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知らない曲を流すアニソンDJ問題

どうも、アツアツ管理人です。

今回は巷を賑わせた知らない曲を流すDJ問題。

様々な議論の呼び水になっていますが、発端となった人を叩くつもりは毛頭ないのであしからず。

ただ、リから始まるのパーティーの人が大きな顔してるのは解せないです。

1 パーティー論と選曲論が混ざってる

大前提として、件のツイートをもう一度見直してみましょう。

凄いですね。ここまで大きな反響を呼んだ原因はそれこそ大きな顔の人が引用お気持ち表明を行ったからだとは思いますが、やっぱりついていけないって言う気持ちが共感を呼んだ結果がこれなのかなと言う感じです。

さて、本題にはいりましょう。一見すると、こちらのツイートはDJの選曲についていけずに疎外感を感じると言う事でDJの選曲の姿勢に対してお気持ちを表明しているように捉えられやすいですが、文章下部にはイベント側の人も並列の関係で書いていらっしゃいます。

つまり、このツイートはイベントの運営サイドにも言及している訳であり、どちらかと言うとオーガナイザーがもっと役どころを考えるべき、みたいな側面の方が強い物だと感じております。

従って、自身のDJに瑕疵がついたと思ってお気持ち表明している方は何か誤解をしているかと思われます。

2 選曲の方向性を決めるのは誰だ

DJ論とパーティー論が混在していると読み取る理由について。

単純に私自身も何度かオーガナイズをしているわけで、最終的にフロアにドロップする楽曲の判断は個々のDJに委ねられているとしても、パーティーコンセプトやそれに伴って召集するレギュラーDJ、ゲストDJを決めるのはパーティーオーガナイザーだからです。

結構極論なのですが、Remixイベント組むときに原曲が得意でいわゆる文脈、意味繋ぎを行うDJさんは呼ばないし、二次元アイドルのイベント組む時にアイカツ!やラ!を見ていない、プレイリストにも入れないDJと一緒にパーティーしないかと。

つまり、パーティーと言うのはDJとお客さんだけが作るのではなく、オーガナイザーとDJとお客さんの三位一体というわけです。どの要素が欠けてもパーティーは成立しないのにDJだけが騒いでいると言うのは些かDJの役割を過信していると言うか、悪い意味で盲目的になっている事、私が私が〜となっている兆候であると考えた方がいいと思います。

分かりづらい例えだと申し訳ないですが、リゼロの上滑りするスバルみたいな感じですね。

件のツイートの場合は残念ながら、パーティーコンセプトとやってきたお客さんの間でミスマッチが起こっているわけですが、オーガナイザーがあなたにお願いしたいからと召集をかけたわけです。

従って、特に気に病む必要は無いのではないかと感じます。

3 趣味DJはゼネラリストにはなれない

これはエビデンスもなければ論理として成り立つのかどうかも危うい上に、常々申し上げているDJ論を語るにあたって危険な要素、主語がデカイ極論に相当するものだと思いますが、恐らくキャリアを形成し続けたDJ誰しもに言える事だと思いますので、敢えて断言します。

世の中にはキャリアデザインという学問があります。

キャリアデザインについてざっくり説明すると自分の市場価値を戦略的に高めていく為にはどうすれば良いかについて考える学問です。

ゼネラリストとはキャリアデザインの中でしばしば二元論的に考えられる職業のプロとしての在り方で、広範な知識を持つことで、周囲の人員をリードしていく管理職的なポジションを形成していくことが最終目標であるということです。

一方スペシャリストとはその反対。領域を絞って専門性を活かした技能やサービスの提供を行う人たちのことです。詳しくは下記リンクを参照してください。糞詰まりの人生も少しは打開できるかもしれません。

さて、ここからが本題。趣味DJはゼネラリストになれないのです。厳密に言うとゼネラリストになっても意味がないのです。

4 趣味DJがゼネラリストになれない理由

趣味DJがゼネラリストになれない理由は以下の2点

・そもそも機会が均等に訪れない

・レベルが上がると客観視が難しくなる

・そもそも機会が均等に訪れない

この知ってるアニソンを流すか流さないか問題は、大人数の前でやる機会と少人数の前でやる機会とで構築していく選曲が異なるという指摘がありましたが、そもそも大人数の前でやる機会と少人数の前でやる機会とどっちが多いかと言うと明らかに後者です。

使い分けをしようにも機会が巡ってこない限り私はその行いは無駄な努力だと断言します。

東京でもでかいパーティーは半年に1回出られればかなりいい方だと思います。出演者のパイが圧倒的に限られている中で、新しい人達にも通用する為にそんなに好きでもない曲をお金払って購入して、DJプレイの研究します?

それよりかは好きなものを集めてファンを作っていく、スペシャリスト型の方が圧倒的に生き残る確率が高いわけです。

何故なら、前述したとおりパーティーは一人で作るわけじゃないので、仮に自分のプレイスタイルが受け入れられなくてもどこかで誰かの選曲がフロア全体の満足度を高めてくれるわけです。

なんでも自分でできる必要はない。できたらできたで便利でしょうけど、便利なだけだと意義が見いだせなくなるんです。意義が見いだせなくなると、自然とパーティーから足が遠のいていきます。

・レベルが上がると客観視が難しくなる

例えばの話、DJとしてデビューした時の会場の大きさが大きいか小さいかでいうと小さかったという人がほとんどじゃないでしょうか。

私もデビューは30人くらいが入れば一杯になるような小箱でした。

箱が小さくなると、コアなお客さんが多くなり、要望としては深い選曲のものが増えてきて、逆に大きな箱、渋谷や新木場とかになってくると、色んな人が多くなってくるので浅いほうが広く受け付けやすくなるわけです。

そして、そんな大きな箱に出ているのはヘッドライナーと呼ばれている大物DJさんばっかりで、そう言う人たちは我々のような趣味DJではなく、それを生業にしてご飯を食べている職業DJさんです。

一見すると当たり前の話なのですが、これって矛盾している話でもあるわけです。

大きい箱で受けるような選曲は初心者の方が上手に組み合わせることができたりするわけです。デビューする時は実力は及んでないかもしれませんが、今からデビューに向けて努力をするという事は一番瞬発力が高い時でもあるわけです。

でも、デビューするときや下積み時代はそんな大きな箱でプレイすることは叶わなくて、小さな箱で大箱のような浅い選曲をすると先輩から窘められる。

そうしている間に価値観がどんどん深いほうが良いという刷り込みが生まれる。念願の大箱でプレイするような段階になると、もう今まで輝いていた入り口に当たるキャッチーな音楽が陳腐化してしまう、と。

DJとしての技量はビュー当時からサボっていなければ、比べると確実に上がっているはずです。でも、お客さんのニーズに合わせた浅めの選曲は難しくなっているわけです。

深い所に潜り過ぎて、浅さの深度が分からなくなるとでも言えばいいのでしょうか。適切な深さが分からなくなるわけです。

そして、前述の通り、浅い曲を使うタイミングというのは非常に限られており、本当難しいです。

難しいから選曲深度を読み間違える、ミスを防ぐために守りに入り、ますます深い所に潜り込む、分かる人だけわかればいいと言う事でゼネラリストへの道はどんどん遠ざかるとこう言うロジックが生まれてくるわけですね。

5 恥ずかしげもなく残酷な天使のテーゼをかけられるDJになりたい

と、言うわけで趣味DJがゼネラリストになれない理由はお伝えしましたが、それでもゼネラリストになりたいという方と一緒に考えていきたいのが章題にあるこの話。

残酷な天使のテーゼを恥ずかしげもなくかけられますか?という話です。

かつて一大カルトを築き、今でも信者が絶えることのない巨大IPの超ウルトラ究極ドアンセムですが、私はこれを上手に選曲できないです。

今でこそ、エヴァはコラボやグッズが激しく、放送当時のカルト的な雰囲気が鳴りを潜めているわけですが、今でも伏線の考察や検証がなされていて、今年の6月に最新作も映画公開されるわけじゃないですか。

言うてみればエヴァってサブカルの極地、一つの到達点だけれども、私はこれを上手に自分の選曲に組み合わせることができません。

やろうと思えばできるけれど、グッズやコラボが増えていけば増えていくほど、手から離れていく、自分が知っているコアなコンテンツという枠組みから外れ、社会の公共財に還元されていく。

そんなものは手に余っちゃって私には扱えません。

扱えないものを扱おうとするのは「攻め」のはずなんですが、ちょっと上手になったくらいのDJは「守り」と捉えるでしょう。安易なドロップは同業者からの顰蹙を買う事間違いなしです。

様々な思想や態度が渦巻くフロアで全体を満足させるように残酷な天使のテーゼ、もしくはそれに準ずるような超ド定番アンセムを恥ずかしげもなく、ドロップができるか、深度を読み違えずに、全員を納得させられるかどうかを思考するのは「ゼネラリスト」へ到達する為の鍵ではないかと考えます。

6 おわりに

さて、終始二元論的な話になりましたが、DJも人生もゼロサムゲームではありません。

当然のことですが我々DJの目標は先ほど申し上げた「ゼネラリスト」になることでも「スペシャリスト」になることでもありません。

究極の目的は同じ空間、同じ音楽を聞いた時に同じ気持ちを分かち合える事、その日、その場にいた全員が「楽しかったまた来たいね」と言われるようにするのが一番の理想です。

私は狭量なので、自分に扱える範囲でしかこの目標を達成できませんが、聴衆の音楽体験の経験値の大小に関係なくフロアを自由自在に操る事が真の意味でエンターテイナーになること、つまり、「ゼネラリスト」や「スペシャリスト」という垣根を超えた「プロフェッショナル」になりたいという決意表明が冒頭のツイートの趣旨であったのだろうと感じます。

できないよりはできたほうがいいに決まっています。ただ、できないことを攻め立てるのは全然違う問題なので、ツイッターで学級会を開いたり、訳知り顔で態度がデカイのはやっぱなんか違うと感じるわけです。

したがって、最初はできなくていいけれど、ゆくゆくはできるようになればいいという努力目標的な見方をしたほうが精神的に安定しますよ、というお話でした。








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