90年代末〜00年代以降にシカゴで隆盛したポストロックシーンからの影響(星野は『働く男』でWilcoのアルバム『Sky Blue Sky』を「俺を支える55の◯◯」の一つに挙げ、蓮沼は4枚組アルバム『CC OO』でTortoiseの「seneca」をカバーしている)

 ……というように、こうしていくらでも同時代的な音楽活動の軌跡がすれ違い続ける平行線を延々と繰り広げることができる。

 よってここでは都合により星野-細野と蓮沼-坂本の1980年代から2010年代にかけての約30数年分の時を隔てた音楽史的カップリングに限定せざるをえないわけだが、さきほど引用した「グルーヴ・トーン・アトモスフィア」に戻ると、柄谷は80年代当時の音楽状況について細野晴臣が《現在、音楽はくさる程つくられているが、三拍子そろったものはあまりない。その三拍子とは、①下半身モヤモヤ②みぞおちワクワク③頭クラクラである。①②はざらにある。①は端的にいえばリズムであり、②は和音、メロディということだが、③はクラクラさせるようなコンセプトである。これはアイディアの領域を越えた内からつきあげてくる衝動のようなものであり、私の最も大事とするもので、これを感じたものには、シャッポを脱いで敬礼する事にしている。》と観察したのを応用して「文学の危機」が孕んでいるテクノロジーの問題へと関心が移行していった、と佐々木敦が整理しているこのうち、「リズム」と「メロディ」に関しては先述のヒップホップとR&B、同時代のエレクトロニックなブラックミュージックを吸収しているのだとして、佐々木が「強いコンセプトなくしてはリズムもメロディもその魅力を全う出来ない、細野晴臣が言いたかったのはそういうことだろう。」と再解釈して細野/柄谷が最も大事だとする3番目の「アイディアの領域を越えた内からつきあげてくる衝動のようなもの」=「頭をクラクラさせるコンセプト(アトモスフィア)」がいままさに活躍している二人にあるとすれば何になるのか。

 星野源は多忙な俳優業の傍らアルバムの曲づくりをする日々に陥った「ものづくり地獄」、つまり「毎回ストレスとプレッシャーで押しつぶされながらも笑顔でゲロ吐きながら作ってる「楽し辛い」感じ」だと綴っている「作っても作っても満足できない制作作業」で自分を追い込んだ結果、くも膜下出血で倒れた時期の「エロ妄想を支えに乗り越えた」闘病の記録でもある2014年のエッセイ集『蘇る変態』で語ってもいるように「①下半身モヤモヤ=リズム」だけに還元されない「スケベ/変態」、すなわちそのうちの一編「AV女優」で、マイケル・ジャクソンが人前で初めてムーンウォークをする瞬間と代々木忠監督のAVの名シーンをつなげて「この世にはエロを表現する仕事がたくさんある。(中略)そのどれにも知恵や工夫、クリエイティビティを感じ、映画を観たり音楽を聴いてこちらが刺激を受けて作品が生まれるのと同じように、アダルト作品を観て創作意欲が湧くこともたくさんある。/もちろん誠実さを感じない手を抜いた酷いものもあるが、それはドラマや映画にだってあるし、小説や音楽も同じ。アダルト作品だからって誠実さがないなんてことはない。」と慎重に訴えているように、クリエイティビティへと変換されたエロスである。

 他方、蓮沼執太は2017年に最新アルバム『async』が出るタイミングに合わせた「美術手帖」の坂本龍一特集の中での対談で、蓮沼がやっていることは音楽の時間的制約・拘束に対して空間に展開する美術の思考を取り入れる方法ではないかと坂本に聞かれて「コンサートやレコードといった既にある音楽のプラットフォームにあえて介入して、人と違ったことができるかもしれない、という挑戦をしています。」と応えているように、「環境/風景/空間」ということになるだろう。

「坂本 最近の蓮沼くんは、ある空間の中に点在する音に(観客に)入ってもらいたいという気持ちが強いみたいじゃないですか?
蓮沼 音は2チャンネルなどの複数の出力で聴くという意識から解放されないと次に進めないかなと。例えばジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミュラーの《40声部のモテット》(2001)のように、40台のスピーカーに40人の歌唱を分割して流す試みは美術の分野でありますけど、一般的な音楽のレベルでもそうなってほしい。
坂本 ステレオという方式自体がバーチャルな幻覚で、もう僕は辟易してます。その場に楽器もない、人間もいないんですから。メディアを通して音楽を聴いてもらうという方法はとっくに限界を迎えていると思う。
蓮沼 メディアを通して音楽を知る歴史もあって、僕はそういうものを聴いて育ちましたから、既にあるプラットフォームにあえて介入して、人と違ったことができるかもしれない、という挑戦をしています。最近は、データ配信やCDだけじゃなく、レコードやカセットテープも復活してきて、ようやくフラットに様々な環境で音楽が聴けるようになってきた。僕が音楽を始めた10年前よりは、少し自由になったなという感覚があります。」
(坂本龍一×蓮沼執太「音楽が生まれる環境をつくること」)

マイケル・ジャクソンとジョン・ケージ

 ここで、瀬田なつき監督との『5windows』や不定期に開催しているイベント「ウインドアンドウインドウズ」といった数々のコラボレーションを通して繰り返し現れてきたキーワードである窓と風景について、蓮沼執太にとってはある具体的な場所で起きる音楽の演奏/聴取にまつわる一連のプロセスにその空間、および既製の流通メディアとは別の風景を開けるドア、窓=フレームを持ち込むというアイデアが一貫している。
 2012年の「旅」をテーマにした「象の鼻ジャーナル VOL.1」に蓮沼執太が寄稿したテキスト「風景音」では、画家が切り取ったフレームに興味があるという導入から、カメラで撮影した映像と「録音した音の風景」を重ね合わせて人間の知覚する世界を複数化+再編する試みを提案している。

「旅をしていて、すきな画家が切り取った地点に立ってその風景を眺めるのがすきだ。どうってことないことだけど、その場所に立ち尽くすだけで、大きな気持ちになったりする。身体にスーッと風が通る心地になる。これぞ旅行の醍醐味とも言える。絵画において、その四角い画面は作家本人の目の位置が基準となって切り取られた結果だけど、いざその場所に自分が立って眺めてみると、時空を超えて昔その地点にいたであろう作家本人と妙に重なる感覚を持つ。どうしてこの眺めを切り取ったのだろうか、どうしてトリミングをもう10メートル右にしなかったのだろうか。と画家でもないのに、僕はあれこれ考えてみたりする。いずれにせよ、この想像自体どうってことないのは変わりないが、作家本人と自分とその風景が重なっていく不思議な一体感が興味深い。
 6月16日に象の鼻テラスにて『港を散歩して、風景をきいてみる。それらを発表して、音楽にして持ちかえる。』という長いタイトルの子供のためのワークショップを開催させていただく。(……)これは何を見ていてその音を録音したのか?と考えることが大切である。世界を耳から感じて、音だけでなく視覚の記録としても残してみる。それらを象の鼻テラスに戻り、参加者全員に向かって発表をする。切り取った地点の音と風景写真を見せながら、象の鼻テラスという場所を共有してみようというワークショップである。」(『風景音』)

 ところが星野源は、2017年8月のEP『Family Song』に収録の曲『肌』で「触れ合うと 言葉より 君のことを知れる気がした」と歌っているように、間接的にカメラやマイクで切り取ったものではないじかに触れる体感をモチーフにする。
 星野の曲で外界に通じる「窓」が登場する歌詞もあるにはあるのだが、しかし「社会の窓」ならぬ「君の手を握るたびに わからないまま/胸の窓開けるたびに わからないまま/笑い合うさま」(Friend Ship)というように離別した「君」を思い出す性愛的な隠喩となっている。
 「スケべな音楽が好きです。世界各国、色んなセクシーがありますが、自分はやはりジャパニーズ・スケべが好きです。」と『YELLOW DANCER』に付属の曲解説でも言っているのだが、星野のディスコグラフィーの中でも愛撫・交接を謳うするスターの誘引力は「Crazy Crazy」に顕著である。

 虚構の「顔」を演じる俳優として舞台に立つ仕事が並行していることもあって、星野源は常々リスペクトを捧げるマイケル・ジャクソンやプリンスのようにして自らポップスターとして輝く伝統を受け継いでいるわけだが、文春文庫の著書『働く男』に収められているセルフライナーノーツ的な「作った曲を振り返ろう!」で弾き語りでソロ活動を始めるきっかけとなった初期代表作だと位置づけている「ばらばら」や「ばかのうた」が生まれたエピソードを振り返ると、星野源の歌には「最悪の精神状態」だった時期も含めての私生活の表現が込められている。

 ふたたび対比してみると、蓮沼執太はエリック・サティを回顧する小沼純一との対談でこう言っている。

「でも、僕がフロントに立つのであれば、大体予想を裏切った感じになっちゃいます(笑)。僕の場合、敢えて鉄板な表現みたいなものを持ちたくない、って思ってたりするんです。そういうものを作らないからこそ自由になれるのかなと思っていたりします。やっぱり僕は聴衆の想像力を信じていて、決められた予定調和を崩していった分、そこで生まれる解釈の幅の収縮を楽しんでいるところがあるんです。」
(小沼純一と蓮沼執太の対談「サティは如何に聴かれてきたか--反撥と共感と」、小沼純一・責任編集『総特集◎エリック・サティの世界』より)

 要するに「鉄板な表現みたいなものを持ちたくない」とは私生活の苦悩をメディアの上で演じるキャラクター的回路も含めて、音楽をやるにあたって自己表現の形で一つの「顔」を固定したくない、ということではないか。
 そもそもビルボードのシングル盤チャートは遊園地で売っているお菓子の売り上げを集計するノウハウが応用されて生まれたという逸話を思い出してみれば、キャッチーなメロディーとリズムを盛んに模倣し合うダイナミズムで市場が拡大していった音楽産業は甘く誘惑する恋や愛抜きには成立しなかったのだが、その「既にある音楽メディアのフォーマット」も20世紀に特有のものという話なのであろう。

 続いて蓮沼は2012年1月に東京都現代美術館で『What’s wrong with looking at the practice?--練習をみるのはかっこわるいことか?』と題して「未完成の音楽を僕と演奏者が共に一緒になって作曲をしていく、楽音が出来上がるワークインプログレスを手段とした公開リハーサル」の試みを上演しているのだが、「これは練習があれば本番がある、という近代以降の因習的な関係を否定する実践の一つだった。/舞台がありそこから見おろすようにメッセージを発信するのではなく、好きなことを自分たちでやっていてそれらを聴衆が観にくる、という関係性をこのイヴェントでは一番に作ってみたかった。何も共有がない場所から音楽を使ってそれを紡ぐ作業である。イヴェントをやりながら、こんな小さな出来事にも無秩序な理解や誤解を生むことが出来ることがわかってきた。」とジョン・ケージの作品と自分の音楽行為との接点を探るエッセイで振り返っている。「上演において聴衆に音楽を届けるだけが音楽では無いのではないか。トートロジー的な物言いだが、このあたりに僕は強いシンパシーを感じる。」とケージの核心に分け入っていくそこで要になっているのは「未だここにない音楽」を突然聴いてしまう、というイヴェント性である。

「僕は現在ある記録されたケージの音楽を聴いても、それが彼の音楽だとは思うことが出来ない。大袈裟ではなく記録されたものでは彼の音楽は響かない。作曲という行為が音を素材として構成したものであるような考え方が一般的であるならば、僕はそれは間違っていると思う。作曲家は作る人から聴く人へとなり、作曲家は音楽が音を聴くことだけで音楽を存立させ、作曲家は聴くことによって現実を受け入れ、それらを不意に聴いてしまう可能性に音楽が在る、というケージの考えもその理由のひとつにある。
(……)
 そして、音を聴くことは、いま生きていることを確認し続けることだと気付かせてくれたのは、やはりケージの考えである。僕は音を聴くことで、過去と瞬間と未来を顕在させて、無数にありえたかもしれない世界がまるで音楽のように自分の前に立ち現れる。それが生の意識だと思っているし、これからも常に音楽を聴いていくだろう。」
(蓮沼執太「既にそこにある音/未だここにない音楽」、『ユリイカ』2012年10月号「特集*ジョン・ケージ」より)

 ここで蓮沼執太が語っている、ケージの考えから受け取った「聴くこと」に潜在する「過去と瞬間と未来を顕在させて、無数にありえたかもしれない世界がまるで音楽のように自分の前に立ち現れる。」という発想が可能世界論と通底していることにお気づきだろうか。

 かつて佐々木敦は「ポストロック」的方法論を現代の文学に無理矢理適用した批評『阿部和重と「ポスト文学』で、90年代に台頭してきた「新しいタイプのバンド群」を例にして制作環境の根本的な変化を「トータスは「作曲→演奏→録音」と進む既存の制作プロセスを解体し、コンピュータを使った音の編集や加工を徹底的に押し進めた。代表作『TNT』では、プロトゥールスというデジタル・ハードディスク・レコーダーが全面的に使用されており、メンバーの演奏は時間的空間的にバラバラに解体されたのち、複雑なフラグメントとレイヤーとして、オーディオ・データの中に散りばめられ流し込まれた。」と簡潔にまとめている。
 ここで重要なのは、繰り返しになるが楽曲制作において作詞・作曲とアレンジと演奏と録音と編集の順番がバラバラになった、ということである。

 いわば蓮沼執太の実践している「コンセプト」とは、『CC OO』にもリアレンジ版が収録されている、アコースティックな楽器以外に口でリズムを取ったボイスパーカッション的な声、手拍子、足のステップ、野外で子供が遊ぶ声などを作曲に取り入れて、高層ビルや緑道を吹き抜ける風の動きのような人間にはコントロールできずにその場を通り過ぎる環境音と合成された電子音・意図して発する楽音・アカペラの声の区別なくその固有の空間の潜在性から引き出されたさまざまな音響群が録音・編集されたデータとして等価に独特のアンサンブルを織り成す快快「Y時のはなし」のサウンドトラック『シャンファイ』や、一つの街の川岸を舞台にして複数の物語が進行する瀬田なつき監督の映画に提供した『5windows』のカットアップエディットされたドラムやピアノやサックスの伴奏で1人のハミングが多声のコーラスに滑らかにフェードする劇伴を聴いていると、その新たな質感で爽やかに再構築された時間と空間の繋ぎ目から自然に思考がそれぞれバラバラに宇宙を反映する「窓がない」モナドの群れが人間には計り知れない予定調和によって「最善世界」を形作るという17世紀末に機械式計算機を発明したことでも知られる哲学者・ライプニッツの世界観に導かれるのだが、とはいえ、ここまで至っても音楽と批評の「存在が過剰なる何ものかと荒唐無稽な遭遇を演じる徹底して表層的な体験」はまだ何も始まってもいないのだ。

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