インセル 日本の事例

 インセル3部作も遂に終盤です。ここでは日本の話をします。すっぱいブドウのように女性に攻撃的な男性や腐女子叩きをする男性は確かにインセル的な要素があると思います。
 恋愛には承認欲求の充足という側面があります。彼らはそれを非モテで連帯することで補っているに過ぎないでしょう。ここに憎しみの感情がのるという場合は彼らにしかるべき経験がある時だけです。ラブレターを回し読みされたり、暴言を吐かれたりたり、といった手酷くフラれた経験がある場合です。ただこの事例で悲しいと言いますか虚しい、意味が無いと感じるのは、その復讐の相手が赤の他人であることです。本人に復讐するならまだ理解もできます。しかし赤の他人が相手では、それではただの犯罪者ではないですか。あまりに愚かです。
 彼らは犯罪者であるが故にその心情が慮れることはないというのは当然と言えば当然です、犯罪は絶対的な悪なのですから。それでも、やはりその心情が無視されてしまうのは悲しいことです。私は彼らを救わなければならない存在であると考えます。自業自得や自己責任で片付けてはならないと考えます。そしてそれは女性が被害に遭わなくなるということも意味します。男性も女性もどちらも救われるのです。
 先ほど「しかるべき経験」と書きましたが、実はここにインターネット社会の持つ危険性が隠れています。それはネットに上がった他人の経験談による疑似体験です。ある程度の知能や交友関係があれば、それが特異な例であったり嘘である可能性に気が付くものですが、その共感にのめり込んでしまう人達がいます。これは今のところ女性叩きの場でなく政治的言論の場に多い印象です。「死ね」だの「殺せ」だのといった先鋭化した政治的集団の存在はご存知だと思います。勘違いされたくないのは、先鋭化の部分を問題視しているということです。つまり知能や社会との関わりの欠如を私は問題視しています。

 また、承認欲求の充足への嫉妬が同時に腐女子叩きの原動力であると考えています。腐女子叩きと書きましたが、実際には夢女子叩きも含まれています。そして両方に共通するのは、彼女達は彼女達だけで連帯し承認欲求を満たし合っているということです。これは私自身が絵を描く、薄い本を描いていることから肌感覚として理解できます。本が売れた時はめちゃくちゃ気分が良いです。私の全てが肯定されたかのような錯覚を覚えます。
 男性作家への嫉妬は当然あると思いますが、大きな違いは自身が顧客となりうるか否かでしょう。多くの場合、男性はBLや夢といったイケメンコンテンツの顧客になりません。ですので、仮に作者からブロックされたり作者が筆を折ったとしても痛くも痒くもないということです。そう、男性向けは違いますよね?「お前には売ってやらない、見せてやらない」は大きな痛手となります。情けない話です。
 しかしながら承認欲求の充足という快楽を知る身としては「情けない」で片付けてはならないと思います。誰もが満たされる世界こそが幸福な世界だと思うからです。


 未来の為に凶悪なインセルを発生させる要因を指摘しておきます。これにはその要因を無くすという意味と、インセルからの攻撃を避けるという意味があります。
 始めにターゲットとなる女性の属性です。それは男性に養われているであろう女性です。具体的には、妊婦で楚々とした女性、いわゆる女性らしい女性です。悲しいかな、少子化問題を語るにあたって常々取り立たされる貧困に苦しむ若者、結婚できない若者、そんな彼らにとってデキ婚やシングルマザーでない結婚からの妊娠は高級ブランドのように映っていることでしょう。AIU保険「AIUの現代子育て経済考2005」によりますと出産から22年間の養育費の平均は1640万円だそうです。ちなみにこれは学費を含みません。つまり現実問題として、これ以上の費用になります。そう、妊婦は男に買い与えられた2000万相当のブランド品を持ち歩いているに等しいのです。そしてここに非正規雇用や格差の拡大といった社会問題を持ってきますと、妊婦は充分に嫉妬の対象となりえます。楚々とした女性、男性に愛されているであろう女性は、ともすれば「女というだけで楽をしている」と見なされかねないということです。そして同時に、流産させることで夫であるハイスペック男性にダメージを与えられます。社会に対する復讐として一石二鳥なのです。この点では子供を狙うというのも有効でしょう。

 インセルの予備軍を罰すればいいと考える人もいるかもしれませんが、それは誤りです。人は追い詰められれば追い詰められるほど自暴自棄になります。俗な言い方をすれば「ヤケクソ」になるということです。ただでさえ家庭という守るものの無い半ば無敵の人にさらなる動機を与えたらどうなるかなんて火を見るよりも明らかです。無職の人を無敵の人と称しますが、彼らは働いているだけあってある程度の資金を持っています。武器を買う資金です。どうみても無職からの無敵の人よりも強力でしょう。ハイパー無敵です。

 昨今のこうした日本の情勢で憲法改正による家族主義の推奨、強制は非常に危険です。家族主義を掲げるということは、家族を持てることが「当然」となります。この「当然」の危険性は中編でも書きました。疎外感と抑圧、これは人を追い詰めるものです。
 またこれはフェミニズム界隈から出るものですが、非モテを恋愛による成長のない出来損ないと見なす動きは、同じく非常に危険です。これも「出来て当然」と「当然」の危険性を含みます。そして見下されることで怒りや憎しみを増してしまいます。

 正直なところ解決策は見えません。恋愛至上主義を破壊して恋愛を趣味と見なすことで幾分か和らげることはできると思いますが、それを望んでいるにも関わらずそれを為しえない人が出てしまう以上、完璧な対策はできないと思います。相手のあるものですから。女をあてがえ論は男性は幸せかもしれません、しかしあてがわれる女性はそうではないでしょう。このことは私自身の信念に反しますので、私はこれを挙げられません。
 やはり人間、幸せな方がいいじゃないですか。人間が生きる意味とは幸福を追求することにあると私は考えます。