お金できまる世の中の罠(下書き)

私は子供の頃から何故かお金が嫌いだった。
お金を大切そうに出し渋る父親の姿をよく見たから始まった価値観だった。

お金ってどうしてあるの?と子供ながらに質問攻めをしたことがあったくらい意味のない価値観だと思った。
なぜなら、お金、資金のある無しで、人々の持てる力があるか無いかを決めるのは全く間違いで、進化にとっては全然無意味なものだと今も感じているからだ。
だからこの世が幸せになる為には金というシステムがなくなることが必要だと思っているが、難しくて人間性で生きて行ける世の中にする為のアイデアと言うものを日夜模索し思考している。
金というシステムで人間の力を測るのは全く持って間違いだ。これを肝に銘じなくてはならない。

例えば、資金さえあれば何かが出来る。
それに対する支援があれば良いものが出来るのは目に見えていたが、国はそのような本当の力をサポートしない。
既存の利権を守り、己の小銭を増やす方がルールを決める奴らからしたら「利権」という甘い汁を手放すはずもないからだ。

昔、車のレースをしていた。それは金が掛かるから物凄い大変だった。24時間中20時間くらい働いてせっせと日本中を国道走ってサーキットに行って、車の中で寝泊まりして練習してきた事もある。それくらい切り詰めても金が必要なのが車の競技だ。

レースをやるようになって、色んな素晴らしいドライバーが資金難で消えて行った。
私と争ってる順位のあたりの人達は、どんどん辞めていった。
だから自分が勝ち残っても、私は常に「でもあの人にはやはり勝てない」と自分の未熟さを何とか成長させる為に、ひたすら思いつく努力を重ねて精進した。

例えば今はパーティを作る側としてDJしている。
世の中には面白いパーティが沢山ある。
それは大々的に広告されているものより全然面白いし、はっきり言って世の中の派手に見せられている世界のものの全てがイミテーションで面白くない。
そして変な広告で勘違いした若い下品な子供達が、飲んだゴミさえそこら中には捨てて、酔って痴漢三昧。人に酒をかけても謝らない。
平気でタバコのゴミを捨てる若者、etc...

私の遊ぶパーティにそんな酷いマナー感の下品な人間は1人もいない。
山へ遊びに行ったら、自分の気配すら一切残さず、そこに誰も来ていなかったのように遊ぶのが上品で楽しい本物の遊びだと思っている。
持ってきたゴミは、人のも含めて目に入ったら全部持ち帰るのが私のモットーだ。
しかし、フェスと呼ばれる面倒なヤツは、汚過ぎてゴミも拾い切れないが、そんな下品な輩と同じ空間にも居たくない上に、たまたまそのフェスに友達が遊びに行くからとテントを貸した事があるが、返してもらった時にゾッとするほどタバコで何十か所も穴が開けられていて、どれほどの過ごし方をしたらここまで恨まれるのかと背筋が凍ったが、それをやった輩も下品でサイコパス過ぎて恐ろしくなって、私は絶対にその有名フェスに遊びにもいかないし、絶対に出たくない。
私のDJは分からんちんに聞かせる音ではない。

今は釈迦の言う通り『末法』の時代だ。
価値観が破壊され、人々は欲望のみに生きる時間だ。

金とは、私は呪いの札だと昔から思っていた。
金さえあれば、金が無い。この言葉で何年も嫌な思いをさせられて、いい加減その金さえあればと言う価値観を捨て切ってくれ、でなければ別れてくれと家で怒鳴り合いの喧嘩をしまくった8年間の時間がある。

金の為に人は殺し合う。
どんな変態おっさんでさえ、金さえあれば少女買春を親子丼で行う某有名企業のM社長など、吐き気を催す。
金という価値観で人の優劣が決まるこの世の中の価値観がどれほど狂っているか、それをどんな人も金の価値観だけは捨てずにこの世を良くしようと訴える。

私はそうは思わない。

人の力を金で測って狭い世界の中に閉じ込めるのは、単なる罠で、その罠は悪魔が作っていると私は昔っから思っていたので、金はあれば人の為にいくらでも使うし、使う人には回ってくる。
呪いの札なのだから、そりゃ呪われる。

例えば最近物凄い苛立つ事がある。
それはYouTubeというシステムだ。
動画で金を得るシステムが出来上がり、再生回数で飯を食う。
しかし、この2年で、その価値観が驚くように変わった。
著作権や言論統制だ。
それを素人が、つべで公開できないから話せないだの、乞食のように投げ銭を求め、悪魔が気にいるように言葉を誤魔化し小銭を稼ぐ。

ちなみに、私もツベのチャンネルがあるが収益化してない。するつもりもない。
私がツベのアカウントを開設したのは、昔々の話だ。収益を得る得ないの話などない時代の時で、アップした動画は友達とシェアする為に使っていた動画保存用として使っているので、最終更新日は何年も前で自分ですら覚えていない暗い昔のことだ。

そして最近流行りのマッドフラット。動画の最後に必ず講座なるものを広告してお金を稼ぐ輩がいた。人の情報を翻訳して高い金を取ってツベの開設をするらしい。
全て有料で講演会などを開き、金儲けとして情報を発信しているが、その情報源は人の二番煎じだ、というか丸っと人の動画を翻訳しているだけだ。
どれだけの著作権違反をしているか分からないが、そんなビジネスと称した詐欺まがいを始める輩もいる。そしてそれを神のように崇めるもの達が後を絶たない。
まさに金の魔力で見失う人間性が私には寒気のする事なのだ。

初めの頃は謙虚な事を言ってるが、2年もやると大体傲慢さが見え、架空の味方が己が力だと勘違いをして、平気で堂々と人を批判するようになる。
その姿を見て、同意する信者も多いだろうが、辟易している人もまた多い。
視聴回数が己を正当化すると思い込んでいる。なぜなら、結局悪魔の作ったシステムの中で大金を得て生活している悪魔の仲間なのだから、悪魔の世界のルールに足を突っ込んで、ミイラ取りがミイラになってゆくのはカルト宗教と全く同じ構造であり、カルトに入れば必ず精神を病んでいくし、その様に見える。
そして自分と違う意見のものを、鼻で笑いながら「俺様の方が偉い」と勘違いをして悪態を晒す。

そういう輩が私に対して攻撃をしてきている。

馬鹿らしい。
私は売られた喧嘩は買ってやるし必ず勝つ。
道理に従って、悪魔の世界に浸かっている間違った輩など私の敵ではない。
今後、そのような輩がどの様に闇落ちしていくか楽しみである。

ツベて金儲けする人達は皆新しい悪魔の価値観に囚われ、自分を見失い、洗脳されて行っている。

私は人が本当に人間として目を覚ます事を目的として、そして忘備録として文字を残しているだけである。
全く違う価値観でnoteを使っている。
従って、悪魔に魂を売った輩に沢山の人が騙されている事が今の私の懸念材料だ。
知らない事を話しているから崇めるのはやめよう。
判断は自分でするものだ。
現地に足を運び、自分で調べて感じればいい。
そして感想文を書いているので、納税してない選挙権の無いバックパッカーにとやかく言われるのは腹が立つというものである。
全く謙虚さが無い上に無知で傲慢だ。
選挙権を得る為には住所が必要なのよ。ホテル暮らしのロシア帰りの誰かに教えてやりたい。

私はこの喧嘩、勝つまでやります。
不良として堂々と生きてるのだ。いつでも相手になってやる。

この世で不良として生きることは、悪魔と対立することだ。
だから私は正しいと自信を持って生きていられる。

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