jukeの前

jukeと出会う2年ほど前だが、私の人生は結構ヘビーな状態となる。詳しくは省略するが、女性の若い時というものは、世間一般にかなり強いカードである。
そのカードの効力がだんだん薄れてくると感じるのは、それを開き直るまでの間少しキツい。
美魔女などと持て囃す風潮があるが、私はそんなメディアと風潮に騙されはしない。圧倒的に若い女性の方が美しい40代より強いカードである。

私は私のカードは少し弱くなってきた。 と感じていていたんだと思う。
弱った女は北へ向かう。
ベルリンに三ヶ月頭を冷やしに行った。

音楽は中学の頃から死ぬほど好き というか 極度のコミュ障であり友達もいなかったのでどんどん音楽にのめり込んで行った。でも音楽は本当に魅力的なものなので、つまらない日常のはけ口というより、やはり魅力に取り憑かれていたのだと思う。クラスの女子がSMAPのメンバーを下敷きに入れているのをよそに、私は田中フミヤと小山田圭吾のタワレコのバウンスの切り抜きを入れて悦に浸っていた。絶対どっちかと結婚する と血眼で2人を見つめていた。大層気味悪かったと思う。渋谷系、テクノといえばその頃メチャメチャに流行っていたと思う若者もいるそうだが、そんな層は大阪市内の公立中学には少しだったと思う。流行っていないアーティストが好き と揶揄されたことだってある。そんなにイケてることでも無かったし、こんな音楽が好きだからと言って誇れることでもない。
放送部に入部後、昼休みの放送でケンイシイをかけてクラスのカースト上位の女子にボリュームを下げられたこともある。

中間テストが終わるとチャリでアメ村のking kong,タワレコ、シスコ などにませた気持ちで入って緊張しながら試聴台をわかった風に片端からきいていった。いじめられるほど目立つ事もなく、友達が少ない女子生徒として地味に中学を卒業するが、やはり寂しかったのか高校で少し調子に乗ったりもした。

高2くらいの頃、何か変なことをする というのが流行っていたか気がする。 ボアダムスの影響だと思う。
例に漏れず私も眉毛を剃り落としたり、自分で髪を切ったり、わざと1人で行動したりしていた。

高2の終わりから高3にかけてはアシッドジャズ、ジャズ、ハウス、フューチャージャズが好きになっていた。

その後女子大に入学し、お姉ギャルが急激にかわいく見えて憧れる様になった。
18歳くらいの頃ミナミでdjしたりする様になり、20歳の頃ベルリンに一ヶ月バックパッカー旅行をし、最初のトレゾーに行ったりレコードを買いまくったりしていたが、22歳くらいのときから遊ぶ専門だった。年に一回くらいしかdjしなくなり、そこからの記憶は日々ギャルっぽく音楽とあまり関係がなかったが、音楽はやはりとても好きではあったと思う。

20代後半になり、好きなことから逃げてはいけないことに気づかされる事が多々あり、私は20歳の頃の楽しかった記憶を呼び覚まし、やっぱりやり残してはあかんのやと思いながらベルリンに旅立つ。
djを再開しようとして、敵情視察のつもりだった。

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