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恥ずかしいです

いじめというのは卑劣で許せないことです いじめられた人は深く傷ついています
そして 人格 個人 行為 作品 それぞれの関係についての受けとめ方はいろいろな場合があり得ます
ぼくのある友人 年齢が近いです とても成功していてその仕事の内容も尊敬できるなかま
先天的な身体障害があって それに打ち勝っていることも ますます好き
彼もいじめられて苦しい辛い思いをしていたと二十代の頃ぼくに伝えてくれたことがあり「川合には言うけど」という言葉もあって…ごめん 気づかないおれが鈍感すぎた その時言ってくれたらなにかできたのに 否すまない 言わないお前の矜持がすごいし もしかしたら言えない人に思い至らないことが恥ずかしい…と己のちっぽけさに忸怩たるものがありました
その時 彼が「小山田くん今 資生堂UNOのCMに出てるでしょう 目の前がぱあっと明るくなった ぼくたち少数派が圧倒的多数のためのテレビCMに」と目を輝かせて語った時…
小山田圭吾の当時の作品や活動を軽く見ていた自分は少し意外に思ったのですが 四半世紀を経てふりかえるとそれはかなり重要なものだったと現在認識しています ライブラリー的な参照体系やToshi Yajimaとのコラボレーションは当時先進的であり意義が深いものであったと思います

*私がよく使う「目の前が明るくなる」という表現 この時の彼の発言のパクリです
「面白い」という言葉の語源のある説 目の前=顔面 が 明るくなる輝く=白い

「面白い」を興味 利害関心=interest と切り離したい
という意思を含めた表現を探していた時≒自身がロールズやミルズが公正や正義について論じていたことを考察していた二十代前半 だったので

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