初めてjukeを聞く

私のワーホリ計画はそこそこ順調に進んでいた。

貯金も少しずつ目標に近づき、djのブッキングも増え、経験させてもらえることも増えてきた。

ドイツ語や英語を少しずつ復習し、あと少し貯めたら本格的にワーホリの準備をしよう。

そんな風に考えていた矢先、母親が入院し、リハビリが必要になる。

ある朝コンピュファンクでバーテンのバイトを終えるといるはずの母親がいない。

電話があり、なんと大腿骨を骨折し今里の病院に入院していた。そこからは省略するが、ただの骨折だけでは済まず、母親は生活に私の補助が必要となる。父親も2年ほど前に他界してしまい、頼れる家族もおらず、入院の介助などで有給も使い果たし、必然的に私のワーホリ計画は頓挫していまう。

これまで目標にしてきたものがなくなった事に私は絶望していたが、仕事に行って母親の入院先に行き、ギリギリながらもdjは続けた。
あんなに寝なかったのに若さは強い。

すっかり疲れ果てていた私は知人に誘われたパーティで気晴らすことにした。

友人の集まるアットホームなパーティ。

テクノを中心としたジャンルのパーティの中、あの男が居た。 今日djするという。パソコンを触っている。曲を選んでいるらしい。

どんなジャンルでdjするのか? と私は興味がめちゃくちゃあるわけでもないが尋ねた。

皆んなが知らないジャンル と男は答えた。私は割と自分が実験的な音楽でdjしていると感じていたので、ほう、どんなもんやねん と思いながらも だらだらと友人と話し、ヘビーな母親の世話とワーホリが頓挫した絶望を紛らわすべく友人と話していた。

唐突にロイエアーズのサンプリングが聞こえる。

私はハッした。

何や、この音楽。

テクノのパーティによく行っていたので、久しく聞いていなかった、djでは使っていなかった、でも大好きな黒人音楽のサンプリングが使われているドラムンベースみたいな音楽。

ブースにはあの男が立って、空っぽのターンテーブルのスリップマットを擦っていた。

なんや、なんでこんなすごい音楽かかってんのに、なんでみんな普通でおれるんや。

この人、絶対世界に出るdjになる人やん。

もしかして、ベルリンに行かなくてもいいのかもしれない、、、

この人なんていう人なん?と友達に聞く。

フルトノくんやで。

冴えない男はフルトノというらしい。
割と界隈では有名なようだった。

名前は聞いたものの、ほとんど覚える気がなかったし、またどこかで会うのだろうぐらいに思っていた。
私は音楽にめちゃくちゃ興奮しつつも件の母親とワーホリの事が制御弁となり、適当に帰った。

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