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Re:Start

noteをあんまり書かないと一定以上のクオリティじゃないとnoteが出せなくなってしまう。けどもうそんなこと気にしないで今を誰のためでもない自分のためにつづることにする。

破壊と創造、青春と老後。はじまりとおわり。おわりとはじまり。

約3年前。一度ぶっ壊れて止まって。動き方がわからないまま。目をつぶったまま這うようにして歩んで、かつての自分の心のあり方もわからないまま。過去と比べてなんだかなって嫌になって、だけど少しずつ回復して。今に至る。

振り返ると幼児帰りしてまた自分をもう一度作り直すようなそんな日々だったように思う。

過去と因果。あれがあったから今の自分があると規定するのは簡単だけど、本当のところはわからない。自分は自分だ。今は今だ。

長かったのか短かったのか。3年半くらい経ったろうか。

世間ではWHOが緊急事態宣言を解除した。

世の中の多くの人はコロナとともに沈んでいったという意味で印象的な3年間だったと思う。自分にとってはコロナ前にぶっ壊れて、回復を開始したころに緊急事態宣言がはじまった。社会的距離がない状態でいきなり自分が走り出せたかは、わからない。

全ては結果論でしかない。落ちるところまで落ちて、少しずつ回復していった。完全に心が平常に戻ったと確信できたのは2022年後半とか割と最近だと思う。こういった社会だったからこそ少しずつ歩めるようになったとも言えるかもしれないし、今まで通りの社会だったらもっと早く復活できていたかもしれない。

ifはない。ifの答えはない。もしもあったかもしれない可能性や時間はもうここにはない。今ここにある時間は唯一無二だ。だから今を、ただ今として、飲み込むのだ。

久しぶりの連休。後半は珍しく人と会わず一人ですごした。いろいろぐるぐるぐるぐる考えた。考えた末にあまり気にしないことにした。ただ自分は自分であって、人は人である。頭で考えることから離れてもっと感じようって思うことにした。頭でっかちになっていた自分に少しずつさよならをする。

最近感性が鈍化した気がして悲しかった。多分頭でばかり考えているから。しかも考えるにしても深く考えず上っ面で終わっているから。考えるなら考えきる。考えないならもっと感じてみる。そんな感じ。

意味合いは人によって異なるけど2023年はきっとリスタート。複雑な時代。全員にとっての正解じゃなくて自分が信じれるものは何かを自分に問う。感じて問いて歩んでいく。


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