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幸せならいいや

数年前、SNSで話題になった望月竜馬さんの『I Love Youの訳し方』という本を購入した。作家たちの作品や手紙から愛の言葉を紹介し著者がコメントを寄せたもので、今でもたまに読み返している。
初めて読んだときから自分なりのI love youの訳し方を考えていて、しばらく答えを出せずにいたのだが、昨年運命的な出会いがあった。

ゲーム『龍が如く』のキャラクターである真島吾朗が歌うキャラクターソング、その名も『幸せならいいや』

もう二度と関わることはないであろう愛する人に向けて、たとえ自分が苦しむことになっても君が幸せで笑って生きているならそれでかまわないと綴る歌だ。
この歌に出会う前、私がとりあえず考えていた自分なりのI love youの訳は"あなたの幸せが私の幸せ"だった。でもなんだか高尚すぎて、理想としては素敵だけれど本音とは言えなかった。
その点"幸せならいいや"には少なからず妥協や諦めも感じるし、相手に伝えるというよりは自分自身に言い聞かせる言葉に聞こえる。I love youの訳にしてはかなり独りよがりだが、そんなところが私にぴったりだと思った。

そして私は気付いてしまった。私の中には、相手に伝える心としてのI love youが存在していないことに。私の好意や愛情は、それを伝えることで自分や相手が幸せになれるような類のものではないのだ。「幸せならいいや」と相手に伝えたら、そこには自分の苦しさが滲んでしまう。私のI love youは愛の言葉というより自分の中の覚悟、決意、戒めであり、私自身もそれでいいと思っている。やはり独りよがりなのだ。

いつか、独りよがりじゃないI love youを自分の中に見つけることができるだろうか。たとえば『I Love Youの訳し方』にも載っている齋藤芳生さんの短歌"疲れた君がひたすら海をみるための小さな白い椅子でありたい"のような。この歌を初めて知ったとき、衝撃を受けた。私は短歌が好きで自分でも詠むのだが、私には絶対に詠めない歌だと思った。相手の苦しみから目を背けずその重みを一番近くで受け止め、果てしない海を気が済むまで見つめることを許す、ゆったりとした強さと優しさを感じる。私が究極的に理想とするI love youだ。

同書には他にもたくさんの素敵なI love youが詰まっている。次に読む時はまた別のI love youに心惹かれるかもしれないし、"幸せならいいや"ではない答えが私の中にあるかもしれない。またいつかI love youのことが頭をよぎり、この本を開いて違う自分に出会うその瞬間が楽しみだ。

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