インセル 女をあてがえ論

 中編です。ここも海外の話になります。前半に取り上げた記事にありました「相対的剥奪」は間違っているとは言いませんが、それだけと決め付けるのはあまりに彼らを馬鹿にし過ぎではないかと思います。

 女をあてがえ論、これは正当か不当か?これの答えはアファーマティブアクションのそれと同じです。障碍者福祉のそれ、とまで言ってしまってもよいかもしれません。
 欧米あたりは特にそうですが、今の世の中は平等を求め、平等であろうとしています。一口に平等と言っても、実は2種類の平等があります。それは「機会平等」と「結果平等」です。
 機会平等は機会均等とも言います。男女雇用機会均等法という名前を聞いたことはありませんか?チャンスは誰にでも与えられるという意味になります。女性は東大を受験できない、といったことはありません。そして男性と女性で採点方法も、合格点も同じです。これが機会平等です。参政権もこのカテゴリーですね。
 一方の結果平等はその反対とも言えるものです。例えばアメリカのとある大学入試では、総合点数に黒人は加点、アジア人は減点を行うそうです。つまり人種によって合格点が違います。これは人種ごとの合格点を操作することで合格者の人種割合を一定にしようという考えです。政治家における女性の割合を~にするというのも、この結果平等という考えに基づきます。ジェンダーギャップ指数はこちら側です。
 どちらが正しいのか私には決めかねます。皆さんの中で決めてください。ただ都合よくこれらを同時に振り回すのは不公正である、ということだけは言っておきます。

 さて、ここで本題に入ります。もう既に察しがついていると思いますが、自由恋愛は機会平等、女をあてがえは結果平等に基づきます。そして現代の欧米における男女平等の主流は結果平等です。
 これが彼らが女性を憎む原因のひとつでしょう。

「女性は社会的地位については結果平等を求め、手に入れつつも、恋愛では立場を変えて機会平等を保守している。」

 また女性に地位をあてがえの影響で、稼ぎの良くない男性が増えていると予想できます。男は自分より稼ぐ女を選ばないとしばしば言われますが、これは逆も真ではないでしょうか。女は自分より稼がない男を選ばない、これです。ヒモを養う女性も居るでしょうが、これは日本じゃなくてカップル社会ですからね、そんな見栄えの悪い男をわざわざ選ぶような物好きが大勢いるなんてことは考えにくいです。若いツバメならともかく、同年代のヒモ男を連れてパーティーには行けないですし。

 そして前編で書いたように、パートナーの存在は社会参加の条件という側面があります。パートナーの獲得を「出来て当然」と捉えるならば、それが出来ない人には相応の補助が必要になるはずです、障害者福祉のように。車椅子の人に「人間は歩けて当然」「歩けないなんて人間としてどこかおかしい」と言うのは許されませんが、恋愛では許されるというのは不思議ではありませんか?自力で歩けない人に車椅子や介護人が用意されるように、自力でパートナーを見つけられない人には何らかの是正措置が用意されるべきではないでしょうか?
 これを相対的剥奪論だけで語るのは実に卑怯極まりない。得られて当然と「男だけ」が考えている?違いますよね。社会がそう考えているから彼らもそう考えているのです。
 社会参加は出来て当然です。もし阻害するものがあるなら、それは人権保護の観点から取り除かれなければならないでしょう。

 もしくはパートナーの獲得を「特権」として捉えることも出来ます。つまり性的なりなんなりかの魅力を持つ人間だけが社会参加の権利を有するという見方です。特権、前編でも書きました。「白人男性には特権がある。」結果平等論でよく見る文章です。具体的に何を指すのかは必要ありませんので省略しますが、この「特権」の扱いは現在どのようになっているでしょうか?そう、特権は解体、失効されるべし、となっています。
 もし恋愛における特権を解体したのなら、カップルは成立しません。少しでも容姿など諸々が良い相手を選んだ瞬間に差別主義者となるからです。すると残る道は、差別主義者と非難されながら生きるか、国民総独身で滅ぶか、国家によるお見合い制度かの3択でしょう。3つ目は女をあてがえ論ですね。


 女をあてがえ論は女性の人権の侵害であるという人もいるでしょう。その通りだと思います。しかしながら、女性に地位や権力をあてがった際に、そこから弾き出されてしまった男性の人権についてはどうでしょうか?

 歴史的に女性は抑圧されてきた(だから多少の横暴も許される)という人もいるでしょう。ごもっともです。ですが、親の罪は子の罪なのでしょうか?日本人にわかりやすい例えとして、アメリカ合衆国大統領は8月6日に広島に来て頭を下げていますか?



 これくらいは何となくの思いつきで書けてしまいます。それでも中頃に書いた障害者福祉の部分は自画自賛ですがなかなか強烈だと思います。これへの対策は女をあてがうか、カップル文化をやめて「パートナーを連れてくるなんてハラスメントだ!」に切り替えるかの2択だと思います。
 おそらくインセルの中にはずっと私よりも賢い人が大勢居て、より強力な理論が作られていることでしょう。憎しみを糧に作られた理論は本当に危険なのですが、実際に殺人まで発展するくらいですし、そうしたただただ相手を叩きのめすことのみに特価したものも存在していることでしょう。そうなると反インセル派は議論に勝つことは難しいはずです。
 しかしながら、現実問題としてインセルによる犯罪行為があり、カップル文化はそのままで、フェミニズムは躍進を続けています。このことから欧米人は議論が得意というのは大嘘であるとわかります。もっとも、負け組みの意見には誰も耳を貸さないだけかもしれませんが。うーん素晴らしい人権意識です。アメリカやカナダの真実はどちらなのでしょうか。


 結局のところ、インセルは社会の歪みを押し付けられてきた人々の反発の現われでしょう。そしてそれは社会的強者にとって都合が悪いためレッテルを貼って問題を矮小化するのでしょう。

 これらはカップル社会という前提があってのものですので、日本は当てはまりません。少し書き換えると日本でも適用できますので、後編ではそちらに進みたいと思います。