見出し画像

29歳 2017年 夢を追って叶わなくて前に進んで倒れて起き上がる


これまでの自分の軌跡

29歳 2017年 平成29年
出来事 拙作自主製作映画完成→自主怪獣映画選手権田口清隆賞受賞→DMMCMアワード受賞

1月~2月は拙作の自主製作映画にかかりきりだった。
そしてついに3月、制作に三年に及んだ自主製作映画が完成した。
UMBFだ。(固定記事にあります)

完成させた自分はどうだ!作ったぞ!
という執念だったように思う。
ただ同時に完成させてみてそれではだめだと思う内容だった。
作りつつわかってはいたことだが、
どこかでストーリー性を置いてけぼりにして
自分のやりたいことを100パーセントやりまくることに終始してそれ以上何もない作品になっているのではないか?

それだけの価値のものだけになっているのではないかと感じるようになっていた。

というより
制作するにあたりそれをコンセプトに作っているのだから
それが出て当たり前なのである、が…
正直現実を目の当たりにすると金脈を掘り当てたと思ったら、
石コロばかりで金があっても小粒のものばかりの収穫だったように思う。

その収穫があっただけでもましだとは思うが
自分にとっては生涯が変わるぐらいの作品だと思っていたが
結果としてそうはならなかった。

完成してすぐに渋谷の劇場を貸し切り上映会を行った。
150名近い人たちが見に来てくれた。
続いて…
4月には田口清隆監督主催の自主怪獣映画選手権(以降自怪選)で田口清隆賞をもらえた。


出品される作品群に対して
自分の作品が全く引けを取らないものになっている自負はあった。

自怪選は投票によって
作品の優劣が決まる文字通りフェアであるが
非情な選出方法なのだがその中では自分の作品はランク外になった。

ランク外になった時点で自分はもう終わりだなあ…
と思っていたら…
主催の田口監督から作品名を呼ばれたとき素直に良かったと思えた。
そして、
いざ壇上で自分の名前が呼ばれることになるととてもうれしく本当に苦労が報われた気がして号泣してしまった。
見てくれた人の拍手をもらった時の感慨深さといったらない

その時の様子




またその後に
特撮専門雑誌の宇宙船に掲載されて初めて
自分が雑誌に載り本当にうれしかった。
結果的には
作品そのものに対しては
改善点しかないが作ってよかったという経験と、そして人生の糧になった。
自主製作映画を作る人間として一皮むけたように思う。

初めて自分の名前と作品が載った雑誌

ただ
2015年の11月付で入社した会社ソノリテでの
自分と映画監督としての自分がかい離していた。

そこから
間もなくしてソノリテで制作したCM作品でDMMCMアワードを受賞したのだった。
ただ…受賞してうれしかったのは自怪選のほうだったように思う。
ちなみに自怪選受賞時ソノリテの社長も来て事実上の最高賞だよね
と言ってくれたことに本当に救われた気がしたことも影響していると思う

自怪選とアワードの受賞は自分が認められて、
少しでもそれで映画をやっていってもいいんだよ
と誰かに言われているそんな気がした。

18歳の時に映画監督を志して少しづつ少しづつ歩みを進めてようやく手にした冠は卑屈な自分自身を肯定してくれたのである。
僕は生きてていい。
そのままでいい。
だから頑張れる
本当に挑戦してよかった
作ってよかった

だからこそ頑張るんだと、20歳の終わりを迎えるそんな時期に自分に与えられた神様からの贈り物の一つだ。
ありがとう。


読んでくれてありがとうございます!自分もめちゃ嬉しいです!笑笑、良ければフォローよろしくお願い致します^_^