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落ちた事のある空

暑い、馬鹿みたいに暑い。長い長い梅雨が終わってお待たせとばかりに猛暑が顔を出した。ずっと部屋の中に干していた洗濯物が外に干せるようになったくらいしか嬉しいことがない、夏。BBQとか花火大会とかコロナで無いのに。(あってもそんなリア充イベント、誘われるのかという悲しい自問自答アリ) ただ暑いだけ。

DIR EN GREYの新しいシングルが8/3に発売された。今回はフィジカルなしの配信のみのリリースという初の試み。以前SUGIZOの番組にゲストで京さんが出た際には「配信のみでのリリースは考えていない」「ブックレットも含めての作品」と言っていたのを覚えている。これはコロナ禍によるものなのか、それともこのサブスク全盛の世の中において彼らの意識も変わっているのか。思えば私もCDというものを久しく買っていない…。

などと、ありがちな音楽ファンの葛藤は置いておいて本シングルについて語っていきたい。とりあえず表題曲「落ちた事のある空」について。

イントロから鼓膜を揺さぶるヘビーなリフで幕を開けるミドルチューン。今回Shinyaの独特なトライバル風のドラミングが最初から最後まで冴え渡っているように感じる。やはり彼はこういったミドルテンポの曲で真価を発揮するような気がする。ギターのリフもDSS〜ARCHEで培った構築力を感じつつも、TIWでの振り切ったハードコアのエッセンスも滲ませていて流石の一言。薫さんの得意とする、シンプルなようでいて凝っていて飽きさせないリフワークが素晴らしい。

そして今回、歌詞の公開は今のところ無しである。どのバンドよりも、深読み、考察を楽しむファンベース(少なくとも私の周りは)を持つ彼らとしてはこの仕様はとても意外だった。いつものようにハイトーンから低音のグロウル、最近の半ばヤケクソのように聞こえる捲し立てシャウトまでありとあらゆる声を駆使した京さんのボーカル。歌詞の判別が付くパートは少ないが、その判別できる数少ない歌詞の中でも「8月6日の朝」というワードはファンの中でも議論を巻き起こしている。一部では"理由"へのアンサーソングか?などとも噂されているが、これは恐らく8/6に広島に落とされた原子力爆弾のことを指しているのではないかと私は思っている。


以前"VINUSHKA"のPVでも原爆をモチーフとして使っていること。世界に冠たる我らがDIR EN GREYがこういったタブーとも言えるようなテーマを取り扱っていることは個人的に胸が熱くなる思いだ。別にここで私の政治的主張がどうこうみたいな話はしたくないし、正直語れるだけの知識もない。ただいくら戦争とはいえ無辜の人の人生を一瞬のうちに消し去ってしまう爆弾の業の深さや、犠牲となってしまった人たちの悲しみ、怒り。そういった掬い取られることのない感情の部分について取り上げるDIR EN GREYは本当にかっこいいバンドなんだ。誇りだ。そこにアガる。

と言いつつ、今回の曲は個人的には一概に反戦的な曲であるといった捉え方はしていない。私の解釈としては「落ちた事のある空」一度何もかもひっくり返ってめちゃくちゃになった世界。それを皆分かっているのに生きようとしない、ただ息をしているだけの人たちに向かって、「今なにを諦めている?この地で生まれる君へ」そう投げかけている曲。そんな風に受け取った。

傷だらけでも目線は前へ。今回はサウンドに反してDIRの中ではかなりポジティブな曲と感じた。

次は同作に収録されている"CLEVER SLEAZOID"について書きたい。

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