『文明論之概略』を読んだ
今年の3月から少しずつ読んできた『文明論之概略』(福沢諭吉〈著〉 松沢弘陽:校註 1995年 岩波文庫)を読み終えた。1875年に出版・発売されたこの本は明治維新が終わったばかりにして、不平等条約の解消や富国強兵・教育・殖産興業と、ヨーロッパ諸国と同格の「文明国」として刻苦研鑽する日本で書かれた文明論である。要約をしてもつまらないので、ここではこの本を「どのように読むことができるか」に焦点を当てて述べる。
『文明論之概略』は二通りの読み方が可能で、その両方を往還しながら読むべきである、と私は考える。ひとつは「史料」としての読み方である。前段で述べたように、この本は1875年に発売され、したがってその前、つまり明治時代が始まったばかりの頃に著されている。つまりヨーロッパ諸国の水準に政治体制を、経済を、教育を追いつかせようとしている日本に生きた、福沢諭吉という当事者による「日本」の現状と展望が論じられている。したがって同書で福沢は第1章で議論の限定を行う。つまり『文明論之概略』のテーマは日本が「独立」を目的としてそれを達成するための手段を論ずること、という風に限定されている。これは日本が不平等条約を解消した、そして近代国家(国民国家)として独立することが「当面の間の」目的であることを意味している。そのための手段として、福沢は2章以下で「当面の間」ヨーロッパの文化・文明の水準に日本のそれを変化させること(第2章)や、文明化には人々の「気風」「智徳」(「智徳」は第6章・7章で「知恵」「徳義」としてその効用、時と場合に応じてそれらが発揮されるべきことが詳述される)の変化・改善の必要性(第4~6章)が、日本の「独立」の手段として論じられる。そしてそうした目的は「当面の間の」日本の目的であり、ここに福沢の、現状分析とその処方箋の提示というスタンスを見て取ることができ、明治時代の黎明期の様子を探る史料としての意義がある。
もう一つ読み方がある。それはこの本を「現代」と比較考量する読み方である。先に注意するが、この読み方は前段の読み方と両輪をなさねばならない。前段の読み方は歴史的な、本書の客観的な読み方であり、今から述べる読み方は1870年代の日本と2023年現在の日本という時間も歴史の積み重なり方も異なるものを比較する、いわば「主観的な」読みだからだ。つまり客観的な読みと主観的な読みの双方を往還することによってこそ、福沢の主張とその現代的意義をとらえることができる。
福沢の当時の日本の精神性・政策の分析・批判は2023年に生きる日本人が読んでも色褪せない。全部挙げるときりがないので1つ例を挙げよう。第5章は前章「一国人民の智徳を論ず」の続きで、この2つの章を通じて福沢は文明化を果たすためには人々の「智徳」を向上させ、議論を活発に行うような「気風」あるいは「習慣」を醸成していくことの必要性が論じられる。第5章の最後はこうした「気風」「習慣」が充分に根付いていない日本人の様子を以下のように分析している。
引用文の前のこうした「気風」の見られる例と併せれば、要は明治政府が当時議論していた士族(つまり武士)の家禄の供給をどうするかについて議論していた際、士族も農民もそれについて意見も議論もしなかった、ということである。士族にとっても農民にとっても、士族への家禄の如何は自分の生活にかかってくることなのに(家禄の財源は地租として農民が負担するものであった)、それを他人事のように見ているということである。この「他人事」の「気風」は現代でもそう変わらないのではないかと私は思う。SNSにかじりついている私にはデモに参加し、国内政治について真剣に考えている人が多いように見えるが、SNSの外に出ればそうした人はそう多くはない。国政選挙投票率一つをみてもその様子がうかがえる。少なくとも「日本人は明治以来、議論を盛んに行い、よりよい生活を政治参加によって実現させてきた〈民主的な〉人々である」とはいいがたい。
こういう例がいくつも『文明論之概略』にはある。「政統」「国体」「皇統」の区別(第3章)や、文明化における「徳義」と「智恵」の効用とその時と場所に応じた使い分け(第6章・7章)など、現代人の私が読んでも「確かにこの辺は分別がついていなかったかも…」と考えさせる点は多い。このように150年前のテクストを「時事評論」として読み直すこと、これもまた『文明論之概略』を読みなおす意義であると私は考える。第一の読み方を提示した際に述べたように、「当面の間の」日本の目的としての独立と言う際、その「当面の間」は明治時代から2023年現在まで、連綿と続いているかもしれないのである。
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