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感傷的な日々

2018年に入ってから、感情の窓がひらいています。

中学生のときから、「何事にも心をこめれる人になりたい」と思ってすごしていました。しかしながら、生まれ持った性質なのか、自分が楽な生き方を選んだのか、むしろ相対的に見てあまり感情的でない人として生きてきたように思います。

それが今年に入って、エモエモな日々をおくっているわけです。今まで感情が動くときは、全て明確に理由がわかっていましたが、なんだかよくわからないけど、感情的になったりしている自分がいます。もしかすると、もともとわかっていなかったのかもしれません。

そんななんだか思春期みたいな、心の不安定さ、というのか心の元気さは、エネルギーこそ使いますが、たしかに生きている心地を感じられてきもちよくもあります。

さて、2月です。僕の働いている会社は1月で期が締まるので、1月末で退職する人が一定数います。なので、今日は学校でいう3月の卒業式のような気分の日でした。

卒業。心のなかで、日常の何気ない光景が浮かんでは散って、浮かんでは散って。ありがとうが押し寄せてきて、寂しいなが浮かんできて。ぐるぐるぐる。

日常をいっしょにすごせばすごすほど、まるで明日からの日々が非日常のようで、同じ場所にいるのに全く違う場所にいるようで。もらったものはわすれない。今の自分の数十分の一は、君でできているってこと。

離れたり、違う場所にいたりしても、この社会はすこーしずつみんなの助け合いで、あなたのやったことのほんの少しが、自分のところに届いて、自分のしたことのほんの少しがあなたに届いて、そんな風に繋がっていると思うと安心する。小さく小さく助け合いながらきっと僕らは生きていて、その一部の中にあなたがいるんだって思うと、なんだか心強い。

やっぱり生きるって嬉しいね。生きればいきるほど、大切なものは増えるし、生きるほど、自分という人間はいろんな人の一部の集まりになっていって、いろんな人とつながっていることを実感できていく。

明日から新しい日々がはじまります。さんきゅう!いままで!はろー!新しい日々!よろしくね!

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