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【邪心溢れるヴィパサナー瞑想で節約生活】

ヴィパサナー瞑想とは、まさしくジョジョの波紋法の修行である。

今なら鬼滅の刃の全集中の呼吸的なものだろうか。





プシュカルにて3度目のヴィパサナー瞑想へ参加。





2010年ダラムサラにて初めての参加以来、たまに気が向いたら行く。


ヴィパサナー瞑想とは。
10日間の瞑想コース。


読み書き、喋ることなどが禁止されていて、他者も目を合わすことも不可。
ひたすら、己の呼吸に集中し過ごす瞑想法。


費用は参加者の寄付で成り立っていて、全世界中に施設がある。




日本では京都と千葉。
ミャンマー出身のゴエンカ氏が普及したもので、インドは一番、センターが多い。


刑務所の受刑者にも実施されている。




正直、初めは興味本意。


ドネーション、寄付で参加出来るとなれば、それほど金銭的な問題もない。




初めてのヴィパサナー瞑想後の私の感想は、人生を変えるほどの効果というより、単になんだか、スッキリしただけであった。


唯一の驚くべき身体の変化は。


瞑想後、旅中によく聴いていたスピッツの曲を聴いてみたら、全く別の音楽のようで、こんなに沢山の音が重なって、でも別々に聴こえてきて驚いた。
イヤフォンで聴く音楽が、生演奏バンドのようになったのだ。



そう。


五感を制御した事により、以前よりも音がクリアに聴こえるようになっていたのだと思う。
聴くことに対する無意識の集中力が上がったのか。


しかし、その効果も、永久では無く、1ヶ月もしないうちに元に戻ってしまった。




他の参加者の中には。
日程後半、泣き崩れる者なども。


人によっては大きな変化を、もたらすらしい。


そう。

トラウマ克服の様な。


心の外科手術とも言われている。


コースを終えて外に出ると、野良犬や動物が、やたら寄ってきたりもする。


そんな不思議な変化も感じられるのがヴィパサナー瞑想である。


勿論、個人差はあるが。
瞑想後の変化を感じ、より楽しむならば、やはりインドや外国がオススメだ。






基本的には呼吸に集中し、何も考えてはいけない。


のに。
私は毎度、妄想が止まらない。


そんな不真面目な参加者な私であっても、それなりの変化があった。




緩やかに忍び寄る変化。





友人たちは。
私の人生がジェットコースターなのは、ゴアのトランスパーティーにて、トランス状態で遊び過ぎた事が原因だろうと考える者も少なく無い。


が。


自己分析では。
2010年、初めて参加したヴィパサナー瞑想からなのでは?とも思う。





私は大学を卒業し、いきなり謎の病。


背骨の鈍痛から起き上がれなくなり、不眠症、そして自律神経の乱れなど。


まともに働けない状態が続き、日々、病院の薬漬けで寝たきりであった。


健康診断をしても身体に外傷は無く、健康。


なので結局、心療内科行き。



原因は、なんとなく幼少期の、トラウマという曖昧なものである。




私は病名もなく苦しむ日々。
病名が欲しくて仕方なかった。


病名が無いと、怠けてるだけだ。

と、親族にも、なかなか信用して貰えなかったのだ。





そこで。


意を決して、健康の為に大好きなインドであらゆることに挑戦した。


アーユルヴェーダのパンチャカルマにより体内洗浄2週間コース。


そして、ヴィパサナー瞑想。

ヨガ。





そうして。
なんだかハイテンションになった私は、勢い余って東アフリカ南下の旅までしてしまった。

2010年夏。





そう。
この初めてのヴィパサナー瞑想の後から出会う友人が変わったのだ。


それまでは。
個人主義な友人が多かった気がする。
1人で黙々と趣味に、没頭するような。


しかし。
それが一変。
かまってちゃん友人が増えた。


最初は気が付かないのだ。
そう。


私は、
人の本性を見抜くのが苦手というか。


自分の妄想設定で相手を見ているというか、生きていたというか。




大概。
仲良くなってゆくと。
相手は横柄になり始め。



もっと私を見て!考えて!


みたいな理不尽な怒り方をされる。

勿論、同性の友人からもだ。





恋人も同じく。


自分は平気で他の女性と浮気するが、私が彼を見ていないと激しく怒られる。
嫉妬心を利用し上手くつなぎ留められていた。





私は。
何故、こんなに出会う人間が変化したのか不思議でならない。


彼らは言動と行動が一致しない。


それをなかなか見抜けなかった私は、いつも後々、何かしら困った事になっていた。





逆説的に考えると。


私の人間に対する見方が変わって、何かに気が付いたのかもしれない。



ヴィパサナー瞑想をしていなければ。

もしかすると、悩みのない人間関係を築いていたのかもしれない。





ーーーーーー

とこの文章を綴った当初は、思っていたのだが。

今となっては、私が自分の感情を素直に感じることが出来るようになった結果なのではとも思う。


2010年、ダラムサラにて、初めて参加したヴィパサナー瞑想後、数年間に及び、人間関係人身事故が多発していたのも、突然、多発したのではないのだ。
今まで、事故だらけだったのだけど、鈍感すぎて、それを事故だと思っていなかっただけなのだ。きっと。

世の中、他人の性格や感情を変えることは難しいが、自分が変われば世界は変わるというから。



ヴィパッサナー瞑想のお陰様かスッカリ一時的人生の迷走は続き10年後の今。

心の外科手術と言われる瞑想法なので、手術後のリハビリは続いている。

思いの外長い。10年にもなる。

しかし、まぁ長い人生、これで良かったんじゃないのかと。

鈍感すぎて嫌いな人もいず、人間関係に悩むこともなかった10代20代。

しかし謎の背骨の鈍痛や、曖昧な病名の自律神経失調症に悩まされ寝たきりになってしまったのだが、心は鈍感でも身体が悲鳴をあげていたのだ。

それは生きる上で無視できないほどになっていた、歪んだ感覚。

20年以上。

それをほぐしてゆくのに10年間という月日は長いようで、そんなものな気もする。

自分の心に本当に素直に生きながら世渡り出来るようになる為の過程。


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トランス道に心奪われていたこの頃の私は、やはり、瞑想はダンシングメディテーションが一番だなぁと痛感。


このプシュカルでのヴィパサナー瞑想では迂闊にも膝を痛めてしまった。




三十路になっても、崖っ淵人生のお陰なのか。


体力は、1番あがっていた。



体力とは精神力と比例関係にあるのではなかろうか。


ピンチはチャンスというのか。


鬱になってる暇もなく。
身体や背骨を痛めてる暇もなく。


日々、大量の荷物をえっちらおっちら担ぎ転がし、元気に活動。


人生でこんなに身体が、頭が動く時期は初めてだったと思う。




私は、初のヨーロッパ遠征に向けて、飛ぶ鳥落とす勢い。


まずは格安航空券でモロッコを目指した。

2014/07。

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