1,980年代から抜けられない

 今年の春先に『現代思想入門』(千葉雅也 2022年 講談社)を読んだ。当時は哲学書を読もうにも基礎がおろそかな感じがしていたので入門書を探していたころだった。店頭に並んでいたこの本を迷わず買い、読んだ。なんだかポストモダンとかいう分野があるらしい、デリダ、ドゥルーズ、フーコー…へぇ、脱構築。リゾーム、なんだこれは。よくわからないけど面白い考え方だな。このくらいの感想を持つにとどまったのを覚えている。
 数か月後の夏休みに『構造と力』(浅田彰 勁草書房 1982年)を読んだ。先述の『現代思想入門』に紹介がされていたから読んだのだがこれは日本にポストモダンと呼ばれる哲学大系を紹介した、画期的な一冊である。これはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズ論で『アンチ・オイディプス』に代表される精神分析を下地にした文明論が主な内容である。読了後の感想としては「すごい」の一言に尽きる内容であった。内容の詳細はこの文の趣旨ではないので省かせていただくが、原始共同体から古代国家、近代資本主義社会へ、そして来るべきポストモダンへの生成変化の過程が鮮やかに描かれ、その滑らかさに心の昂ぶりを感じたものである。それから『ドゥルーズ 流動の哲学(増補改訂版)』宇野邦一 2020年 講談社)、『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(千葉雅也 2017年 河出書房)、『差異について』(ジル・ドゥルーズ 平井啓之:訳 1989年 青土社)を読んでドゥルーズ哲学の大綱を掴んだ。『アンチオイディプス』か『ディアローグ』辺りも読もうと思ったが夏休みが終わり、卒業論文の追い込みシーズンに突入したので断念せざるを得なかった。続きは春休みの予定である(本当はデリダも読みたかったのだがこれも春休みに回す予定だ)。


尾崎豊を聴くといいよ、と友人が言ったのは一年位前だ。当時の私の関心事であったとある事柄について話していた時の一言である。はじめに聴いたのはドーナツ・ショップでこれはハマった。同じアルバム(『壊れた扉から』)収録曲に始まり、その友人にその後教えてもらった曲を断続的に、アルバムを虫食い的に聴いて回った。今年一番聴いたアルバムは『誕生』で一番聴いた曲はその収録曲LOVE WAYだった。尾崎の人生をなぞるように構成されたこのアルバムは通しで聴いてもよし、曲単体で聴いてもよしという素晴らしいアルバムである。

ポストモダンが日本ではやり始めたのは1980年代、尾崎のデビューは『十七歳の地図』で1983年、活動時期はそれから彼が亡くなる1992年までの約10年。偶然なのか何なのか知らないが時期が重なるのである。おまけに1980年代も半ばといったら日本はバブル経済期でウハウハな時期(しかし日本史上―経済史上?―最後のウハウハな時期である)でそれは哲学も音楽もノリにノるわけだ。私は21歳で1980年代の日本を生きていたわけではないので単なる想像だが、『構造と力』その他もろもろのポストモダンを論じた本に感銘をうけ、家に帰ればラジカセで尾崎のアルバムを聴くのが習慣になっていた大学生はいたのではなかろうか。いてもおかしくはない。そんなわけで今の私の精神は今1980年代(半ばあたりか)にいるようなものだ。ポストモダンに強く興味を惹かれ、尾崎という80年代のスターに感銘をうける(しかも尾崎は小説も書いており、私はそれを読んでいるので思索もはかどるのである)昭和の大学生という気持ちで、もう全然「サトリ世代」とか「Z世代」とかいうどこか冷めた現代の若者とは遊離してしまっているように感じている。まあ別に善いことなのだがそういうことである。


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