僕は透明人間!

「冴えない女子校教師のボクが時間を止める能力を手に入れてしまった」みたいなAVや「女性が多い職場で上司や同僚に馬鹿にされ続けている仕事が出来ないボクが透明人間になれる!」みたいなAV。

ここのところの恋愛リアリティショーに纏わる言説を見てるとこれらを思い出す。

前提としてこれらのAVがノンフィクションとされてるわけでも自称してるわけでもない。でも「そんなわけねぇじゃん」と断言してしまうと消えていってしまう何か。「時間が止まってるはずなのに壁掛け時計が進んでる」ことで冷めてしまう何か。そんな夢を見て安心してた。どちらかといえば「本物素人人妻ナンパ!」みたなのの方が適切かもしれない。でも、あれはホントに本物の素人だから!

件のリアリティショーに関しては見ていなかったのでわからないままだけど、一人の命が途絶えてしまったことの寂しさはある。そうならずに済んだであろうあらゆるルートへ思いを馳せる。そうなってしまったあらゆる要素への憎しみもある。賛否両論が巻き起こるのは当然だと思う。賛否の「賛」に加担する気分はない。かといって「否」に乗っかる気分でもない。だって見てないもん。巻き起こる論争とは別にその横でふわふわと思うことがなんとなくある。

「踊り子さんには触れないでください」
それを守ることで見続けられるストリップ。踊り子に触れるサービスを設けてしまえばストリップとしての運営は出来なくなり、踊り子の裸を見ることは叶わなくなる。

恋愛リアリティショーを「あれをドキュメンタリーとして受け取る層もいる」として語る向きがある。「台本がないと言って放送するのは良くない」と。良いか悪いか、ガチと取るかヤオと取るか。ガチと言ってガチと取って誹謗中傷する人がいる。じゃあ、やっぱり良くないよねとなる。そりゃそうだ。なんとなくだけど深夜ラジオで良くない発言をして糾弾された岡村さんのことを思う。批判された発言は批判されて然るべきだろうが、リテラシーを持って共有してた「深夜ラジオのなんでもあり」な下ネタや悪ノリという感覚。絶妙なバランスの下で保たれている環境。それは「なんでもあり」だけでは保てないものなのかもしれない。

この度のテラスハウスの件は「踊り子さんに触れないでください」の禁を破った結果なのかもしれない。「透明人間になる能力って言ってるけど洋服はどうなのよ?おい!」とメーカーに詰問する輩が居ようものなら無粋と糾弾されるだろう。オレだって「おい!マナー違反だぞ!」と黙っちゃいない。

そんなオレも「彼氏がいる女の子をマジックミラー号の中に誘ってって設定だけど、マジックミラー号の外観を見て『この中で美容に関するアンケートに彼女は応えてる』と思える男なんてこの日本に存在するわけねぇだろ」とため息をつく。

この度の女性に向かって直接リプライして誹謗中傷などしてはいないけど、誹謗中傷の発端となったシーンのキャプチャー画像は幾度となく目にしたし、過去にあったゲイビデオの画像をネタとして使用したり、酔って潰れた人の画像はその辺に溢れている。あの俳優がどうしようもないZ級映画に過去出演していたことを掘り起こしてキャッキャウフフとコソコソ笑う。

直接リプライして罵詈雑言を投げるのと大きな隔たりがあるのは明らかだけど、そこんとこは自覚してモノは申していかないと。そして、モノを申す必要があるのか。大体の場合において、ない。

アレコレ言うのは面白い。アレコレの言い方が面白い人の話は聞いていたい。下衆た話題でゲヘゲヘと笑っていたい。でももうこのあたりは初売りセールみたいに人がいっぱいで石を投げれば誰かに当たる。人混みに紛れて誰に当たったかも自分には見えないことも。

もう石を投げる場所ではないのかもしれない。それじゃあとお金を人混みでばらまくのか。石を投げておいて投げ返されて怒り出すのか。

自分がどう振る舞っているのかを省みるとオトナ童貞やネオ昭和への怒りは「餅だって言ってるけど、それ石じゃんか!」という建前で言ってるだけかもしれない。誰かに狙いを定めて石を投げるようなことはしてないつもりだけど、ところどころでそっち方面に石を投げることはしているだろう。みんなが警察署に投石しているからってノリで投げるような真似はしないでおかないとなとか思いました。本気でムカついて投げる時に様にならないから。あと数が多く見えても下衆た趣味は下衆た趣味。過剰に卑屈になる必要はなくとも日陰者なんだから大きなことは言わないでゲヘゲヘと。

出来ることなら「その絵、キレイな鶴に見えるでしょ?でも逆さに見ると椎茸なんですよ」くらいのものを差し出せるくらいの努力をしようよとかは思いました!踊り子さんに触らない!自分は善人だとか思わない!他人は他人!自分は自分!ボートはボート、ファックはファック!おすぎはピーコ!

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