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モリッシーを見た日20231128


モリッシーは来た。本当に来た。

実際にこの目で見るまでの日はハラハラドキドキであった。というのもほかのツアーのライブがキャンセル続きでここ日本のライブもキャンセルではとの憶測が流れ私もこれは無理かもしれんと半分くらいあきらめていた。
ライブの行われる11月28日は日本でたった一度の東京だけでのライブでこれをキャンセルとなるともうモリッシーは日本ではもう見れないのだ。

しかしライブの数日前にバンドのメンバーの来日の情報が流れモリッシーライブ来日の角度は上がったもののSNSなどではまだ 悲観論が根強く来ないのではという意見も多かった。

当日。私は不安を抱えつつ朝早くに仕事をし4時半には仕事ををやめてライブ会場の豊洲へ向かうこととした。まったく仕事が手につかず。普通であればモリッシーの目撃情報などの写真などがSNSで挙がるものだが一切ない。

ただ。ツイッターで「新宿のディスクユニオンでモリッシーを目撃」との文字情報だけが流れた。疑い深いファンはそれでも全然安心できず私は夕方4時半に会社を出た。バスに乗った。長く感じたその時。「リハーサルの音が漏れモリッシーの声が聞こえる」とのつぶやきが流れてきた。こ。こ。これは。

そう彼は来日したのだ。だがまだまだ疑い深いファンはしかし本番で出てこないこともあり得るのではないかと思ったはずだ。

時刻は5時半ころ。ライブ会場についた。物販に並ぶ人々。皆不安げに見える。私も不安ながら並んだ。それしかすることがないからだ。会場に入場した。そこからがとてつもなく長かった。開始時間の7時なり会場がどよめき盛り上がり「モリッシー」「モリッシー」の声声声。ここでモリッシーが出てきたら本当にやばかった。モリッシーは出てこなかった。40分が経過していた。僕ら会場にいたファンはこう思ったはずだ。
「モリッシーはひょっとして出てこないんでは・・・」と。
そして7時40分過ぎ(だったと思う)彼は出てきた。殺気立っていた会場の雰囲気は一変し空気が変わった。彼は言った。

「コンニチハ!!」

この言葉が効いた。かなり効いた。会場の空気はさらに変化し「モリッシー」「モリッシー」悲痛にも似た声が歓喜の声に変わった瞬間だった。ライブは私の予想をはるかに超えた素晴らしいものだった。バンドの演奏はタイトでモリッシーの声がめちゃくちゃ通る。こう感じた。モリッシーの声すげぇ。。。。

振り返ればザ・スミスを友人から勧められ聴いたがなんか暗くてお経みたいだったしあんまりピンと来なかったのだ。だがしかし。音楽には2種類ある気がしてる。落ち込んだ時に聞きたくなるものとそうでないものと。ザ・スミスは人生の岐路とかうまくいかないときに聴くととても響くし響いたのだ。それがスミスのすごさだとおもった。そのバンドのボーカルの彼が目の前でスミス時代の「プリーズプリーズ~」をやったときにはこらえていたものが一気に私の中で噴出していくのを感じた。アンコールは怒涛のような「フーリガン、フーリガン」。

すごいもん見てしまったなというこの気持ち。

モリッシーを聴くとはまたはモリッシーのライブを体験するとはきっと今の自分を裸にされることなのだ。彼の声がひとりひとりに向けてまるで自分に向けて発せられているかのような体験だ。そこに余計なものはなくモリッシーの声と私がそこにいるという関係性があるのみなのだ。

ライブが終わりもう一か月がたち普通はだんだんとその熱は冷めていくものだがモリッシーのライブはそれを許さない。日々かえって彼の声が自分のこころの中で熱となり今もゆらゆらと燃えているのだ。



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