無理やりひねり出した”捉え方”ってやつなんかじゃあ走れないから。
最近はとにかく働く日々だ。定時より早く仕事を初めて定時よりずっと遅くまで働いている。
こういうとき、いかに自分にとって納得できる理由を見つけることができるかが重要なのだと思う。
この時の主語はどこまでも自分である必要がある。
”誰かのため”とか”誰かに押しつけられている”とかではなくて、自分を主語にして今自分が猛烈に働いていることについて、納得できたなら足を引っ張っていた重りのようなものが外れて、スーッと軽くなっていくだろう。
”社会の歯車”とか、検討のつかない規模の言葉を主語にしてしまうと実感がわかない壮大さに思考停止して、ただただ虚しくなってしまう。
忙しい時って色んな判断がつかなくなるのに、ネガティヴなことに限っては想像がどんどんふくらんでいく。
だからこそ、”勝手に背負い込んでしまっていることはないか”、”今の自分のもやもやは本当に実体のあるものなのか”を自分に問いかけてみる。”なんでそれでも自分はやれているんだろう?” ”続けているんだろう?”と問いかける。
そうやってクリアにしていくと、今の状態が少しずつ楽しくなってくる。
もしそう思えなくたって自分を責める必要はない。その時はシンプルに環境が悪い、というか自分に今の状態はマッチしていないってことなんだと思う。
「捉え方次第」という考え方は正しくはあるのかもしれない。だけど、それを強要するのはナンセンスだから、人に「捉え方次第だよ」って言葉を振りかざして諭すのは嫌いだ。自分の捉え方が無理なく自然に、すーっと心地のいい方向に流れていく感じが、僕は理想だと思う。
どこか無理をして、自分じゃない主語から納得できる理由を探して、自分に言い聞かせてしまっているのなら、それはきっと違うんだと僕は思う。
耳をすますとふいてくる心地のいいそよ風に自然に身を乗せるだけの状態。それがいい。それはきっと自分を主語として、自分自身が納得できている状態。
無理にマッチョになる必要はない。風がふいてこないときは、自分をそっと労ってあげよう。
だって滝のように流れてくる仕事やプレッシャーは自動的に止まってくれることはないのだから、せめて自分だけでも、自分を労って優しくしてあげないとね。
そうやって泥くさい日々を、きもちのいい日々に変えていけたらいいなって思う。
今日も大変だったけど、よかったなとか、嬉しいなとか、ありがたいなとか、楽しいなとか、色んなプラスの感情もちゃーんとたくさん散りばめられていた。みんな本当にありがとう。
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